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第231話 新体制の準備

1926年12月11日 ロシア帝国 モスクワ モスクワ大学

モスクワはペトログラードへの遷都によって首都としての地位を失っていたが、それでも重要な都市には違いなかった。そんなモスクワにある最高学府であるモスクワ大学ではこの日、特別な講義が行なわれていた。


「"学生諸君"、今日も"欠席者"無く集まっているようで安心したよ」


モスクワ大学教授であり、かつてのリトアニア大公家の血筋を受け継いだ大貴族でもある公爵(クニャージ)ニコライ-セルゲーヴィチ-トルベツコイが教壇に立ってにこやかにそう述べた。

集まっていた"学生"はとてもそうとは思えない年齢の者がおおかったが、その中で学生らしいといえる年齢である1人アルカディ-ペトロヴィチ-ストルイピンはトルベツコイの言葉を聞いてかすかに笑った。


「さて、では"講義"の続きをしよう。今回の講義はトゥラン人とは何か、だ」


そう言うとトルベツコイが"トゥラン人"の定義、つまり北欧フィンランドから極東の日本に至るまで広く分布する民族であるという定義を解説し、その上でロシア帝国という国家はかつてのモンゴル帝国の支配を通してトゥラン的国家でもあり、そのためかつてのピョートル大帝による近代化や第一次世界大戦後のストルイピン政権下に代表される西洋志向政策はもちろん、現在の摂政であるボリス大公と黒百人組によるロシア正教会を中心とした反ユダヤ及びロシア中心政策もロシアの本質からすれば間違いであり、スラヴとトゥランの両民族の連帯によるヨーロッパでありアジアでもあるユーラシアの国家としての姿こそ正しい形であるという言葉で締めくくった。


「教授、質問ですが将来的な白ロシアの地位をどう考えているのでしょうか」

「もちろん私としては三位一体のロシアこそが理想であると考えているよ、大ロシアではなくね」


白ロシア出身者であるイワン-ルカノヴィチ-ソロネヴィチがそう質問するとトルベツコイは迷うことなく答えた。三位一体のロシアとはロシアはロシアだけでなく白ロシアとウクライナを合わせた3つの民族からなるという考えだったが、近年ではその考えは蔑ろにされ大ロシア的な動きが目立っていた。ソロネヴィチの質問を皮切りに"学生"達から質問が相次いだ。


「教授は将来のロシアにおける政治体制をどのように考えておられるのでしょうか」

「ウクライナに関してどのような態度で臨むべきなのでしょうか」

「極東の社会主義者に対する対応はどう考えておられるのか」

「スラヴとトゥランの両民族の連帯ということは大日本帝国や大清帝国といった国家との同盟を模索しているのか」


ストルイピンと同じく学生らしい年齢のアレクサンドル-ルヴォヴィチ-カゼム-べクやナポレオン-ボナパルトの最初の妻であるジョセフィーヌの血を引くボアルネ家の出身であるセルゲイ-ニコラエヴィチ-ロイヒテンベルク、軍人のエフゲニー-エドゥアルトヴィチ-メッスネル、同じく軍人でありドン-コサックの頭領(アタマン)にして東洋通でもあるピョートル-ニコラエヴィチ-クラスノフが声をあげた。トルベツコイの"特別講義"は冬のロシアの寒さにも関わらず白熱しながら続き、終了した。


公爵(クニャージ)、いえ、教授」

「おお、ストルイピン君、今日の講義では話の流れとはいえ…その、すまなかったなぁ」

「いえ、父の事ならばよいです。少なくとも何かしらの問題が無ければあそこまで悪し様には言われませんから…」

「そうか…それで"試験"の結果は」

「大丈夫でしょう」

「それを聞いて一安心だよ」


講義終了後、ストルイピンはトルベツコイと話し込んでいた。トルベツコイの"講義"の目的は将来のロシアの国家像の議論であると同時にボリス大公と黒百人組に対抗できる組織作りにあった。トルベツコイはストルイピンを通じてアレクセイ2世が動いているということまでは知らなかったが、それでも宮廷を中心とした何らかの動きであるとを考えており、こうして不定期に"講義"を行なうことで、協力者になりそうな人物を探していたストルイピンの手助けをしていたのだった。


こうして、ロシアにおいてはストルイピンとトルベツコイが中心となる形でアレクセイ2世を支持する地下組織が形成される事になる。


1926年12月24日 大日本帝国 東京府 麹町区  

建設が遅延している新帝国議会議事堂を見ながら2人の男が歩いていた。1人は帝国国際情勢研究所の主任研究員である森格であり、もう一人は大日本帝国陸軍から帝国国際情勢研究所に送り込まれている大尉、岩畔豪雄だった。陸軍大学校受験に失敗したもののその優秀さを評価されてのことだった。


「全く酷いもんだ。せっかく作り始めたと思ったら、すぐにやめてしまうなど…やはり、顔色ばかりうかがう政治屋ではだめですな。岩畔さん」

「しかし、そうさせたのはほかならぬ国民の意見がコロコロと変化したからでもあります。結局のところ国民そのものに責任の自覚がなければどうしようもないとは思いませんか?森さん」

「それはたしかに…」


新帝国議会議事堂は元々、建築家渡辺福三の案を元に建築が進められるはずであったが、国内情勢の変化によって未だに完成に至っていなかった。3年前の関東大震災の復興事業の際に真っ先にやり玉に挙げられたのがこの議事堂であり、国民の中にはその敷地を慰霊公園として整備すべきという声もあり当時の原敬内閣はいったん建設中断を決めたのだが、原敬の跡を継いで首相となった加藤高明は慰霊公園は旧浅草12階の跡地を中心に整備する事とし、再びの建設を命じた。この時に再設計が行なわれ渡辺福三の案ではなく下田菊太郎の和洋折衷的な案が選ばれている、これは国内でのアジア主義の高まりを意識したものだとも言われているが建設の再開そのものに対して批判が大きく、加藤が首相となって2年余りで病死すると再び中断されていた。議会政治の象徴である議事堂が国民からの批判によってこうして未完成で放置されている様は議会政治そのもの機能不全をあらわしていた。


「しかし、だからと言ってあの茅原という男、何処まで信用できるのか」

「何を言いますか、あの社会信用論というのは素晴らしい理論ですぞ。森さんも一度お読みになられたほうがよろしい」


茅原崋山がイギリスからの帰国後に提唱した民本主義とクリフォード-ヒュー-ダグラスの社会信用論を合わせた新民本主義は閉塞感にあえぐ国民から大きな支持を受け、今や日本で知らぬ者はいなく、岩畔のような軍人たちも熱心に社会信用論を学ぶようになっていた。三井物産に籍を置いて実際に働いていた森からすれば、通貨の発行益を元に各人の能力に応じて国民配当を一切の増税も無しに給付するという社会信用論の思想は少々怪しい部分があったが、すっかり信じ切っている岩畔に対してそれを指摘する事も出来ず何も言わなかった。


大正が終わり、新たな元号である昭和に変わったのは翌日の事だった。

7月ももう終わるし、作中でも大正から昭和に入って丁度よいので次回からは飛び飛びになります。省いた話は番外編として完結後に書こうと思っています。

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