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第261話 テヘランの大芸術家

1938年4月9日 イラン民主連邦共和国 テヘラン

「まぁ戦争中にしては割と早い方かな」


完成した未来派建築を見て、設計者であるアドルフ-ヒトラーは満足そうだった。ドイツ未来派の旗手として知られていた男は、本来ならば明日に控えたイラン革命20周年記念事業の一環として行われるはずだったテヘランの都市改造のために3年ほど前からイランにいたのだが、第二次世界大戦の勃発のために中止となったため今では個人の邸宅などの設計を請け負いながら、なんとか暮らしている状態だった。


イラン民主連邦共和国はいまだに中立を守り続けている国家の一つだった。

イギリスとロシア両国に挟まれていることから、国民の間では不満は大きかったが、アメリカ合衆国はともかくドイツ自由社会主義共和国が社会主義国家であり、宗教活動がすべて政府の監督下に置かれていることを考えると、例えドイツの側についたとしても、戦後はまともな扱いが受けられるとは思えなかった。


イギリス、ロシア両国もこうしたイラン国内の事情を知っており、情報戦の一環として社会主義者に捕まったムスリムたちの非人道的な扱いを次々と"公表"した。露骨なプロパガンダであるとわかるものだったが、イランを含めたイスラーム世界では反ドイツ感情が強まったが、いつもならばそれに対してドイツが対抗プロパガンダをぶつけてくるのだが、奇妙なことにドイツ側は特に反論しようともしなかった。


これはドイツ側がムスリムという存在を特に重要視していなかったためだったがこうしたドイツ側の無関心な態度は、その怒りをさらに増幅させるだけに終わった。こうしてイスラーム圏ではイギリス人もフランス人もロシア人も敵には違いないがドイツ人は敵以上の悪魔であるというのがもはや共通認識となりつつあった。もちろんイランでもそうした認識は主流になりつつあったのだが、一方でドイツ人と同じ社会主義者であるはずの旧ボリシェヴィキたちは、いまだにイランにおいてそれなりの地位を得ていた。


旧ボリシェヴィキたちが、建国直後より国家の近代化に手を貸していたというのもあったが、もう1つの理由としてはかつてのロシア内戦によりロシア帝国を追われた旧ボリス大公派やグルジア人、といった者たちは自分たちが生き残るために思想信条は関係なしに民族的に近い旧ボリシェヴィキたちを頼っていたからだった。

第二次世界大戦がはじまると社会主義者である旧ボリシェヴィキたちの中でも、ドイツの動きに同調しようとする者たちが現れたが、ヨシフ-ヴィサリオノヴィッチ-スターリンをはじめとする幹部たちは彼等を容赦なく粛清した。スターリンがいわゆる革命派を粛正したのは、ドイツの勢力圏がイランより遠く離れていることから、この段階で全権を掌握したところで、イギリスとロシアの手によって分割占領されるだけだろうという考えに基づく現実的な判断だったが、この行ないはドイツを激怒させ、以降、ドイツとイランは断交状態となった。


一方、イギリスは困惑しながらも称賛した。

イギリスにとってこの粛清はドイツに与する国が単に1つ消えたというだけではなかった。それはイラン国内に旧ボリシェヴィキという、もう1つの大きな政治勢力が残存し続けること意味しており、第2代大統領となったレザー-ハーンに代表される様な民族主義者たちが完全にイラン国内を掌握するのをある程度は遅らせることができると考えられた。


イギリスにとって、ある程度纏まっていたほうが都合がいいと考えて作り上げたはずのハーシム朝アラブ帝国がたびたびイギリスに対して反抗的な態度をとっているのは問題であり、だからこそ逆にイランにはある程度まとまりを欠いた国家として存在して欲しかった。そのほうが将来どちらに肩入れするにしても便利だったからだ。


このようなイギリスの思惑もあって現在のイランは平和そのものであったが、一方でイランとドイツの断行によって両国間での移動は大戦中であったことに加えて、さらに難しくなったためヒトラーのように祖国に戻らずイランで仕事を続けようと考えたもの少なくなかった。だが、そうした帰国命令に従わないものに対して本国であるドイツ政府は、国家に対する反逆であるとしてその市民権を剝奪した。


