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第236話 最大の奇跡と信仰を賭けた愛

1930年12月4日 フランス共和国 パリ

その日もフランス共和国首相アンドレ-ピエール-ガブリエル-アメーデ-タルデューは平穏無事な毎日を送っていた。いつもと少し違うのはイギリス人技術者であるジョン-ロジー-ベアードが発明し、ルーマニア生まれのフランス人映画俳優であり監督であるベルナール-ナタンが出資して実用化したテレヴィジョンの撮影準備が行なわれていることだった。


パリ生まれの生粋のパリっ子(パリジャン)であり、保守派でありながら改革を積極的に進めていこうとしていたタルデューは自らの政党である中道共和党を設立し、公共事業の推進と農村の近代化を推し進め、国民所得の増加を訴えていた。これに対して既存政党は猛反発し、中道共和党を潰しにかかったが、自らの掲げる政策と共通項が多い事からフランス救済運動がタルデューの支援に乗り出し、フランス救済運動を通して絶大な人気を誇るインドシナ総督ルイ-ウベール-リヨテにタルデュー支持の演説を行なわせたこと、そして、先進技術に強い関心を持っていたタルデューがラジオ放送を通して国民に直接語り掛けた事により、国民一人一人の心をつかんだことにより172cmの長身を持つ『パリ生まれの巨人』はフランス首相となり、まさしくフランス政界の巨人となったのだった。


そんなタルデューが次に目指したのは姿を見せながらフランス国民に話しかける事だった。

映画という手もあるのだが、編集やフィルムの配給、上映までにかかる時間による時間的な損失を嫌ったタルデューは、まだパリとリヨンの二大都市でしか放送されていなかったテレビ放送に目を付け、この日収録を行なっていたのだった。


タルデューは緊張しながら、カメラの方を見た。


それからしばらくして、パリとリヨンの広場に設置された受像機とそして極々僅かの人間のみが保有していた個人用受像機には、眼鏡をかけた小太りで鉤鼻の生え際の後退している男が現れた。それは紛れもなくタルデューだった。時折、音声や映像の乱れを伴いながらもタルデューははっきりと自らの政策のその正しさ、そしてそれがフランスにどのような未来をもたらすのかを熱っぽく語った。


この日行われた放送はそれだけの短いものだったが、放送を見た人々は口々にその出来事を家族や友人に話した。やがて人々の間でこの日の放送はある種の奇跡のように語られていく事になった。


後年の歴史家は主にヴァロワ朝やブルボン朝の国王が行なった王の奇跡と呼ばれる治癒の儀式とこの日のタルデューの放送を比較して、


『かつての王たちはパリから何百キロも離れた僻地へおもむき人々を治癒する事でその統治を盤石なものとした。だが、あの日首相はパリから一歩も動かずにメキシコ風邪で高まった政府への不信感や1870年以来のドイツ人への敵愾心でささくれ立ち、体制を変えるという崇高な使命とただすべてを壊したいという破壊主義的な願望が綯交ぜになった大衆の心を癒して見せたのだった』


と分析して見せた。


この日のタルデューの演説を境にフランス国民の革命癖ともいえる動きはいったんは収まる事になる。それこそはまさにタルデューが起こした最大の奇跡だったのかもしれない。


1931年1月10日 イギリス マルタ島 バレッタ

「はぁ…」


マルタ島は地中海の要衝でありこの島をめぐって何度も攻防戦が繰り広げられた歴史があったが、現在はイギリス領であり、地中海艦隊の拠点だった。血なまぐさい歴史とは裏腹にこの島は地中海の中でも屈指の美しさを誇る島だったが、地中海艦隊に所属するルイス-フランシス-アルバート-ヴィクター-ニコラス-バッテンベルク中尉にとってはこの島の美しさなどどうでも良かった。今が人生のどん底ともいえるほど絶望し切っていたからだった。


バッテンベルクがここまで落ち込んでいるのにはわけがあった。それは数日前にバッテンベルク家より届いた知らせの中で、ロシア皇帝アレクセイ2世の姉であるマリア-ニコラエヴナ-ロマノヴァがイギリス国教会に改宗の後にイギリス王太子エドワードの婚約者、将来的には妻となる事が決まった、というものだった。


