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第290話 繋がりをつくる

1941年2月1日 イギリス 

(この、高速道路というのは実に便利だな。これならば時間通りに間に合うだろう)


大日本帝国陸軍欧州派遣軍所属の西竹一は休暇だったその日、チャールズ-ハーバート-ブレッシーの報告に基づいて作られ始めたものの今回の大戦によって途中までしか作られていないロンドン中心部から延びる高速道路を流線形が特徴のブリティッシュ-ランチェスター社製の自動車を飛ばしてロンドンまで来ていた。目的はホテルにてある人物と会うことだった。


「男爵お待ちしておりました」

「アーガ-ハーンにお招きいただけるとは光栄ですな」

「いやいや、オリンピック金メダリストとこうして直に会えるなど滅多にないことですから」


ホテルについた西はイスラームホージャ派の指導者であるアーガ-ハーン3世と握手を交わした。

アーガ-ハーン3世こそが今回西が会おうとしていた人物だった。もともと大して接点のなかった2人がなぜあっているかといえば今回の大戦が原因だった。


陸軍軍人であると同時に1932年ロサンゼルスオリンピック馬術金メダリストとして知られる西は1939年に開かれるはずのバルセロナオリンピックに向けて修練を重ねていたが、開催予定の1年前に第2次世界大戦が勃発したことで戦地へと赴くこととなった。


騎兵科将校ではあった西も戦車に乗って赴くことになった。諸外国ならば騎兵科は装甲車等を運用するのだが、大日本帝国においてはかつての第1次世界大戦の際に騎兵を中心とした秋山支隊にフランスより供与された車両が配備されたという先例や諸外国、特に同盟国であるフランスのように各兵科ごとに車両を運用する余裕などなかったことから騎兵科が戦車の運用をするのが慣例となっていた。


そうして台湾に続いて派遣されたフィリピンにおいて西は在フィリピンアメリカ軍の攻撃により、孤立させられていたイギリス領インド帝国軍の部隊を救出することに成功した。さらにそれからしばらくして派遣されたイタリアにおいてもインド帝国軍部隊とともに戦っていたのだった。


こうした西による度重なる功績に目を付けたのがインドの自治とイギリスへの戦争協力を呼び掛けていた団体であるカクサー運動の指導者であるイナヤトゥラ-カーン-マシュリキだった。マシュリキはアジアにおいて無視できない実力を示していた大日本帝国に注目しており、日本とのつながりを何らかの形で作りたいと考えていた。


マシュリキはカクサー運動のスポンサー的存在だったアーガ-ハーン3世に西との接触を依頼したが、当初アーガ-ハーン3世はこれを拒んだ。


『他国との接触はむしろイギリス側に疑念を抱かせることにつながり、それはインドの自治という目的そのものが否定されることに繋がりはしないか』


との懸念からだったが、西をはじめとする欧州派遣軍が新車両の受領のためイギリスへ赴くと話が変わった。西たちがイギリスを訪れたのはそれまで装備していた97式中戦車の改良型である97式中戦車改を受領し、訓練をするためだった。

当初はフランスにおいて生産されるはずだった97式中戦車改だったが、フランスはパリでの戦いとその奪還のために戦力を傾け始めたためイギリスでの生産となり、訓練についても現用の戦車であるクルセイダーを改良しようと考えており、そのモデルとして97式改に興味を示し始めたイギリス陸軍からの要望もあってイギリスで行なうこととなり、国際的知名度のある騎兵将校として西が選ばれていたのだった。


イギリスにおいて西は盛大な歓迎を受けた。軍人たちはもちろんマスコミや一般市民にも取り囲まれる日々が続いておりアーガ-ハーン3世が接触したとしてもおかしくない状況が出来上がっていた。


こうしてアーガ-ハーン3世は西に接触し、今日会うことになっていた。


「しかし、戦争はいつ終わるのか」

「さぁ、私には何とも…」

「おっと、これは軍人たる男爵にいうべきことではなかったですな」

「…民間の方々にとってこの戦争は長く続きすぎているというのは理解しています」


雑談の中でつい言葉を漏らしてしまったアーガ-ハーン3世に対して、西は偽らざる本心で応じた。それは日本を含め各地で多くの民間人から感じていた感情だった。いつまでも終わりがない、そんな感覚を覚えさせるほど今年で6年目を迎えようとしている戦争は多くの人間にとって長い戦いだった。


「…ま、まぁ、ドイツも追い詰められていますからな。男爵のように有能な将校がいればすぐにこの戦いは終わるでしょうからな。そうなれば男爵はまた馬に乗れる日が来るでしょう。ああ、そういえば、馬といえば男爵は障害馬術のほかに総合馬術でも出場する予定でしたな、しかも、元競走馬だとか」

「アスコツト号のことですか、いい馬ですよ。もっともオリンピックの延期が決まった後はすぐに種牡馬入りさせられてしまいましたが、できることならばあの馬とともに走りたかった」


アーガ-ハーン3世の失言で微妙な空気となった2人だったが、それをごまかすかのようにアーガ-ハーン3世がまくしたてると西が反応し、感慨深そうに語った。


「実はですな、私の馬の中にも優れた馬が多くいましてな。まだ去年生まれたばかりですが、サフォーク州のニューマーケットに鹿毛がいまして、実によい馬体をしているのですよ、男爵にも見てもらいたいものです。どうでしょうかな?」

「そこまで良い馬ですか」


アーガ-ハーン3世の言葉に西が訝しげに、しかしどこか嬉しそうにも見えるような反応を示すとアーガ-ハーン3世はようやく内心でほっと一息をついた。繋がりをつくるための場所でそれを壊すようなことがあっては元も子もないからだ。


後日、サフォーク州のニューマーケットをアーガ-ハーン3世とともに訪れた西はその鹿毛にほれこみ、アーガ-ハーン3世も西の熱意にうたれて引き渡すことを了承した。


そして、戦後、アーガ-ハーン3世の意をくんでナスルーラと名付けられたその鹿毛は来日し、やがて種牡馬として大成した。時代とともに新たな血におされるようになったが、それでも、この日のアーガ-ハーン3世と西の繋がりから生まれたその輝きは血統史に燦然と輝き続けている。

評価ポイントが1900ptをこえてしまいましたが、いちおう1800pt突破記念作品です。次は早めに出さなきゃ…


ナスルーラをもらい受けてるのは、もともとアーガ-ハーン3世と日本とのかかわりを作ろうとは考えている中で、アーガ-ハーン3世が馬主であり、生産者でもあったことをおもいだし(実の所、それまで政治、宗教といった面でしか見ておらずすっかり忘れてました)どうせならということでバロンニシとも絡ませようと考えているうちにどんどん話が広がってしまった結果です。


あと、史実でブレッシーの報告書である大ロンドンの高速道路に関する調査が出されたのは1937年なのですが、こちらではイギリスが第一次世界大戦未参加の分国力の消耗が少なかった結果自動車の普及が前倒しされたと考えてこちらも前倒したうえで途中まで作ってます(史実では未着工)。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 西男爵は「アイ・アム・シャー」などと寒いギャグは言わなかったと思いますが、世界に通用するスポーツマンにしてジェントルマンですよね。 生き残っていれば馬を通じた交際交流だけでなく国際スポーツ…
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