第267話 第2次世界大戦<10>
1939年6月1日、ドイツ自由社会主義共和国はイタリア王国及びスイスに対して宣戦を布告し、同時にヘリオガバルス作戦並びにタンネンバウム作戦を発動した。
両作戦はそれぞれイタリアとスイスを標的にしたものだったが、その目的はヘリオガバルス作戦がイタリアおいて混乱状態を作り出すことにより、フランス侵攻中のイタリアによる攻撃を防ぐことを、タンネンバウム作戦がスイスの制圧によるフランス共和国への侵攻ルート確保を目的としていた。
そのため、ヘリオガバルス作戦には数は少ないながらもドイツ系住民が暮らしていた旧オーストリア=ハンガリー帝国領であるチロルや、ダルマチア、地下に潜伏した社会主義組織が存在していた北イタリアといった地域においてテロや暴動を引き起こすことによる混乱を引き起こし、さらに首都であるローマに対して無人航空機による攻撃を行なうことによって、さらにその混乱を助長しようと考えていた。
この無人航空機はドイツ人民空軍司令、ヘルマン-ゲーリングの知己であるオーストリア人技師オットー-カウバが設計したものであり、同盟国であるアメリカ合衆国が対日戦で使用したものに触発されて作られたものだったが、その形状は大きく異なっており、機体全体が翼としての機能を持つ全翼機だった。
この機体は戦略物資削減のために木材を多用したこともあり、イタリアに配備されていたイギリス製電波探知機の警戒網をすり抜け、ローマ上空に到達した無人航空機は炭疽菌の散布を開始し、ローマ市民、イタリア政府、ローマ教皇庁の区別なく猛威を振るった。さらに、命からがら避難した人間から伝染したことにより、人々はかつてのメキシコ風邪のように、その感染拡大を恐れるようになり、イタリア各地で様々な問題を引き起こした。ドイツの計画通りならば、これによりイタリアは混乱によって動けなくなるはずであり、その間にフランスを打ち倒すことができるはずだった。
タンネンバウム作戦でもジュネーヴやベルンといった都市部やスイス各地に設けられた要塞群を標的として同様の無人航空機が使われたが、弾頭は異なっておりその中身は放射能兵器だった。1925年のアルベルト-アインシュタイン研究所における核分裂反応の発見以降、特にドイツを中心にその応用が模索されていたが、その研究が進む中で放射能の危険性についても注目が集まった結果、開戦後には実用化が困難といわれたウラニウム爆弾より、手頃な放射能兵器の開発に重点が置かれ、資材不足による中断の危機にあいながらもようやく完成させたものだった。化学兵器はともかく放射能兵器に対する対策など考えていなかったスイスでは一般市民を含む多くの人間が被曝することとなった。さらに攻撃後にはポーランド人部隊で編成された突破部隊が瞬く間に国境を越えて進撃し、スイスを横断してフランス領内に入った。
一連の攻撃に対して大協商は何もできなかった。事前に欺瞞作戦として独立を勝ち取るためには社会主義者と手を結ぶことを厭わなかったアイルランドやブルターニュ、フランドルの過激派によるテロや暴動とその後の捜査によってフランス北部への侵攻作戦の存在が明らかにされていたためだったが、それ自体が偽情報だったため、現地が混沌としていたこともあって、状況の把握すら満足に行なうことができなかった。フランス外交官の『ローマ、ベルン応答なし、詳細は不明』という言葉はのちに当時の大協商の混乱ぶりを象徴する言葉となった。
その後、ドイツ軍がスイス国境付近のアヌシーを占領したという知らせが入ると混乱はさらに広がった。フランス軍を中心とした大協商軍はそのような中でも再編成を進め、リヨンにて激しい攻防戦が展開されることとなった。
リヨンの中に立てこもるフランス軍とそれを攻略しようとするドイツ軍とさらにそれを包囲しようとするイギリス、フランス両軍という構図で始まったリヨン攻防戦はリヨンの市街地の大半が瓦礫と化す激しいものであり、一般市民を巻き込んでの市街戦が行なわれた。
空では世界初のジェット機同士の空戦が行われる一方で、地上では小銃すら持たない者たちが物陰で息をひそめながらドイツ兵を殺す機会を伺う、そんな戦いが繰り広げられていた。
一方、イタリアそしてスイスへの攻撃を引き起こす原因となった、アメリカの提携国陣営の離脱阻止という目的に関しては達することができなかった。むしろ、この攻撃によってより状況は悪化する事となった。
ルーデンドルフは経済とはあくまでも戦争に必要なものであっても、それ自体が戦争を左右するものではなく、国家が存続している限りにおいて、戦争の継続は可能であると考えていたが、アメリカは特にスイスへの攻撃において、多くの自国資産が紙くずとなったことに困惑したのちに激怒した。
もともと、財界出身者であるハーストからすれば経済の要であるスイスへの攻撃などは質の悪いジョークとしかとらえていない節があったのだが、実際に攻撃の報がもたらされると、しばらくは茫然としていたという。
そして、経済的に深刻な打撃を受けたアメリカでは戦時下にかかわらず現物資産である金への交換を求める人間が殺到したために、金交換を停止し、代わってハワード-スコットを中心とするテクニカル-アライアンスの提言によって、物品の製造に必要なエネルギーによって定義されるエネルギー本位制通貨を緊急的なものとして発行することを決定したがそのようなことで簡単に収まることでもなく、結局、政府による統制をさらに強めることにつながったのだが、国民党にを中心に統制策や何よりも愛国党政権に対する反発は根強く、アメリカ国内のそうした混乱に対処するためにもハースト政権はより早期の講和を成し遂げる必要に迫られることになり、結果としてアメリカの離脱を阻止するためのドイツの作戦がもっともアメリカを講和へと傾ける要因になったという皮肉な結果となった。
しかし、本来ならばアメリカのこうした姿勢の変化を最も喜んだはずの大協商陣営では、アメリカとの講和に賛同するイギリス、フランスと最低でもアメリカによる極東社会主義共和国への支援中止を求めるロシア帝国、満州と蒙古が極東の占領下にある大清帝国、そして開戦時に奇襲攻撃を受け、現在でも樺太において極東と交戦中の大日本帝国とでは意見がかみ合うことはなく、また、イギリス、フランスとアメリカの間でも細かい条件をめぐって対立があったため時間だけが過ぎていくことになった。
スイスへの攻撃には神経剤を使うか炭そ菌を使うかそれとも原爆を使うかで迷った結果、間をとって(何の間だ…)放射能兵器にしました。
実は裏で原爆開発していましたと言って、いきなり核攻撃というのは某商業仮想戦記で見てかなり困惑した思い出があるのでそういう展開は避けたかった。




