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第288話 生まれてくる子のために

1941年1月17日 イギリス ロンドン バッキンガム宮殿

「バッテンベルク卿、報告は受けたよ。パリに続いてヴェルサイユまでも…まったく大陸の戦いはどうなっているのかね」

「陛下、しかしながらそれはフランス人が招いたことでもあります。彼らが名誉ある降伏に同意していれば少なくともヴェルサイユは守られた。そうは思いませぬか」

「だが、それをフランス人に対して言うのはあまりに酷だろう。そういえばあれはどうなった」

「ええ、準備は万端です。せっかくドイツ人の耳目をパリに集め、各地からひきぬいた戦力です。復活祭までにはベルリンに行けるかと」


イギリス国王エドワード8世に問われたルイス-フランシス-アルバート-ヴィクター-ニコラス-バッテンベルクはそういった。


バッテンベルクが言っていたのはドイツ北部への上陸作戦のことだった。ユトランド半島への上陸作戦という発想は海上封鎖作戦によって制海権が完全に大協商の側にあるからこそ立案されたものだった。そしてその上陸拠点から一気にベルリンを強襲するというあまりに野心的なものだった。この作戦を不安視する声も強かったが逆に支持する声も同程度には強かった。


その理由としてはフランス共和国やロシア帝国ではなくイギリスこそが戦争に終止符を打ったということをこれ以上なくわかりやすい形で示せるからというのが主な理由だった。


軍事上の貢献を考えれば戦後は発言権が高まるはずのロシアはアメリカ合衆国との一方的な講和により不信感を持っていたし、作戦上の都合とはいえフランスやイタリア王国からは最近のイギリス自身の行動によって大きな反発を招いていた。そうしたヨーロッパ大陸において微妙に漂いつつあるイギリス懐疑論ともいうべき考えを人類の敵たるドイツ自由社会主義共和国に決定的な一撃を与えたという"事実"によって払拭しようという考えはイギリス政府内で強く、上陸作戦はそのために最適だと考えられたのだった。


そのためにイギリス軍は次なる主戦場は正式に参戦を表明した亡命オーストリア=ハンガリー帝国軍とともに行なわれるバルカン半島作戦だとドイツのみならず大協商内部でも偽情報を流した。これは大協商というものが、細かく組織化されたものでもなければ深く結びついた組織でもなくいうなれば寄り合い所帯に過ぎず、それ故にイギリスとしては大協商という組織そのものにそこまでの信頼を置いていなかったからだが、もちろん情報を流すだけでなく実際に英領インド帝国軍から山岳戦部隊を派遣していたし、彼らに対して膨大な物資を空中投下によって補給していたばかりか、北イタリア方面に陽動としてイギリス軍の支援の下でイタリア軍による上陸作戦を行なうほどの徹底ぶりだった。


このあまりに徹底した欺瞞作戦は後世の歴史家にも正気を疑われるものだったが、逆に言えばそれだけイギリスの本気度を示しているともいえた。


そうまでして、イギリスが本気で取り組んでいたのには理由があった。それは確かに国力において大協商内部では抜きんでているが、それでも戦後イギリスはもはやかつてのような一国のみで自立できるほどの大国と呼べるほどの優位はないのではないかという危機感だった。そのため、そうした危機感を持った者たちは戦後ヨーロッパにおいて形成されるであろうヨーロッパ統合組織にイギリスも参画することにより、大英帝国の延命を考えていた。そのためにはイギリス懐疑論は何としても払拭しなければならないものだった。


もちろんそのような意見に反対するものも多かった。

反対者たちは大英帝国のような巨大すぎる国家が参入しようとしても拒絶されるだろうし、運よく入れたとしてもヨーロッパ各地の戦災復興のために巨額の支出を余儀なくされるのが目に見えていると主張した。一方でヨーロッパ統合組織への参画に賛成する者たちは、オーストラリアが独立を宣言したことから植民地の忠誠心を疑問視して、従来の植民地帝国とは別の道を模索する必要があると主張した。


