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第277話 内戦あるいは革命<下>

本当はGW前に投稿したかったのですが、遅れてしまい申し訳ありません。第276話のタイトルを変更しました。


次回からは第二次世界大戦のほうに戻ります。

1940年1月22日未明、マッカーサー率いる予備役部隊がワシントンへの進撃と激しい攻防戦の末、ワシントンを制し、ハーストを戦死(とされているが、後世の歴史家によれば逃げようとしたところを、砲撃に巻き込まれた可能性が高い)させたが、大統領亡き後はルイジアナ州バトンルージュにヒューイ-ロング率いる南部臨時合衆国政府、カリフォルニア州サクラメントにアプトン-シンクレア率いる西部合衆国暫定政府が樹立された。しかし、それらの政権に加えて、ワシントンを掌握したクーデター部隊も、すぐにアメリカ全土を制することはできなかった。状況がとにかく混乱していたからだった。かつての内戦である南北戦争と異なり、明確に州ごとに意見の定まったものではなく、それどころか、連邦軍並び州軍でも部隊ごとに撃ち合いが始まったほどだった。それは都市部でも同様であり、民兵(ミリシア)たちがそれぞれの敵対者たちを血祭りにあげていった。


しかし、大まかな支持傾向は決まっていた。例えば太平洋岸諸州は愛国党政権下において目障りなアジア系の排除に成功した"実績"から、愛国党支持が比較的強かった。東部地域で奇異に思われていたテクニカル-アライアンスが宣伝していたテクノクラシー運動についてもテクノクラシー運動の"科学的"な統制策と当時全盛を迎えていた"進歩的思想"である優生学、そしてアメリカは民主主義の守り手であり伝道師であるべきという"啓蒙的な"思想が融合したカリフォルニアン-イデオロギーとのちに呼ばれることになる独特の思想的基盤から支持が強かった。これらの安定した支持基盤は東の中西部に行くと弱くなり、南部ではルイジアナ州を除きモザイク状だったが、北部ではニューヨーク市などの一部の都市を除けば愛国党政権への反対者のほうが多かった。


第2大陸軍を名乗った反乱者たちは各地で蜂起したが、一方で海軍においてはかつての南北戦争同様に離反者は少なく、主力である合衆国艦隊を率いるクロード-チャールズ-ブロッホの意向もあり、中立的な姿勢を保った。しかし、それは海軍がこの戦いにおいて何もしなかったというわけではなく、未だ反抗的なカリブ海や太平洋諸地域の島嶼部において本土の混乱から発生した小規模な反乱を鎮圧し、白人(グリンコ)への憎しみから軍事的行動が予測されていた南米各国に対し砲艦外交を展開した。敵対者であった大日本帝国海軍からも、その整然さを評価されているほどだった。


対する第2大陸軍はいまだアフリカに帰還できていない黒人たちに対してその地位の向上を呼び掛けた。第2大陸軍の中心人物であったスメドレー-ダーリントン-バトラーやジェームズ-アロイシャス-ファーリーが黒人たちに好意的な人物であったためであり、また、ルーズベルト政権下で西部地域へと大移動した黒人たちを蜂起させることにより、愛国党系の勢力の中で最大の規模を持つサクラメント政府に打撃を与えることをねらったものだったのだが、これは第2大陸軍からの南部地域の離反を招くことになった。大戦中の北部地域からの大規模疎開によって、西部地域とともに工業化が進んだ南部地域の離反は第2大陸軍に大きな打撃を与えた一方で、西部地域で蜂起した黒人たちは特に組織化されたものでもなく、すぐに鎮圧されてしまい、第2大陸軍の犯した最大の失策であるといわれている。第2大陸軍は自らの戦いを第2次独立革命と呼んでいたが、かつての大陸軍がイギリスに与する王党派の多かった南部地域を味方にして勝利おさめたのとは逆に南部を失ったのだった。


第2大陸軍の蜂起と時を同じくして北の大地では自由カナダ運動が組織され、各地で抵抗活動が行われていた。これに対し、第2大陸軍側は愛国党政権打倒のための提携を呼びかけたのに対し、愛国党政権はカナダ人抵抗者たちに対する断固として鎮圧すべく、厳しい姿勢をとり、この点においても対照的だった。しかし、この自由カナダ運動との提携は第2大陸軍に属していた軍人たちや民兵たち、それに戦時中に激しい攻撃を受けた五大湖周辺やメイン、バ―モントといった諸地域の住民を失望させる結果となった。バトンルージュ政府は北へ、サクラメント政府は西へそれぞれ進撃を続け、ケンタッキー州パデューカで両軍は握手を交わした。


結局のところ第2大陸軍を率いていたバトラーたちはあまりに理想主義的過ぎたのだった。

さらに、6月21日にバトラーが病死し、求心力にも陰りが見え始めると、新たに第2大陸軍総司令官に就任したマッカーサーはケンタッキー州レキシントンにおいて決戦を試み、質量ともに勝るバトンルージュ政府、サクラメント政府の両軍に多くの損害を与えたものの、降伏を余儀なくされた。


この報に対し、第2大陸軍は9月15日ついに無条件降伏を決断し、本土での戦いは終わった。戦後のアメリカでは愛国党支持層の多かったニューヨーク州ニューヨーク市周辺がトリ-インシュラ州として分離するなどの政治的変化が起きたが、大戦中の大規模疎開によって工業地帯として地位を失い、一部を除けば、反愛国党支持が最後まで強かったことから、長きにわたりアメリカの政治経済を牽引してきた北部地域はその地位を失うことになった。

残るカナダでの戦いは一方的な虐殺だった。自由カナダ運動に対して戦時中以上に激しい攻撃が行われ、投降した者たちも、多くは降伏が許されずに処刑されることになる。フランス系はもとよりアングロ系カナダ人も自由カナダ運動に加わっていたことから、以降アメリカは傀儡政権ではなく軍政による直接統治を目指すことになる。


こうした内戦にもかかわらずアメリカがその勢力圏を維持できたのは、アメリカ海軍の中立的姿勢に加えて、ほかの列強諸国がいまだに第2次世界大戦に忙殺されていたことが最大の理由だった。

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