第232話 代艦と"完璧な計画"
1927年5月17日 大清帝国 上海 江南造船所
大清帝国海軍は北清事変後、首都が南京に移り政治経済共に南に中心が移った事から、艦隊の再編成を行ない旧来の北洋水師を威海衛に拠点を置く山東水師と改名して縮小する一方、南洋水師は大幅に拡張されていた。
「何度見ても素晴らしい艦だ…だというのに」
そんな南洋水師総司令である沈鴻烈は視察に来た清国最大の造船所である江南造船所の一室に飾られていた戦艦の模型を見てから溜息を吐いた。江南造船所では新型艦の建造が進んでおり、本来ならば今頃進水式を終えているはずだった。
ウィリアムビアードモア-アンド-カンパニー製の16.5インチ砲を3連装3基を全て前部に搭載した艦であり、就役すれば37センチ砲艦に過ぎない長門型を超えて極東最強の艦となるはずの戦艦だった。
この16.5インチ砲は16インチ砲と共にイギリスの守護聖人級建造の際に検討された砲の1つであり、清国でアメリカ合衆国によるサウスカロライナ級の建造と共にアメリカ脅威論が高まっていたが、技術不足であったことからイギリスへ協力を要請し、それを受けたイギリス側が16インチ砲はロシア帝国で実験していたものの16.5インチ砲に関しては何処の国でも採用していなかったことからその実験台として清国海軍の計画への協力という形で装備が決まったものだった。
しかし、順調だったのもそこまでだった。
今やまったくもって不名誉な事に清国政治の名物となりつつある政治的な争いに巻き込まれたのだった。
きっかけは、隣接する仏領インドシナでの経済的発展、所謂インドシナの奇跡だった。この奇跡を清国でも模倣しようとする清国で社会ダーウィニストである閻錫山を中心にした派閥は国家による経済的な統制を訴え、更に優生学の名の下に貧困層や犯罪者などの断種を主張した。
しかし、これに対して強烈に反発したのが宋子文を中心とした財閥たちであり、かつて自らも優生思想に基づく断種を主張していたことなど忘れて、宋は各地で漢民族消滅の危機を訴えて回った。
もちろんそうした主張の背景にあるのは漢民族消滅の危機への恐れなどではなく自らの経済的利益が侵される事への危機感だったのは言うまでも無かった。宋は清国政府から危険思想の持ち主とされて逮捕されたが、直ぐにアメリカへと出国し、政治活動を続けていた。
それを見た閻は宋をアメリカに与する裏切り者と糾弾したが、一般大衆の中には宋の主張を密かに支持するものもおり、清国政府はその取り締まりに躍起になっており、更に国会では漢人政治家による追求が続くなど政治的に混乱していた事から新戦艦は完成間近でその建造が中断され、現在はその建造が止まっているのだった。
こうして定遠代艦と呼ばれる、新型艦はいつになっても完成していなかった。沈はそうした国内問題に流されるままの祖国に対し、嫌気がさすようになっていた。
しかし、そのころ世界では清国の内政問題などとは比べ物にならないほどの大事件が起こっていた。
1927年5月17日 ロシア帝国 ペトログラード郊外 ロプシャ村
「クソ、陛下はまだ見つからないのか」
病弱な皇帝アレクセイ2世の為の静養所として使われているロプシャ宮殿のあるロプシャ村では怒号が響いていた。
突然、アレクセイ2世のいるロプシャ宮殿が襲撃されたのは、この日の未明の事だった。襲撃者は近衛プレオブラジェンスキー連隊だった。
最も襲撃といっても、近衛プレオブラジェンスキー連隊にそのような意思は全くなかった。
『ロプシャ宮殿にいるアレクセイ2世に対しシベリアの叛徒と密通したロシア帝国陸軍の元将校による襲撃計画がある』
との情報から、アレクセイ2世の警護とその後のペトログラードへの護送の為派遣されていたのだが、未明に到着したころには、アレクセイ2世の姿はそこにはなかった。
ロプシャ村近辺をいくら探しても見つかる事は無かった。なぜならそのころアレクセイ2世は遠く離れたモスクワにいたからだった。
1927年5月17日 ロシア帝国 モスクワ クレムリン
「陛下、そろそろ、準備が整いました」
放送技師であるウラジミール-コジミーチ-ツヴォルキンが声をかけるとアレクセイ2世は臨時に設置された録音スタジオの中に入っていった。近衛プレオブラジェンスキー連隊に届けられた情報は軍内の協力者の手による偽情報であり、皇帝に対して最も忠実であるべき部隊が"反乱"を起こした、という演出の為の茶番に過ぎなかった。幼少のイヴァン6世や不人気なピョートル3世が近衛部隊のクーデターによって廃された先例から病弱な君主であるアレクセイ2世への反乱は全く有り得ないことではなかった。
そしてその日の夜に放送されたモスクワ発の臨時放送によって、ロシアの人々はアレクセイ2世の言葉により、近衛プレオブラジェンスキー連隊の"反乱"とその"反乱"が黒百人組と、その指導者であるウラジーミル-ミトロファノヴィチ-プリシュケヴィチによって組織されたものであることを知らされた。
その目的はプリシュケヴィチによるボリス大公とアレクセイ2世への反乱とその後の黒百人組の構成員の一人であるフェリックス-フェリクソヴィッチ-ユスポフと関係のあるドミトリー-パヴロヴィチ大公擁立を狙ったものとされたが、これはユスポフとドミトリー大公の同性愛関係はロシアの社交界では知らぬ者のいない公然の秘密だったことから考えられた完全なねつ造だった。
あえてボリス大公を標的にしなかったのはアレクセイ2世もプリシュケヴィチの排除は望んでもロマノフ家同士の争いは出来る限り避けたいと思っており、士気が下がりきった黒百人組を撃破し、プリシュケヴィチさえ逮捕すれば、少ない犠牲でロシアを掌中に収める事が出来る、アレクセイ2世が親友であるアルカディ-ペトロヴィチ-ストルイピンと練った"完璧な計画"に基づいたものだったが、そう全てが計画通りに進むはずも無かった。
放送を聞いたプリシュケヴィチは直ぐにボリス大公と会い、イギリスのスパイであるストルイピンに操られたアレクセイ2世が、ロシアをふたたびイギリスに売り渡そうとしていると告げ、それを防ぐにはアレクセイ2世を操るストルイピンを実力で排除するほか方法がない事を告げた。アレクセイ2世と戦う事にボリス大公は激しく動揺したが、プリシュケヴィチの説得に覚悟を決め、イギリスおよびユダヤ勢力の支援を受けたストルイピン一派を討伐するための準備をプリシュケヴィチに命じた。
一方そんなことなど知らない、プリシュケヴィチ捕縛を命じられただけのアレクセイ2世派のドン-コサック部隊は黒百人組の奇襲によりペトログラード郊外のツァールスコエ-セローで敗走することになった。
このツァールスコエ-セローでの敗走によりそれまで中立を保ちながらもアレクセイ2世に近かった軍部の中でもアレクセイ2世の手腕を疑問視する声が上がり、未だに屈辱的ともいえるストルイピン時代の記憶も残っていた中でのアレクセイ2世とストルイピンとの関係からボリス大公側につく部隊も出始めたが、アレクセイ2世は自身の計画が失敗したことに混乱しておりボリス大公側に再編成の時間を与えてしまった。こうしてアレクセイ2世の"完璧な計画"は失敗し、アレクセイ2世もボリス大公の双方が望まないにもかかわらず内戦状態へと突入する事になる。