反対派は帝国楽観論者と言われ、逆に賛成派は帝国悲観論者と呼ばれることになったこの議論は党の垣根を越えて展開されていた。


自由党ではかつてのハーバート-ヘンリー-アスキスの派閥を継いだジョン-オールスブルック-サイモン率いるサイモン派とちょうどこの日が78歳の誕生日だったがいまだに壮健なデビット-ロイド-ジョージ率いるロイド-ジョージ派にわかれており、それぞれサイモン派が帝国悲観論、ロイド-ジョージ派が帝国楽観論者だった。


そして、挙国一致内閣ではあったが首相であるロバート-セシルを輩出した政権を担う中心政党である保守党は荒れに荒れていた。本来ならばセシルが中心となって指導力を発揮すべきはずなのだが、セシルがそれまでのアイルランドの自治政策などで妥協的な行ないを続けてきたことことから不満が噴出し、満足な議論すら行なえない有様だった。


逆に最も団結していたのが労働党でありほぼすべてが帝国楽観論者だった。これは戦前より活動を続けていたヨーロッパの団結を求める国際派がドイツに対し融和的な姿勢を示した者たちが多かったため開戦後に失脚し、レオ-アメリーやオズワルド-モズレーといった帝国改良論者たちが主流となっており、必然的にヨーロッパからは距離を置きイギリスのみで自立するという政策を選ぶことになった。


今を生きる者たちのために、そして新たに生まれてくる子のために国家としてどうあるべきかという議論は白熱したものになったが、こうした政治面での論争は軍事には関係ないことであり、上陸作戦の準備は粛々と続けられていた。


「いや、そちらではないのだよ。たしか、メアリーが手紙を送ったはずだろう?」

「…ええ、確かにマリアからの手紙は受け取りました。身に余る光栄ですな」


バッテンベルクの答えに対し、エドワード8世は笑いながら否定した。メアリー、つまり現在エドワード8世の妃である元ロシア大公女マリアは度重なる流産の末に先日、念願の子、それも男子を授かっており、親交のあったバッテンベルクの名をつけたいと希望していた。


それはバッテンベルクにとってこの上ない名誉だったが、同時にあまりにも辛い事でもあった。バッテンベルクはマリアがロシア大公女であったころから恋焦がれており、表に出すことこそなかったが未だに恋慕の感情を抱き続けていた。エドワード8世がメアリーと呼んだ際にあえてマリアと呼んだのもバッテンベルクにとっては未だにエドワード8世の妃であるメアリーではなく、自らの想い人のマリアであったからだった。だからこそ、そんなマリアがエドワード8世の子を授かったと聞いたときは絶望したのだった。


「…そうですな、ではリチャードではどうでしょうか」

「リチャードか、そういえば確か…」

「ええ、かつてはリチャードとよく家族から呼ばれていたものです」

「そうか、いい名だな。リチャード」


バッテンベルクはあえて自身の名であるルイスでも、フランシスでも、アルバートでも、ヴィクターでも、ニコラスでもない、かつての愛称であるリチャードを提案した。それは自身の本来の名を1つも使わせまいとするささやかな抵抗であったがそれ以外にも意味があった。


歴代のリチャードを名乗った王たちは騎士道精神を称えられることが多いものの外征ばかりでまともな統治をおこなわなかったリチャード1世、貴族たちの反発の末にヘンリー4世に王位を奪われたリチャード2世、そしてボズワースの戦いで戦死したリチャード3世などあまり良い王とは言い難い者たちが多かった。もちろん、こうしたことからリチャードの名は避けられ即位の際には統治名として別の名を名乗る可能性が高かったが、それでもバッテンベルクはリチャードの名を提案したのだった。


王子にはささやかな呪いを、バッテンベルクのそんな思いとともに、英国王室の次代を担う王子の名は決まったのだった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] いつも楽しく読ませていただいています。 「モズレーといった帝国改良論者」 英米の歴史改変ファンの間で道化として弄られまくっているモズレー男爵が本小説では良い所見せるか? 行けモズレー!目…
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