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第278話 スバジオ山の戦い

1940年6月10日 イタリア王国 アッシジ スバジオ山 フランチェスコ聖堂

「修道院付近に対空砲」

「かまうな墳進弾を撃て」

「1機、落ちるぞ」


アッシジの聖フランシスコの生まれた街であり、その誕生を記念して建てられたフランチェスコ聖堂および修道院は現在、戦場となっていた。


北イタリアへの侵攻作戦とともに、運よくかつてのオルランド政権の弾圧を逃れたイタロ-バルボを政府首班とするイタリア社会主義共和国の樹立をミラノで宣言し、それに対して、イタリア政府は首都をフィレンツェ、次にはナポリに移して抗戦の姿勢を示した。この際に問題となったのが、各地に残された文化財の数々だったが、当初はイタリア政府はこれらの行方について楽観的な見通しを持っていた。


それらが貴重な文化財である以上悪くてもドイツ本土に持ち出される程度で済むだろう、と。


だが、ドイツ人たちはミラノにあるサンタ-マリア-デッレ-グラツィエ教会を略奪すると、封建的な退廃芸術であり、農民と労働者に対する搾取の象徴として、レオナルド-ダ-ヴィンチの名画の一つ『最後の晩餐』を爆破し、その様子を記録映画『正義の勝利』として誇らしげに公開した。


この衝撃的な知らせを受けてイタリア政府は以降は積極的な文化財の疎開に乗り出した。そのうち、スバジオ山にあるフランチェスコ聖堂よりフレスコ画などを持ち出すように命じられたのが特殊回収部隊だった。


この特殊回収部隊は任務はもちろんこと装備する機材も特殊だった。その特殊機材とは同盟国であるロシア帝国からもたらされた回転翼機であり、部隊はこの回転翼機を使って文化財回収を行っていた。


この日の任務もそうした回収作業の一つだったが、不幸なことに事前情報とは違い、すでにスバジオ山は敵の手に落ちていた。


各地に設置された対空砲が火を噴き、回転翼機たちは次々と落ちていった。もちろん、回転翼機の側にも武装はあるから、20mm機関砲や墳進弾で反撃はするのだが、当時の回転翼機では武装数に限界があり、また、回収作業という任務内容から、装甲を外して、ダミーの武装を搭載しただけの運搬専用機材も交じっており、はじめは回転翼機の、従来の機体とは異なる動きになれなかった対空陣地も次第にその砲火で回転翼機を次々に落としていった。


撤退こそ決断したが、無事帰れるとは到底思えない、誰もがそう思っていた。空に多数の機影が現れたのはそんな時だった。イタリア陸軍航空隊所属のカンピーニ-ホイットル戦闘機が支援攻撃を開始したのだった。


この、カンピーニ-ホイットル戦闘機は他国でのジェット機の開発があいついだことに不安を覚えたイタリア陸軍航空隊がセコンド-カンピーニに依頼して設計させた機体をモータージェットの開発を通してカンピーニと親交のあったイギリス人技術者フランク-ホイットルが改良したものであり、ホイットルの提唱する遠心式ターボジェットエンジンを搭載した機体だった。本土防空の切り札として期待されたカンピーニ-ホイットル戦闘機だったが、ドイツ軍の侵攻が始まると、その高速から戦闘爆撃機としての任務も求められるようになっていた。


支援攻撃で対空砲の多くが沈黙し、特殊回収部隊の残存機体は撤退のため帰路に就いた。ジェットエンジン特有の轟音が聞こえてきたのはその時だった。


「来てみればもう終わりだと、冗談じゃない」

「しかし、連中はすでに帰路についています。追撃の必要はないと思いますが?"隊長"」

「それがどうした。やるのは護衛機だけだ。低空の機動で劣るこいつで回転翼機と闘うつもりはない。それとも、お前たちは俺が横腹を見せてる敵すらやれないというのか、やるぞ、やるんだ」


帰路に就く機体に、正確には支援攻撃を終えたカンピーニ-ホイットル戦闘機にドイツ人民空軍のジェット戦闘機である全翼機が食らいついた。イタリア社会主義共和国軍よりの支援要請を受けて遅ればせながら到着した機体だった。


(くそ、相変わらず"隊長"の機動はめちゃくちゃだ。どうして、この操縦の難しい機体であんな無茶な機動ができる?いや、めちゃくちゃなのはそもそも、この機体そのものからしてそうだったな。今度会う機会があったら兄貴として文句の一つも言ってもいいはずだ)


機体を自らの体の一部のように操る"隊長"に追従する2番機であるヴォルフラム-ホルテンはそう思った。この全翼機の設計者はヴォルフラムの実の弟であるヴァルターとライマールだった。

はじめて、この機体を見たときには自身の弟が設計した機体ということで、その配備を喜んだものだったが、その喜びは長くは続かなかった。全翼機はその操縦が難しいことで知られておりそれを操るのは熟練操縦士であっても難しく、前任の隊長が事故死するとヴォルフラムをはじめとした隊員たちの士気は下がった。


さらに、士気を下げたのが後任として着任した"隊長"がハンス-ウルリッヒ-ゲーリングというまだ若い青年であったことであり、ゲーリングという名から人民空軍総司令であるヘルマン-ゲーリングのコネで就任したと考えられたことから、一時は、人民空軍総司令の息子が最新鋭機を装備した部隊を率いるというプロパガンダのために本土で飼い殺しにされるのではないかと噂されるほどだった。


だが、当の"隊長"にはその気は微塵もなく、軽々と全翼機の操縦を会得するとすぐさま前線に送るように願い出た。むしろ自らの手で戦果を挙げることにかなりのこだわりを持っているようだった。


実際のところ、"隊長"はずっと前線配備を願い続けていたのだが、結婚もせず実子もいなかったゲーリングから実の子以上に溺愛されていたため、ゲーリングの側がどうにかして前線配備を阻止し続けていたのだった。


だが、祖国のすべてが戦争に動員されていく中、自身だけが蚊帳の外の置かれている様は"隊長"とってずっと不満であり、だからこその前線配備を願い出ていたのだった。そして、何度かの公式の嘆願とほとんど怒鳴りあいに近い電話や罵詈雑言の混じった手紙といった親子の間でのやり取りを経て、妥協として、それほど大協商の攻撃の激しくないイタリア戦線に送られ、この日初戦果を挙げたのだった。


スバジオ山での戦いは多くの兵員こそ失ったものの、そこを守り抜いたイタリア社会主義共和国の勝利に終わり、フランチェスコ聖堂におさめられた美術品の多くは破壊あるいは散逸することになった。

カンピーニとホイットルの間に親交があったというのは創作です。


特殊回収部隊は本当はアスカリ-デル-シエロにしようと思ったんですが、創設にあたって大きな影響を与えたのがバルボだったので断念しました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ハンスとヘルマン・ゲーリングの親子鷹。 ドイツ内戦の廃墟での出会いが思い出されます。 やはり幼きハンスを想像するのには努力が必要ですが。 だって、あの人は生まれた時から鉄の歯をして飛行帽か…
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