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第238話 親衛隊と試作車両

1931年12月16日 ロシア帝国 モスクワ ミウスカヤ広場 アレクサンドル-ネフスキー大聖堂

「なんだあれは垂直に着陸してきたぞ」

「陛下だ。陛下が乗っておられるぞ」


17のドームを持ち、最大4000人以上を収容する事のできるロシア、いや世界でも屈指の大きさを誇る大聖堂の威容の完成記念式典に出席していた人々はアレクセイ2世が乗って来た横に2つ後部に1つの合計3つの回転翼を備えた、ニコライ-アナトリエヴィチ-フローリンが開発した回転翼機がミウスカヤ広場に着陸するのを見て驚きの声を上げた。その一方で、式典の周りをがっちりと固める集団には人々はなるべく目を合わせようとはしなかった。


そこにいるのは異様な風体の男たちだった。見るからにアジア系のタタール人や19世紀にロシア帝国の支配下に組み込まれて以来、度重なる運動にも拘らず未だ独立を手に入れる事のできていないフィン人、そして生粋のロシア人と言った出自の異なる者たちが、みな揃いの漆黒の制服、それも近代軍のものというよりはピョートル大帝の西欧化政策以前のロシアを思わせるような、場違いな制服を身にまとって整列していたからだった。


彼らはオプリーチニキと呼ばれる親衛隊だった。暴君として歴史にその名を残したイワン雷帝ことイヴァン4世の時代に皇帝の私領(オプリーチニナ)を支配するために組織され、暴虐の限りを尽くした同名の組織に由来する部隊が再び組織されたのはロシア内戦終結直後の事だった。


アレクセイ2世はかつてのボリス大公派に与した者たちに対して厳しい制裁を加えたが、それはアレクセイ2世自身がたてた陰謀の結果反乱部隊の烙印を押されてしまった近衛プレオブラジェンスキー連隊をはじめとする近衛部隊にも及び、これらの旧近衛部隊は哀れにも解体されてしまった。代わって皇帝を守る組織として新たに復活したのがオプリーチニキだった。一見、敵対者であるボリス大公や黒百人組を思わせるような西欧化政策以前への懐古的な案だったが、その理由は全く違っていた。


イヴァン4世の数ある"奇行"の1つに当然退位を宣言したかと思えば、かつてのカシモフ-ハン国のハンであったシメオン-べクプラトヴィチに全ルーシ大公を名乗らせ事実上の譲位をしたというものがあった。とはいえ実権は依然としてイヴァン4世が握っており、しかも、しばらくしてから復位しているため何が目的かはっきりとせず歴史家達によってさまざまな議論がかわされていたのだが、アレクセイ2世はこの"奇行"をもとにイヴァン4世とシメオン-べクプラトヴィチをユーラシア主義の先駆けであるとして称賛した。


そして、アレクセイ2世の意を受けロシア各地でイヴァン4世が再評価される中で復活したのがオプリーチニキだった。その役割は重要人物、施設の警護とかつてのボリス大公派や社会主義者への監視及び粛清が主な任務であったが、後にボリス大公派の残党との戦闘に従事する中で陸軍及び海軍、そして新設された空軍に次ぐ第4の軍としての地位の確立を目指すようになりロシア帝国軍と対立するようになると、ロシア人以外を排斥するようになっていた帝国軍に対抗するようにタタールやフィン人などの異民族を受け入れるようになり、アレクセイ2世もこれをユーラシア主義の具現化として歓迎するようになった事でその異質さはロシア国内で際立っていた。


一方でこうしたオプリーチニキに受け入れられたものたちが優秀なものであったのも事実であり、オプリーチニキはそうしたロシア国内において受け入れられにくい者たちの貴重な出世の場でもあり、オプリーチニキは恐怖と希望の両方の側面を持った存在として語られる事になる。


1932年2月15日 ドイツ自由社会主義共和国 クンマースドルフ兵器試験場

クンマースドルフ試験場はドイツ帝国時代から続く兵器試験場であり、この日はエドゥアルト-グロッテ技師とロシア帝国からの亡命ユダヤ人であるヨシフ-ヤコブレヴィチ-コーチン技師が共同で開発した新型戦車の試作車両が運び込まれていた。かつてはモーターゲシュッツと呼称されていた戦車は社会主義政権となると、帝国時代に弾圧に使用されていたことからかつての名称は忌避され、人民を守る鎧という意味でパンツァーと呼ばれるようになっていた。


「アメリカのものに似た大直径転輪に7.7cm47口径砲…悪くはないですな」

「不満かね?」

「いえ、フランスの新型には十分に対抗できる性能を有してはおりますが…問題は十分な数が量産できるかどうか、という点です。閣下」


試作車両を見ながら会話をしていたポーランド人の人民軍大佐であるコンスタンティ-ロコソフスキは人民軍の英雄であるただ一人の共和国元帥エーリッヒ-ルーデンドルフに対してそう言った。


人民軍においては帝国時代を連想させる階級に基づいた呼称は禁止され、兵士や士官であっても階級の垣根を超えて親しく接していたが、ルーデンドルフに限っては別格の存在であり閣下という敬称で呼ばれていた。


「それはフランス人のような車体共通化構想を我々もすべき、という事かね?」


ルーデンドルフがそう言いながらロコソフスキに厳しい視線を向けた。


人民軍の一番の仮想敵であるフランス陸軍はかつて『リュフェイ-プラン』の結果各兵科が独自に戦車の開発を行なった結果、騎兵科と歩兵科の戦車は支援火力としては貧弱であり、砲兵用戦車は固定戦闘室により柔軟な運用が妨げられるという惨状となった。そこでフランス陸軍は各兵科の運用する戦車を統合した新戦車の開発に乗り出していたが、やはり各兵科同士が衝突し、結局、車体を共通化しそこからさまざまな派生車両を作成するという方針に落ち着き、試作車が出来上がったのが2年ほど前の事だった。この車体共通化構想は戦車を配備したいが予算的に余裕のない小国などでも大いに注目される事になったのだが、フランスをことのほか意識しているルーデンドルフからすればそのようなフランスの後追いなど認められるはずも無かった。


「そう言う事ではありません。純粋に現状の生産能力ではこのような高性能戦車を十分に量産できるのかということです」

「なるほど、そういうことか…まったく議長にも困ったものだな」

「閣下、それは…」


それまでドイツでは社会民主主義的な産業統制策によってかつての財閥が完全解体を免れ、その統制を受け入れながら維持されていたのだが、近年ではカール-リープクネヒトの権力の拡大に伴い完全な計画経済へと移行していた。これは見掛け上の工業力の増加には役に立ったが実際にはその生産性は無茶な計画によって落ちる一方で、例外はある種特権的な地位が認められているフォードのドイツ法人であるドイツ-フォードをはじめとしたアメリカ企業だけだった。


こうした現状はロコソフスキも知っていたからこそ不安を口にしたのだが、まさか、公然と議長、つまりリープクネヒトを批判するとは流石にロコソフスキも思っていなかった為にあわてたが、ルーデンドルフはそんなロコソフスキの様子を見ながら笑っているだけだった。

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