イランと似たような状況にあるのが、ギリシア=トルコ社会主義連合であり、ボスポラス、ダーダネルス領海峡を通過する船舶の航行を妨害しないことを条件にコンスタンティノープル国際管理地域に少数派となりながらも暮らしているトルコ系住民の状況の改善や、イタリア領アルバニアとの間で領有をめぐって係争地帯となっていたイピロス地域のギリシア=トルコ有利の解決に可能な限り努力することなどが定められた。流石にギリシア=トルコの中立化はバルカン半島での作戦を考えていたドイツにとっても衝撃であり翻意をもとめたが、ギリシア=トルコは自らがオレンジ-インターに属する国家であることを理由に断っている。

もっとも、ギリシア=トルコ内部でも親ドイツ派は多く、イランと同様にギリシア=トルコでもそうした者たちに対する粛清の嵐が吹き荒れた。コンスタンティノス-マニアダキス率いる秘密警察が、突然夜中にあるいは白昼堂々と逮捕していく光景はギリシア=トルコの都市のいたるところで見られた。アイギナ島のイオニアス-カポディストリアス孤児院に収容された孤児から選別された者たちからなる秘密警察は孤児の多くがアルメニアから追放されたポントス人だったため、ギリシア神話に登場するアイギナ島の蟻を人間の姿に変えて作られた冷徹な兵士であるミュルミドーンにちなんでポントス-ミュルミドネスと呼ばれて恐れられた。


「ほう、これが新しい家か」


ヒトラーが背後からから声を掛けられ振り向くと依頼主であるヨシフ-ヴィサリオノヴィッチ-スターリンが立っていた。通訳を介して依頼主であるスターリンに対して無事完成した旨を伝えると、スターリンは笑顔で握手を求め、ヒトラーはそれに快く応じた。完成した家を実際に案内して回って、疲れたヒトラーが事務所に帰ったのは日が沈んでからだった。


「お帰りなさい、叔父様」


事務所兼自宅に帰ったヒトラーを迎えたのは姪であり、イランには秘書代わりに同行していたゲリ-ラウバルだった。彼女はイランでの長期滞在が決まると、身の回りの世話までするようになっていた。


「…また、こんなに買ったのか、お前は」

「だって、あれもこれも、戦時だからってみんな質が悪いからいけないの、別に私が買いたくて買ってるわけじゃ…」

「ああ、わかった、わかった。せめて自分の部屋にしまうんだぞ」


ゲリの抗議を無視して椅子に腰かけたヒトラーの目の前に、タイミングよく淹れたてのコーヒーが運ばれてきた。


「ゲリにも困ったものだ。スターリン氏のくれた仕事がなければ今頃どうなっていたかわからないというのに、そうは思わないかナンシー」


ナンシーと呼ばれた女性、ナンシー-ミッドフォードは頷いただけだった。

ナンシーはかつて、ヒトラーのパトロンであったミッドフォード伯爵家の長女であったが、芸術家肌のナンシーは幼き日に出会ったヒトラーに憧れ、家を飛び出してドイツに渡り、ヒトラーのところに転がり込んできた。伯爵家からはナンシーを返すように手紙が来たが、ナンシー本人がそれを拒んだために伯爵家とヒトラーは絶縁状態になっていた。流石にかつて家族同然に扱われていた伯爵家との絶縁はヒトラーにとっても衝撃であったが、そのことを知ったナンシーはかつての社交的な人柄が嘘のように塞ぎこむようになってしまった。それを見ていたゲリが半ば無理やりナンシーもイラン行きに同行させていたのだった。異国での様々な体験もあって最近では笑うことも増えており、かつてのような明るさを少しずつ取り戻しつつあった。


後年、ナンシーの手によるヒトラーの伝記小説『彼の闘争』がベストセラーとなるのだがそれはまた先の話である。

評価ポイント1700pt記念作品です。

久しぶりの美大落ち回ですが、イランやらギリシア=トルコやらの説明が長くなって焦点がぼやけてしまった感じになってしまった…

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― 新着の感想 ―
[良い点] 数ある架空戦記(架空史?)の中でも、ちょび髭と筆髭が裏表無く笑顔で握手するのはこの作品が初めてなのでは。
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