第271話 内閣総理大臣官邸での会談
1939年10月15日 大日本帝国 東京 内閣総理大臣官邸
「ふむ、ではどうしても受け入れてはもらえないと」
「同盟国である貴国の窮状に関してはお察しいたします。しかしながら、アメリカとの講和など国民が許さないでしょう」
「ですが、このまま続けば困るのは間違いなく日本でしょう。考えてもみてください、欧州が共産化すれば残るのはアジアだけとなります。そのときアメリカは指を咥えて待っているだけだとでも?そのような楽観的な予測が現実となることは、まずありえないはずです。そして、孤立した哀れなるアジアは東西から攻撃を受けることになるでしょう。しかし、しかしです。もし今、アメリカとの停戦と来たる欧州派兵を実行なされれば、将来には逆にアメリカを東西から挟撃できるのです。閣下、この国には損して得取れという言葉がありますな。今がまさにその時だとは思いませんか?もし、将来の確実なる勝利を望むのであれば、今こそ停戦の時なのです。わがフランスは貴国の決断を尊重しますが、もし停戦を望まれるのであれば喜んで仲介を行いましょう」
駐日フランス大使イヴ-ポール-ガストン-ル-プリウールは大日本帝国の内閣総理大臣である徳川義親に対して流暢な日本語でそういった。
プリウールはかつて駐日フランス大使館で駐在武官兼通訳を務めていた経験があった。フランスに帰国後政党政治に批判的であったプリウールは、そのことを評価され、政党政治家の息のかかっていないものを求めていた首相であるアンドレ-タルデューによる政治的な任用によってブーゲンビル島問題をはじめとする太平洋の緊張が高まっていた時期に大使に任命されていた。
そのプリウールが首相官邸に姿を見せていたのは、大西洋休戦協定についての説明を徳川から求められたからだったが、プリウールは徳川に対し逆にアメリカとの講和こそが将来を考えれば最善の策であることを力説した。
(言っていることは正しいのだろう。だが…)
プリウールの説明を聞いても徳川は迷っていた。かつての政党政治家の多くは徳川をはじめとする新民本主義運動の者たちが、この戦争を機に革命を目論んでいると陰で吹聴していたが、実際のところ、少なくとも、戦争指導に必要な体制を構築するために従来のものに手を入れることはあっても、少なくとも革命を起こす気などは徳川には皆無だった。そのため講和そのものは徳川にとっても新民本主義運動のそうした疑いを晴らすという意味で歓迎すべきものだった。だが、国民の多くが聖戦の完遂を求めている以上、その怒りの矛先が自らだけでなく、"御上"にまで向くようなことがあれば、本当の意味での革命が起こるかもしれないと思うと安易に講和などはできなかった。
現状提示された条件としては、大西洋休戦協定の成立に伴い保障占領した仏領北マリアナ諸島の扱いについては保留としたうえで現在、日本軍の占領下にあるアメリカ領グアムについては返還、極東社会主義共和国が上陸中の樺太島と千島列島については北緯49度線で分割し、休戦境界線とすること、交戦中のアメリカによる都市攻撃や大清帝国台湾府における日本人移民の人権侵害等については休戦後に改めて協議をすることとされており、大日本帝国にとっては短期的に見れば得られるものより失うもののほうが多い講和だといえた。
一方でプリウールの言うことももっともであり、欧州諸国が完全に社会主義ドイツに屈服した場合、残ったアジアのみで対抗ができるかと言われれば、まずできないだろうと考えられた。何しろ残るのは工業地帯の多くが廃墟となったロシア帝国、軍閥化が進みつつある大清帝国、国王英宗による近代化の号令にもかかわらずいてもいなくても変わらないほど弱体な朝鮮王国、そして、主を失いどう動くかわからない旧欧州植民地、そのような存在のみでアメリカ、そしてドイツに対抗できるはずがなかった。
「しかし、大使、我々としても何の備えもないまま、事実上の後退をすることはできません」
「もちろんです。我が国はイギリスとともに貴国と周辺諸国の安全保障のために新たな枠組みを用意するつもりです。また、我が国独自のものとして更なる技術交流の拡大をはじめとするさらなる関係の深化を行いたいとも考えております」
「安全保障のための新たな枠組み…ですか」
徳川にとって、その言葉は大きな意味を持つように聞こえた。しかし、それでもまだ、即答はできなかった。たった一度言われただけの言葉に帝国の将来を預けることはできなかった。
結局、そのあと、徳川とプリウールはいくらか言葉を交わした後に会談を終えることになった。
「だめでしたか」
「そう早く、説得できるとは思っていないさ」
プリウールは官邸を出た後、友人であり、駐在武官でもあるアントワーヌ-ド-サン-テグジュベリの言葉にそう言った。
大使館の公用車に乗り込もうとしたプリウールの目に私服姿の男が警備ともめているのが見えた。その男はプリウールを見てから何かを話した。それはほとんど奇声のようだったが、プリウールの堪能な日本語能力はなんと言ったのかを理解した。
天誅、そう男は言ったのだった。言い終わると同時に男は手製の爆弾と思しきものをプリウールに向かって投げた。瞬時にサン-テグジュベリがプリウールを突き飛ばした。意識を失う前にプリウールが感じたのはガラス片が突き刺さったと思われる痛みだった。




