第25話 ペトログラードの会合
1908年7月2日 ロシア帝国 ペトログラード
開戦に伴ってペトログラードと改称された、サンクトペテルブルグにある一見目立たない屋敷に3人の人間が集まっていた。一人はどこにでもいそうな男。もう一人は一目で聖職者と解る格好の男。そして最後は見るからに怪しい男だった。
「遅くなりました」
「いつもの治療か、君の評判は余り宮廷内でよろしくないと聞くが、大丈夫かね」
「まあまあ、神父様、我々にとって唯一の足掛かりは彼なのですから」
見るからに怪しそうな男、ロシア帝国宮廷で祈祷師として皇太子の治療にあたっているグレゴリー-エフィモヴィチ-ラスプーチンが遅れた事に対する謝罪を口にすると、聖職者の格好をした男、ペトログラードの司祭にして労働者の権利保護を目的とする組織の指導者、ゲオルギー-アポロヴィチ-ガボンが胡散臭いものを見るよう目で見ながらラスプーチンを問い質し、それをどこにでもいそうな男、表向きは社会革命党の幹部だが、実は内務省のスパイであるエヴノ-フィシェレヴィチ-アゼフが宥めた。
彼ら3人がなぜここに集まっているかといえば、ロシア帝国の体制側からの改革を成すためだった。
ロシア帝国では戦争が長引くにつれて、社会民主労働党主導のデモやストライキ、サボタージュが横行し、特に社会民主労働党左派、通称ボリシェヴィキと呼ばれたレーニンを中心とした一派は革命の実行を訴え、各地で蜂起を行なっていた。
しかしながら、ロシア帝国ではこうした現状に対し全く危機感が無かった。かつてのナロードニキと同様に力で押さえつければ収まるだろう、と。
そのため、普段から労働者や活動家たちと接触して、強い危機感を共有していたガボンとアゼフは皇帝の信頼の篤いラスプーチンに接触し、皇帝ニコライ2世に対し改革を訴えようと考えていた。
「それで、具体的にはどうするのですかな」
「取りあえずは国会の開設が一つ、次に各地の労働者の組織化もちろんこれは社会民主労働党を極力排除する、最後に一定程度の土地改革だな」
「ドイツ帝国式の社会保障制度もアメとしては最適かと」
「なるほどわかりました。しかし私はあまり前面には出られない立場です。それとなく進言はしますが、改革は行なうにしても、この戦争が終ってからになりましょう」
その言葉を聞いてガボンとアゼフは深いため息をついた。いつ終わるかなど予想がつかなかったからだ。
現在、戦線は北はラトビアからドニエプル川に沿う形で、南はオデッサの前面までの線にまで後退していた。
ドイツ帝国も海上封鎖によって追いつめられていたため、それ以上の進撃はできずにこの線で戦線は膠着していたが、守るロシア側も苦しく攻勢を行う事ができずにいた。
当初は、フランスがドイツの攻撃を受け止め、ロシアが後ろから殴りかかるはずだったのが、この頃になるとロシアは自らが受け止めている間にフランスが西部戦線で劇的な突破を行う事を期待するようになっていた
余裕のなかったフランスはロシア側の提案を拒否し、ここに両国の関係に亀裂が入り始めていた。これを見たベルギー、オランダ両政府はイギリスやイタリアといった中立の国々に講和の仲介を依頼し自分たちだけでもこの戦争から抜け出そうとしたがドイツはロッテルダムやベルギー領コンゴの割譲、オランダ領東インドでの利権の一部譲渡といった条件を提示してきたため、講和の申し出は白紙に戻っていた。
しかし、転機とは思いもよらない時にこそ訪れるものである。
彼ら3人が会合をした翌日、ついにオデッサ市内にドイツ軍が突入し東部戦線最大の市街戦が幕を開けたのだった。オデッサを制圧しようとするドイツ軍とそれを阻止しようとするロシア軍との間で激しい戦いが繰り広げられた。
この事態にロシア政府内部でも講和論が囁かれ始め、それを見たフランス政府はロシアの離脱を阻止すべく軍に対して速やかなドイツ軍に対する攻勢作戦の実施を要請した。
第一次世界大戦の終わりは目前だった。




