第249話 奇襲攻撃と屈辱の日
1935年12月8日 極東社会主義共和国 カムチャッカ州 ザミャーチンスク アメリカ海軍飛行船 USSロクスベリー
「よし、さっさとばら撒いて帰るぞ」
ロクスベリー艦長であるウィリアム-ハルゼー-ジュニア大佐は不満を隠そうともせずそう言った。
「…我らがボスは、一体、何が不満なんですか」
「そりゃあれだよ、やっぱり自分の手で日本人を殺したかったからじゃないか?楽でいいのにな」
「聞こえてるぞ、セールスマン。いくら、相手が相手だからと言って気を抜くんじゃない」
仲間と軽口を叩いていた元投資会社のセールスマンで、開戦直前に辞職して海軍へと入隊したジェームズ-ヴィンセント-フォレスタルは怒鳴りつけられた。
カムチャッカのナガエフ湾に造られた港湾都市ザミャーチンスクはアメリカ合衆国の支援によって作られた都市だったが、ロシア帝国との戦争開始とその後のアメリカ義勇軍の参戦後にはアメリカ義勇艦隊の基地が設けられており、第二次世界大戦の開戦後には秘密裡に拡張され、アメリカ海軍の飛行船基地がつくられていた。
しかし、その拡張はすぐに国境を接する大日本帝国の知るところとなったが、統合参謀本部の下した決断は、艦隊保全主義と通商破壊戦略の継続だった。
アメリカアジア艦隊の戦力が強大である以上、通商破壊戦略の継続によって補給線を遮断し、彼らを追い詰め自らが有利な状況で艦隊決戦を強要するというのが開戦以前からの基本方針であり、それを変える事はあり得なかった。
実際、ザミャーチンスクへ向かう支援船団は幾度となく帝国海軍の潜水艦の攻撃を受けており、その指揮官であった南雲忠一は、アメリカでは懸賞金が賭けられるほどだった。それ故に帝国海軍は飛行船基地の建設は空からの補給の確保が目的であり、自らの軍事戦略がアメリカに打撃を与えている証左であると考えた。そのため帝国海軍の関心は南に向いていた。フィリピンのアジア艦隊が沖縄方面に北上するのではないか、との情報がイギリス経由でもたらされたからだった。
これに対して沖縄では急速に防衛体制が整えられていく一方で、北の事は忘れ去られていった。帝国陸軍の一部には北進してロシア軍とともに一気に極東を打ち滅ぼそうという意見もあったが統合参謀本部では海軍の主張により、南に集中する事になった。帝国陸軍も第一次世界大戦の戦訓から兵站を重視しており補給線の途絶によってアメリカが動けなくなるという主張には最終的には多くのものが同意した。この時期の日本軍にはある種の楽観論とも言うべきものが多く、アメリカの友邦であるドイツが海上封鎖によって弱体化している(とされていた)以上、欧州からの援軍も来年になれば続々と派遣されてくるはずであり、それまでは臥薪嘗胆で耐えるべきという意見が強かった。
しかし、アメリカ側の考えは違った。アメリカはその人種的偏見から日本の艦隊保全主義を白人に対する怯えとして一笑し、通商破壊を有色人種的卑怯さの表れと見た。つまり、怒りを募らせながら痛打を与える瞬間を待ち続けていたのだった。だが、ニュージランドを降伏に追いやっても未だにオーストラリア大陸におけるオーラリアの抵抗は強く、アジア艦隊を投入して開戦前とは逆にオーラリアを海上封鎖する案も出たが、帝国海軍の存在があり、アジア艦隊を動かせない以上戦線は降着しており、さらに極東からは通商破壊による被害について悲鳴が上がっていた。同盟国であるドイツに早期の攻勢実施を求めても、ロシアの冬では作戦の完遂は難しいという答えであり、あるアメリカ海軍士官は、ドイツ人には潜水艦の脅威に対する認識が欠如しているらしい、と苛立ちを隠すことなく語った。
そこでアメリカはこの膠着状態を独力で打破すべく独自に攻撃を行なうことを決めたのだった。
こうしてロクスベリーや同型艦のデイトンをはじめとするアメリカ海軍の飛行船が極東に派遣されたほか同時にマーチン-ライト社製の飛行艇もグアムへと派遣されていた。
これらには変わった兵器が搭載されていた。飛行船に設けられた格納庫ないし飛行艇の翼下には一見するとただの小型機にしか見えない機体だったが実際にはこれらは無人航空機であり、チャールズ-スターク-ドレイパーによって開発された慣性誘導装置によって高高度をある程度飛行したのち徐々に降下を開始し、その後低高度に至って自動的にエアロゾル噴霧器が起動して化学兵器を噴霧するというものだった。
かつてメキシコ出兵の際に使われたヒューイット-スペリー-オートマチック-プレーンをより洗練したようなものであり、その動力部にはドイツ自由社会主義共和国のハインケル生産共同体において開発されたラムジェットエンジンをウェスチングハウス社でライセンス生産したものが搭載されていた。ドイツのラムジェットエンジンはかつて、オーストリア=ハンガリー帝国が砲弾の射程延伸用に開発していたものを航空技術者であったエルンスト-ハインケルが改良したものだった。一方そのラムジェットエンジンの加速用にはアメリカのロバート-ゴダードが開発した液体燃料ロケットエンジンが使用されていた。
ロクスベリーをはじめとする飛行船は札幌、旭川、大湊といった日本北部を、グアムからの飛行艇は横須賀や横浜などの関東方面を攻撃する計画だった。先端技術を惜しみなく投入した攻撃によって、白人科学文明の偉大さを見せつければ、かつて、マシュー-カルブレイス-ペリーが蒸気船で開国をせまりかつての幕府がなすすべもなく受け入れざるを得なかったように、"新幕府"である徳川義親内閣も容易に降伏させる事ができるであろう、というのがアメリカ側の結論だった。そして、この日ハルゼーたちはザミャーチンスクより離陸したのだった。
結果として、搭載するロケットエンジンやラムジェットエンジンの故障によって途中で墜落したものあったものの、多くは目標地点に着弾し、報告を聞いたハースト大統領は早くも対日戦の勝利宣言を発したのだが、その後の展開はアメリカ側の予想とはまるで違った。
日本国民は打撃を受けて打ちひしがれるどころか、対米復讐を叫び、大戦への深入りを避けるべきという世論に同調して艦隊保全戦略をとっていたはずの海軍を一転して弱腰と非難し、日本各地で聖戦の続行を求める集会が開かれ、アメリカを連想するものは日本各地から一掃されていった。
1935年12月8日は日本国民にとって屈辱の日として記憶され、この日を境に多くの日本国民にとって他人事であった第二次世界大戦は、日本人の戦争になったのだった。




