第280話 国王と教授
1940年8月29日 ルーマニア王国 ブカレスト コトロチェニ宮殿
「国際的な協力が必要…か、石油利権をフランス人に握られている我々としては鉱業分野での取引を増やしたいところだが、そのあたりの枠組みができれば利益となるだろうな。教授」
「…陛下、今回の案の目標は国家間の経済的結びつきによる国家間の相互理解への…」
「だがな、教授。その経済的な結びつきは国益が保障されて初めて生まれるものだろう?」
「…その通りです」
ルーマニア国王カロル2世の言葉に一時はロンドンにおいて教鞭をとっていたが、戦火を逃れてルーマニアへと帰ってきていたルーマニア人国際政治学者デイヴィット-ミトラニーは渋々と同意した。
国際機関の創設によって、平和を保障するという構想はかつての第一次世界大戦時にアメリカのセオドア-ルーズベルトが打ち出したものをはじめ、民間の活動家たちの世界連邦の創設を目指す運動など数多く提唱されていたが、そのどれもが実行に移されることはなかった。
国際政治というのは独立した機関ではなく、利害関係のある国々が密室において決めるもの、それが常識だったからだ。その背景に国家主権というものへの強いつながりがあったためだったのだが、そこでミトラニーは違う選択肢を検討した。即ち、国家間の直接的な利害関係が薄く、かつ、国家の枠を超えて活動する領域、経済などの分野での国際機関の設立をとおして、最終的な国家間の相互理解に導こうというものだった。このミトラニーの理論は機能主義的国際主義と呼ばれることになり、一時はミトラニーの構想を通して世界平和が実現されると持て囃されたこともあった。
だが、しばらくして第二次世界大戦が勃発するとその立場は危ういものとなった。ミトラニーは戦後のヨーロッパの安定のためには戦後生まれるであろう非社会主義化ドイツに対する融和策を説いた。ドイツという国家の工業力や経済力などを考えてのものだったが、親ドイツ的人物とみなされて攻撃され、マン島の収容施設に送られ、その後故郷であるルーマニアへと逃れてきたのだった。
それからしばらくはブカレスト大学において教鞭をとり、同じような主張をしていたミトラニーだったが、その主張がたまたまカロル2世の目に留まったのだった。
カロル2世といえばその乱れ切った私生活と時代錯誤な専制君主のような振る舞いで知られる人物だったが、今回の世界大戦においては意外なことに中立政策の維持に腐心していた。
それこそがルーマニアの、ひいては自身の利益にかなうと信じてのものであり、石油の売却をもとめるドイツにはフランス資本の傘下であることを断り、反対にフランスに対してはドイツからの保護を名目に、その石油利権の接収をほのめかした。さらに姻戚関係にあることを理由にしたロシアからの参戦要請には断りつつも、義勇兵という形で自身に批判的だった軍人たちを送り込んで処刑場として利用していた。これらに対して批判的だった軍人イオン-アントネスクによるクーデター計画が発覚すると、その妻がユダヤ系であることを理由として国内でも粛清を開始するなどして権力維持に努めた。
こうしたルーマニアの態度と産油国であるという利点から各国はその歓心を買おうとし、兵器の供与や戦後のさらなる投資を約束した。カロル2世は特に兵器の模倣を試みるように命じたが、基礎工業力に劣るルーマニアでは容易にすることはできなかった。
カロル2世がそうまでして軍備拡張を急いだ背景には南のブルガリア帝国の存在があった。
ルーマニアと同じくロシアと姻戚関係にあるブルガリアだったが、ドイツ軍によるロシア侵攻が始まると同時にドイツに対して宣戦を布告し、ロシア戦線で戦い続けていた。建国時のロシアへの恩義から、その士気は高く、また自らが直接ドイツと国境を接していないこともあり十分な数を派兵していたため、大協商各国からバルカン半島における唯一の大協商参加国(より正確にはイタリア王国と同君連合関係にあるとされるアルバニアも参戦していたが、こちらは事実上の植民地)となったブルガリアが戦後のバルカン半島における中心的地位を担うであろうという、最大限好意的な言葉までも引き出していた。
当初はただのリップサービスに過ぎないと考えていたカロル2世だったが、その後行なわれたブルガリア帝国とギリシア=トルコ社会主義連合のトラキア地域をめぐる会談においては、大協商の中心国家であるイギリスとフランス共和国がそろってブルガリアの側に立ち、それを見たカロル2世は考えを改めた。ルーマニアもまた北ドブルジャという係争地帯を抱えているからだった。
しかし、前述のように兵器生産に問題があり、なによりも軍自体を信用していなかったカロル2世は、自らの得意技である策謀をもってブルガリアを下し、ルーマニアをバルカンの中心国家としようと考えた。そのためには何らかのきっかけが必要だったが、ミトラニーの理論はまさにそのきっかけとして最適だった。
ブルガリア皇帝であるフェルディナントは主戦論者だったが、皇太子であるボリスは中立を維持すべきと考えていたため、カロル2世から伝えられたミトラニーの構想に大いに賛同した。さらにもう一国の隣国であるモンテネグロ=セルビア王国とアドリア海沿岸部とスラヴォニア地方を除くクロアチアとボスニア=ヘルツェゴビナ北西部の一部を支配している亡命オーストリア=ハンガリー政府(ハンガリーには独自の共和国が誕生してもう20年以上がたっていたが、いまだにその称号を名乗り続けていた)などが、それぞれ賛同したこともあり、その後のバルカン連盟、通称小協商の成立につながることになる。
最近は私事で忙しく投稿が遅くなってしまい申し訳ありませんでした。
第277話の合衆国艦隊司令長官をアーサー-ジャピー-ヘプバーンからクロード-チャールズ-ブロッホに変更しました。




