第26話 戦車誕生
1908年6月1日 フランス共和国 ヴァル=ド=マルヌ県 ヴァンセンヌ
ロシア帝国のオデッサ攻防戦の開始から遡る事1月あまり、演習場に鉄でできた機械が搬入されていた。
その機械は箱の下にはトラクターで使われる履帯が備え付けられており、箱からは75mm砲の砲身が突き出していた。
「本当にこんなものが動くのかね」
「ええ、動きますとも」
ジョルジュ-ピカール陸軍大臣の問いに対し、発案者にして開発責任者のレオン-ルヴァヴァサー砲兵大尉は自信たっぷりにそう答えた。
元々の発案は1903年だった。元々フランス軍は主要仮想敵国のドイツ軍のように重砲を重視しておらず、75mm野砲のような機動性に優れた火砲を好んでいた、そこでルヴァヴァサー大尉は装甲に覆われ自ら動いて歩兵を支援する兵器を提案したのだった。
しかし、この新兵器に対し懐疑的だったフランス陸軍上層部には全く理解されなかった。それから3年後に第一次世界大戦が勃発するとルヴァヴァサー大尉は再び自らの発案した兵器の塹壕突破用兵器としての実用性を訴え、その採用を陸軍上層部に対して提案した。
これに対しフランス陸軍上層部は未だ懐疑的だったが、塹壕戦を一刻も早く終わらせたかったフランス政府の横槍によって計画が開始された。
かつてオチキス社と共に装甲車を開発した経験を買われ、シャロン社がその兵器の開発を任された。今までに前例のない兵器に開発は難航したが、ついに完成の時を迎えたのだった。
75mm野砲を据え付けただけの主砲に僅か80馬力のエンジンと、ドイツ軍のマウザー小銃の普通弾にギリギリ耐えられる程度の装甲、そして車長他3名の乗員。それがこの兵器の全てだった。
だが、ドイツ軍の塹壕を模した溝を物ともせずに乗り越え、榴散弾や榴弾を用いて支援射撃を実施するこの兵器にフランス陸軍上層部はそれまでの考えを改め、これまでのルヴァヴァサー大尉への扱いなどすっかり忘れ去ってルヴァヴァサー大尉と、その兵器を激賞した。
こうして、無事に軍上層部の好感を得た、その兵器はロシア帝国からの要請によって10月31日に秋季攻勢を実行することが決まると、フランス陸軍の切り札として急いで自動車会社のみならず鉄道メーカーまで動員して量産体制が整えられたが、そこで一つの問題が起きた。
それは、この兵器の名前だった。秘匿名称が付けられる事となったが、候補は多く、簡単に絞り込めなかった。
そして、その中から最終的に2案にまで絞られる事となった。
1つはシャール、フランス語でチャリオットのことであり、この兵器の役割を考えればまさに最適なコードネームと言えた。
そしてもう1つはテンダー、こちらは英語からの借用語で蒸気機関車の後部につけられる水や石炭が入ったタンクのことであり、この兵器の形状からそう名付けられたと言われている。
結局、議論が紛糾したのちに両方の名前が採用される事となり、シャールは騎兵用の偵察用装甲車として、テンダーは軍用機関車向けのものとして、表向きはそれぞれ別の計画として進められた。
ただし、この秘匿はドイツ人には兎も角イギリス人には効果が薄かったらしく、9月に当時のイギリス駐フランス駐在武官は本国に対し次のように書き送っている。
「フランス人は巨大なタンクを動かすためにド-ディオン-ブートン社にエンジンを発注し、少なからぬ工場を、その"タンク"の生産に割いています。おそらくその"タンク"というのは砲牽引用の機材と思われます。我がイギリス陸軍でもそのような機材を導入するべきだと愚考致します」
この手紙で使われた、恐らくはテンダーの誤記であるタンクという間違った名称が、後に英語で戦車の事を指す言葉になるのだが、それはまだ先の話だった。




