第276話 内戦あるいは革命〈上〉
1940年1月21日 アメリカ合衆国 ヴァージニア州 フォート-リー再訓練施設
「まさか、この私が祖国に対して…いや、違うな。これこそが祖国を救う唯一の方法なのだ」
ここ、フォート-リー再訓練施設において予備役の再訓練にあたっていたダグラス-マッカーサーは自分にいい聞かせるようにそう言った。無理もなかった。何しろこれから自分がしようとしていることは祖国への反逆に他ならないのだから。
マッカーサ-が行おうとしたのは現在の愛国党政権を根底から覆すこと、つまり、クーデターだった。
成功すれば勝者として歴史に名を残すが、失敗すれば反乱者としてすべてを失うことになる。しかし、それでもそれを為そうとする者たちはいた。
中心となっていたのは元海兵隊少将のスメドレー-ダーリントン-バトラーだった。
バトラーは世界大戦に対して懐疑的な見方をしており、それゆえ、戦時中でありながら予備役編入された人物であり、中間選挙後に流布された陰謀論であるフィリピン戦の敗北の隠ぺいについては厳しくこれを批判していた。
そんなバトラーが軍事的な冒険であるクーデターを実行しようと考えるようになったのは、自身がガンであり、助かる見込みはないことを医師に宣告されたからだった。祖国の民主主義滅んでゆくことに耐えられなかったバトラーは死ぬ前に非合法な手段を使ってでも、愛国党政権打倒を考えるようになった。
もちろん、愛国党政権のかなめであるBOIはこれらの動きに目を光らせており、その報告を聞いたハーストはすぐにバトラーを拘束するとともに、最悪の場合に備えて軍の再編を進める事とし、大協商に加えてアジア各国及びロシア帝国との講和を急がせた。重要な同盟国である極東社会主義共和国の不興を買ってでも講和を進めたのにはこうしたわけがあった。
こうして迅速な講和による戦争終結がなされる一方で、アメリカ国内では緊張が高まったが、こうしたBOIの動きはバトラーも織り込み済みであったため、巧妙に偽装しつつ活動を続けた結果、結局バトラーに関しては証拠不十分で拘束がとかれることになった。もちろん、監視は続けられていたが拘束下に比べれば緩いものであり、愛国党内の協力者の存在もあってそれなりに自由度は高かった。
愛国党内の協力者はかつて義勇飛行隊『フライング-ラフライダーズ』の名目上の指揮官であったセオドア-ルーズベルト-ジュニアだった。『フライング-ラフライダーズ』の活躍によって国民からそれなりの人気があったルーズベルト-ジュニアだったが、そのことが逆にハーストの警戒を招き、冷遇されていた。
そんな、ルーズベルト-ジュニアに接触してきたのがバトラーのクーデター計画を政治面で支えていたジェームズ-アロイシャス-ファーリーだった。ファーリーに懐柔されたルーズベルト-ジュニアがクーデター計画を助けるようになるまでそう時間はかからなかった。
バトラーが軍を率いる将ならば、ファーリーは軍師であり、この2人のどちらかがけていれば、そもそもクーデターは起こすことすらできなかった言われている。
そうして、ルーズベルト-ジュニアを通じて逆にBOIから情報を得ていたファーリーは反愛国党的とされる軍人たちに接触を図った。マッカーサーはその筆頭とされていた。
マッカーサーは再訓練施設の中の人間から慎重に人選を開始した。
しかし、再訓練施設の老兵たちは意外にもクーデター計画に関して好意的だった。愛国党支持者でさえ、ハーストやミッチェル以前のルーズベルト政権に戻りたいと考えている者たちが多かった。
これを知ったマッカーサー、そして、マッカーサーからの報告を聞いて知ったファーリーやバトラーはさらに自らの計画の成功を確信したが、しかし、それほどまでにハースト政権は支持を失っていたかといえば答えは否だった。
こうしたかつての政権への回帰を訴えていたのは、比較的を年を取っていた者たちだった。特に老人たちはハーストが大統領選挙対策として発表した社会保障計画であるタウンゼント計画の強制消費条項をことのほか嫌っていた。戦争以前の自由な空気に慣れ切った者たちにとって対して月30ドルの支出が定められた社会保障など、端金と引き換えの奴隷化にしか思えなかった。逆にミッチェル政権以降しか知らないもしくは覚えていない若い世代はイギリスをはじめとした敵対国家への憎しみから、むしろハースト政権への支持を強めていた。
農村地帯の多い中西部では事態はより複雑であり、大規模な耕作地化の弊害であるダストボウルにより土地を失った農民たちへの解決策として占領下にあるカナダへの移住を呼び掛けたハースト政権の政策に対して、賛成派と反対派で意見が分かれた。愛国党出身の知事であるバートン-ウィーラーが治めるモンタナ州ではとりわけその対立が深刻化した。
移住反対派に加えて、新たな州である自由州の創設を目指す愛国党政権への平和主義的な反対者たちも合わさって対立は長期化した。この、自由州運動は各地で様々な運動を行ったが西部地域ではのちにアブサロカ準州という形で、モンタナ州やその周辺諸州も巻き込んで実現されることになるが、それはまた別の話だった。
こうして、愛国党政権からは第2次内戦、愛国党政権に反対する者たちからは第2次独立革命と呼ばれる反乱が勃発したのだった。