マリアに初めて出合った時より好意を持っていたバッテンベルクはこの知らせに愕然としたが、国家ぐるみの婚礼であり、しかも、イギリスより遠く離れたマルタ島にいる身ではどうする事も出来ずバッテンベルクにできる事は


『自分の方が先に好きだったんだ。なのに…どうして』


と、1人後悔をして、今にも死にそうな顔をしながら海を見つめていることだけだった。


もちろん、この婚姻の背景にはきちんとした理由があった。アレクセイ2世の姉である4人の皇女たちは、皇族の常としてロシア帝国の国益に沿って嫁がされていた。


先帝ニコライ2世の頃には大まかに嫁ぎ先が決まっていたのだが、ドイツの革命による混乱とその余波、そして何よりもニコライ2世の死によって4姉妹すべてが心に深い傷を負ったことにより、その治療に専念するために白紙に戻っていたが、内戦終結後にはアレクセイ2世の強い意志により再び動き出していた。


まず、決まったのはタチアナだった。タチアナはイタリア王国の王族であるサレーミ伯ウンベルト-ディ-サヴォイア-アオスタに嫁ぐ事になった。これはイタリアとの関係を考慮してのものだった。


次に婚姻が決まったのは意外な事にアナスタシアだった。

相手はルーマニア国王であるカロル2世だった。当初は長女オリガが嫁ぐはずだったのだが、オリガがカロル2世を嫌っていた事や常々ロシア国内に留まりたいという意思を表明していた事から、ロシア大公コンスタン-コンスタノヴィチの息子であり、内戦で功績を上げた軍人であるロシア公オレグ-コンスタノヴィチに嫁いだことから白紙になり、代わりとしてアナスタシアとの婚姻をカロル2世が望んだことからアナスタシアが嫁ぐ事になった。


このカロル2世との婚姻については反対意見も多く、特に問題視されたのはカロル2世が特に特定の相手との結婚もせずに次々と愛人を作っては変えている好色家であり、つい数年ほど前にはまだ女学生だった少女を愛人とした事がルーマニア国内外で悪い意味で評判となったことだった。


一方でその政治的才覚は優れており、ルーマニア政界を意のままに操り、自らの望むようにルーマニアという国家を動かしておりロシアとルーマニア双方の懸案事項となっている元国際旅団所属兵士や亡命ウクライナ人の問題などを解決するためには、カロル2世を納得させるほかないと思われ、結局、婚礼の手筈が整えられることになった。


そして、最後まで残ったのがマリアであり、イギリスとの関係を考えた結果、イギリスの貴族の中で適当な候補を探す事になり、当初はバッテンベルクが本命と考えられていたのだがイギリス王太子エドワードがマリアに対し好意を持っているという知らせを受け、イギリス側と極秘且つ慎重に協議を重ねた結果、遂に婚約までこぎつけたのだった。


この時問題となったのがマリアの信仰する東方正教会であり、特にアレクセイ2世は姉がその信仰までを捨てる必要は無いと否定的だったが、マリアの側がエドワードとのやり取りの中でエドワードに強く惹かれるようになっていた為、アレクセイ2世が渋々改宗に同意したとされる。このことについてアレクセイ2世は親友であるストルイピンに対し


『信仰すら賭するほどに大事だとは、マリア姉上は狂ってしまったんだ』


と漏らしており、後に言われる信仰を賭けた愛とはこの時のアレクセイ2世の言葉がもとであるとされる。


とはいえ、これらの婚姻外交によって軍事的協力関係にあったイタリアとの関係を回復し、ルーマニアという懸念材料を無くし、そして最後にイギリスとのつながりを手にしたことにより、社会主義勢力に万全の体制を持って当たる下準備を終えたロシアはいよいよ社会主義勢力の打倒に向けて最初の一歩を踏み出す準備が出来たのだった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] テレビによる奇跡はぴんとこないのですが、ある意味で妙に感傷的なフランス的な有り様かも知れません。 あのマウントバッテン公だよな、あのウィンザー公、もといエドワード8世だよな、と少し動転し…
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