第241話 オーストラリア騒乱
1933年4月8日のオーラリア独立を求める投票がどうして事実上の内戦にまで至ったのかといえば、オーストラリア連邦と本国であるイギリスとの間の温度差が原因だった。
オーストラリアからすれば西オーストラリア州でこのような投票が行われること自体がオーストラリアの"国家"としての地位を脅かすものであり断固阻止しなければならなかったが、イギリスからすれば独立を認める意志は無かったが止めようとも思っていなかった。
その背景にあるのはオーストラリア政府の"左傾化"だった。
日本人や清国人といったアジア系移民を排斥するために労働党と手を組んだオーストラリア政府に対して、キッチナー政権時代よりかは緩くなったとはいえ、依然として社会主義者の政権進出に対して警戒を強めたままのイギリス政府は西オーストラリアでの動きを利用して、圧力をかけようともくろんでいたのだが、その前にオーストラリア側が動いた。
オーストラリアには連邦軍とは別にそれを補助するための民兵部隊が存在していたが、その民兵或いは軍事訓練の修了者の中から選抜したものたちをオーストラリア義勇軍として西オーストラリアに派遣し始めた。こうして送られた義勇軍たちは自らが"独立派"と見做すものたちを不当に拘留したが、これに対し独立派の中でも過激なものが武力を持って奪還しようとした事から各地で衝突が頻発した。
イギリス本国はすぐにでも止めるように総督であるサー-アイザック-アルフレッド-アイザックスに求めたが、アイザックスは総督就任以前に判事として働いていた際に連邦政府や連邦法を積極的に支持し、その優位を認める判例を出していた人物として知られていた事から、西オーストラリア側の態度を硬化させるだけに終わった。これを受けてイギリス政府はアイザックスを総督から解任し、アイザックスの前任の総督であったストーンヘブン子爵ジョン-ベアードかベアード退任後アイザックスが就任するまでの間代理を務めていたソマーズ男爵アーサー-ソマーズ-コックスを総督に据えようとしたが、初のオーストラリア人総督であるアイザックスの解任が知れ渡ると、今度はオーストラリアで反英運動への支持が高まった。
そしてこうした混乱を決定的にしたのがノーザンテリトリーをめぐる問題だった。
当初、ノーザンテリトリーはオーラリアには加わらない方針であったが義勇軍の悪行が知れ渡ると徐々に西オーストラリア側に同情的なものが増えていったのだが、そうした動きはノーザンテリトリー内部の対立に火をつけた。ノーザンテリトリー南部はかつてセントラルオーストラリアとしてノーザンテリトリーから分かれていたのだが、ノーザンテリトリー側は行政上の非効率を理由にノーザンテリトリーへの再統合をオーストラリア政府に求め、セントラルオーストラリア住民の意思を無視して再統合された歴史があった。
こうしたことから、かつてのセントラルオーストラリアにあたるノーザンテリトリー南部の人々は西オーストラリアに対して同情的であり、オーラリアの承認とセントラルオーストラリアの復活を求めるデモを行なったのだが、これに対して義勇軍が発砲したばかりか、かつての州都であるアリススプリングスに火を放ち、市街地の大部分を焼き払ってしまった。
この蛮行に対して流石のオーストラリア政府も義勇兵の解散を検討し始めたが、そこに凶報と吉報が同時に舞い込んできた。
凶報はイギリス政府からの最後通牒とでもいうべき書簡であった。というのもそれまでも一連の騒動に対して流石のイギリス政府もオーストラリア政府に対して強く失望し、何度も"懸念"をしめしていたのだが、アリススプリングスはロンドンとキャンベラを結ぶ電信網の主要中継地であったことから、イギリスは義勇兵の行動をオーストラリア側の交渉打ち切りのサインと解釈し、シンガポールの極東艦隊並びにインド軍の派遣を準備するとともにオーストラリア政府に対して、交渉の打ち切りを宣言した。
吉報は海を隔てた隣国であるアメリカ合衆国からだった。
オーラリア独立をめぐる騒乱に対してアメリカ国内の反応は様々であり、オーストラリアの動きを批難するものもあれば逆に反イギリス的な感情からオーストラリア側の動きを擁護する意見もあり、党派を超えてさまざな意見が入り乱れていた。
そんな、アメリカの世論を大きく動かす事件が起こる。セオドア-ルーズベルトの息子であり、元ニューヨーク市長候補者でもあったセオドア-ルーズベルト-ジュニアが義勇飛行隊『フライング-ラフライダーズ』を結成してオーストラリア側に馳せ参じたのだった。尤もルーズベルト-ジュニアには飛行経験などなかったため、実際の指揮は元アメリカ陸軍航空隊のロバート-マッコリー-ショートがとっていたとされる。
ルーズベルト-ジュニアのこうした行動の背景にはニューヨーク市長選での敗北によって愛国党指導部から半ば見放されている事から、義勇兵指揮官として華々しい戦功をあげる事で、国民からの支持を得る事で政界に復帰したいとの思惑があった。
さらにこうしたルーズベルト-ジュニアの動きを支援したのがカーチス社だった。
ライト-マーティン社系の企業の躍進に危機感を覚えていたカーチス社は『フライング-ラフライダーズ』に対して試作機を含む、新型機材を供給した。実戦での活躍こそが何よりの性能の証明となるからだった。
当初はこうしたルーズベルト-ジュニアの行動に対してアメリカ国民の意見は分かれていたが、ミッチェル大統領暗殺事件から始まったイギリス、アメリカ間の対立に不満を覚えていたアメリカ国民はやがて『フライング-ラフライダーズ』を称賛するようになり、逆にイギリスではアメリカ人による自国の問題に対する介入を非難する声が高まった。
そうした対立をさらに激しくしたのが、オーストラリア騒乱からやや遅れて始まったロシア帝国によるシベリア侵攻だった。
アリススプリングスは1933年8月31日に改名された名前なのでスチュアートと表記するのが正しいのですが、わかりやすさ重視で今作ではアリススプリングスと表記してます。




