表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
263/330

第263話 忘れられた国

1938年7月9日 ドイツ帝国領南西アフリカ ヴィントフック シュヴェリーン城

ドイツといえばドイツ自由社会主義共和国のことを指すようになって、もうすぐで20年となろうとしていた。だが、革命の際に社会主義者たちが完全に打倒と宣言した旧体制であるドイツ帝国はアフリカの片隅で確かに存在していた。


近年では隣接するイギリス領の良港であるウォルビスベイがアメリカで大量生産された戦時標準船を改造した仮装巡洋艦、いわゆるリバティシップから逃れるための港として利用されるようになり、それに伴い南西アフリカを走る鉄道である国有鉄道(シュタッツバーン)も海路の代替輸送用に600mmから南アフリカと同様の1067mmに拡張され、さらに複線化もなされるなど今までと比べれば大幅に輸送力が増強されていた。


イギリスへの依存は軍備の面でも見られるようになっており、今や地球上で最後のドイツ帝国軍となった南西アフリカ植民地軍(シュッツトルッペ)は軍服以外はイギリス兵といわれるようになっており、十分な数を有していたマウザー小銃などの小火器を除いて多くの装備がイギリスからの供与品となっていた。しかし、そのような状況ではあっても、それでも黒、白、赤の三色旗を掲げ続ける限りドイツ帝国の臣民であるという誇りだけは保ち続けていた。


シュヴェリーン城はかつて、植民地の文官であったシュヴェリーン伯爵ハンス=ボギスラフ-ゲオルグ-ヴィクトルが自身の邸宅として完成させたものだったが、現在ではドイツ帝国皇帝であるアーダルベルト、統治名ヴィルヘルム4世の居城となっていた。アーダルベルトがあえて自身の名ではなくヴィルヘルムの名を冠したのはドイツ帝国は滅びていないということを示す必要があったからだとされる。尤もアーダルベルト自身は長らくイギリスにおり、南西アフリカに渡ったのは第二次世界大戦開戦後に南西アフリカでの動揺を鎮めるために来たところ大西洋での戦いが激しさを増したために容易に帰れなくなってしまったからなのだが。


「フォルベックよ、フランスからの回答はどうであったか」

「はい、陛下、やはり連中は我々を正当な政府として認めることを拒んでいます」

「フランスとて苦しいのは変わらないだろうに…仕方がないそちらはあきらめよう。それでは南米は?」

「ブラジル、チリおよびパタゴニアは領土内のドイツ人資産について将来的には我が国に返還する用意があるとのことで」

「そうか、ルントシュテットやファルケンハウゼンのおかげだな」


そういうとヴィルヘルム4世は首相兼陸軍大臣兼南西アフリカ総督兼植民地軍司令官パウル-フォン-レットウ=フォルベックに対して笑顔を見せた。

南米諸国には多くのドイツ系移民がいたが、それらの資産の多くはドイツ革命後に接収されていた。メキシコ風邪の感染拡大によってもともとそこまで豊かというわけでもなかった南米各国は、経済的に大きな打撃を受けていたたため根無し草となったドイツ系移民の資産接収によって、経済的損失を穴埋めしつつ、同時にその再分配あるいは私物化をすることによって、混沌の中から生まれた不安定な政権の支持層を確保しようとしたのだった。赤化した祖国に帰るのを良しとしない多くのドイツ系移民はそれを耐え忍ぶしかなかった。


しかし、第二次世界大戦の開戦直前での南米での戦争から、状況は変わり始めた。各国でドイツ系移民を戦争に駆り出そうとする動きが強まり、ブラジルではゲルト-フォン-ルントシュテット、チリではアレクサンダー-フォン-ファルケンハウゼンといった、いわゆるユンカー出身のドイツ系軍人たちが目覚ましい活躍を見せるようになっていった。


これらの軍人たちはパタゴニアに拠点を置くシュライヒャー機関が送り込んだものであり、その名の通りクルト-フォン-シュライヒャーが中心となったシュライヒャー機関は北欧各国に散らばったドイツ人ネットワークを利用してデンマークのマドセン社の機関銃やスウェーデンのボフォース社の大砲といった何れも亡命ドイツ人が開発にかかわった兵器類と軍歴を持つ多くのドイツ人亡命者たちを、各国政府に売り込んでいた機関であり、見返りに各国でのドイツ系移民の利権復活をもくろんでいた。


この構想は特にかつてのドイツ帝国陸軍で教育を受けた者たちが中心となっていたブラジルなどで受け入れられ、亡命ドイツ人たちはその強さを世界に向けて示すことになったのだった。こうした活躍はかつてのスイス傭兵がスイスに多くの富をもたらしたように安定こそしていても決して豊かとはいえなかった亡命ドイツ帝国を支えるための資金調達に亡命ドイツ人たちは役に立つことになる。


そのかいもあって正式にブラジルに加えて、チリ、パタゴニア、ウルグアイ、パラグアイの五か国が戦後の旧ドイツ人利権の返還を亡命ドイツ帝国政府に対して宣言したのだった。もっともこうした宣言は社会主義ドイツを激怒させた。なにしろシャルロッテ-アマーリエ会議の決定を否定して亡命ドイツ帝国を国家としてみとめたことになるからだった。そのため、同盟国であるアメリカを通して、その傘下にあるペルー、ボリビア、ベネズエラに加えて大協商に所属していたものの提携国のペルー、ベネズエラの占領下にあるエクアドルとコロンビア、そして中南米の国々では社会主義ドイツに忠誠を誓うことを拒否したドイツ系移民の収容が行われることになる。


唯一の例外はコスタリカ共和国だった。アメリカの世界戦略の要であるパナマ共和国とニカラグア共和国に挟まれたコスタリカは常にその圧力を受け続けており、1921年に旧スペイン時代からの不安定な国境線が理由で起こったパナマとの領土紛争では、当時建設が進んでいたニカラグア運河に対するパナマ側の反発を抑えるためにパナマに有利な形で国境が確定した。コスタリカ側は反発したが、アメリカは軍事介入を検討していることをコスタリカに暗に伝えたため、当時のコスタリカ政府は受け入れざるを得なかった。この1921年の屈辱によりコスタリカ人の多くはアメリカに恨みを抱いており、コスタリカにおいてはドイツ系移民のみならず日本人や清国人ですら自由に出歩けるような状況だった。


明確な敵対行為こそしないがアメリカの移行には逆らい続けるというコスタリカの態度をアメリカとしては苦々しく思っていたが、開戦からしばらくはコスタリカのような小国にかまっているよりもカナダや太平洋といった各地での作戦に忙殺されていたため、特に行動を起こすことはなかった。現在でもコスタリカ側は強気な姿勢を貫きつつもアメリカの報復を恐れてはいたが、アメリカの側ではすでにコスタリカのことなど忘れ去っていた。


世界大戦の最中にあって、そのような小国のことを気にかける余裕などどこにもなかったからだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