第227話 第三の帝国
1925年9月6日 ブルガリア王国 ソフィア郊外 ヴラナ宮殿
「来たか」
「はい、お父様」
この日、ブルガリア国王フェルディナント1世は娘であるナデジダを呼びつけていた。
「来年の話になるが、お前にはこの国を離れロシアにいってもらう」
「はい…あの、お父様、やはりアルブレヒト様は…」
「悪いがこれ以上は無理だ。それにもう向こうとは話がついている」
「……わかりました」
「…すまんな」
消え入りそうな声で答えた娘をみてフェルディナント1世は父親として自責の念に駆られたが、君主としての意識からささやかな謝罪をするのみに留めた。
元々、ナデジダには婚約者がいた。ヴュルテンブルク王アルブレヒトの子であるアルブレヒト-オイゲンだった。ドイツ帝国の領邦のうち主要4王国の中の1国であるヴュルテンブルクに娘を嫁がせる事により、バルカン戦争後のブルガリアの地位を安定させるために纏められた縁談だったが、そんなことは関係なしにナデジタとアルブレヒト-オイゲンの2人は恋に落ちた。
しかし、そうした2人の幸せな日々は長くは続かなかった。ドイツ革命による混乱の中でアルブレヒト-オイゲンは行方不明となってしまったからだった。ナデジダはフェルディナント1世にアルブレヒト-オイゲンを探すように求めたがブルガリアを取り巻く情勢はいつまでも過去にすがる事を良しとしなかった。
現在、ブルガリアが敵として想定しているのはギリシア=トルコ連合とルーマニア王国だったが、中でもルーマニアはかつてドイツ企業が有していたモレニやブロエシュティといった油田をドイツ革命後には一時接収していたが、ノウハウの不足から生産量は落ちる一方であったことから、油田をフランス共和国が設立した国有石油会社であるフランス石油へと売却し、その利益によって近代化を進めていた。
ブルガリアはフランスに抗議したが、近東の石油利権がオリエント-ペトロリウム-カンパニーを通して実質的なイギリス企業の支配下にある以上、新たな油田確保に走るのは当たり前であり、抗議は何の意味もなさなかった。その為、ブルガリアとしてはルーマニアに対抗できる新たな同盟国が必要だった。
そこで白羽の矢が立ったのがロシア帝国だった。
ブルガリアとロシアは幾度となく交渉を重ねた結果、ブルガリアがナデジダをアレクセイ2世の妃とし、さらにギリシアでの共産主義者の蜂起による混乱の隙をついて奪取した港湾都市であるテッサロニキのロシアの租借を認める代わりにブルガリア正教会のコンスタンティノープル総主教からの独立の承認とルーマニア領となっている北ドブルジャ地域へのブルガリアの領土主張の支持、そしてこれまでは国内でしか認められて来なかったブルガリア国王の皇帝としての地位の承認で合意した。
これに対し、ルーマニアは北ドブルジャ地域の割譲によって、主要港湾都市であるコンスタンツァを失う事を恐れフランスとの連携を一層強化する事につながったが、ブルガリアの動きを止めることは出来なかった。
かつての第一次ブルガリア帝国、第二次ブルガリア帝国に次ぐ第三のブルガリア帝国の誕生は目前に迫っていた。
1925年10月31日 イギリス ロンドン
ロンドンの街中を一人の東洋人が歩いていた。
男の名は茅原華山。かつての民本主義運動の中心人物だった。
その茅原が何故ロンドンを歩いているのかと言えば、民本主義運動の分裂が原因だった。茅原と共に民本主義運動の中心人物だった吉野作造が民本主義運動を警戒していた当時の原敬政権によって懐柔された事により、茅原と吉野の間には不協和音が目立つようになってきていたが、それでもなお政友会政権打倒を掲げて、原政権を強烈に批判しつづけた茅原は関東大震災を契機として行われた社会主義者等の取り締まりと同じくして身柄を拘束され、自らが組織した団体も解散させられてしまった。
それからしばらくして起こった虎ノ門での皇太子暗殺未遂事件によって、原内閣は総辞職し、その後は進歩党の加藤高明内閣が誕生していたが、茅原の活動は依然として弾圧され続けた。政党が変わっても政治家は変わらないという事を見せつけられた茅原は、傷心旅行のように欧米各国を見て回る事にした。
(駄目だな。海外に出たところで何も変わらないではない、日本をどうにかする方策を見つけるどころか、ただあてもなくフラフラとさまよっているだけではないか)
日本にいたころは舌鋒鋭く、政党政治家を批判していた茅原にもさすがに疲れが見えていた。結局のところこの欧米旅行で茅原は未だに解決策らしきものを見つけられていなかったからだった。
「おっと、失礼」
考え事をしていた茅原は曲がり角で白人の男とぶつかりそうになり謝罪した。
「いえ、構いませんよ。こちらも少し考えをまとめていたもので…」
「そうでしたか」
「ええ、それでは。…それにしてもやはり政党や議会ではだめだ、もっと、個人が大きな力を持つことが重要であって…」
「あの、失礼ですが、何か飲みませんか」
「いえ、ですから、構わないと…」
「そうではなく貴方の考えに興味がわいたのです」
独り言を聞いた茅原は思わず白人の男を呼び止めていた。最後の茅原の言葉に男は驚きと疑いが混じったような目を向けたが、茅原に連れられて近所のパブへと入っていった。
「つまりだなぁ、カヤハラ、我々は見えない政府によって支配されているんだ。そしてそれを打ち破るためには見識ある個人の力を集めてより大きな力にしなければならない、そしてそのためには既存の政党や投票システムでは不十分なんだ。何しろ政治家どもと来たら、抜本的な改革よりもくだらない論争を繰り返す方に力を入れているからな。しかし、こうした現状を放置する事は国際金融組織による祖国の支配を放置する事になるんだ」
(この御仁の言う事は突飛な部分もあるが、全くおかしなことを言っているという訳ではない)
白人の男、クリフォード-ヒュー-ダグラスが半ば酒に飲まれながら言う事に茅原は耳を傾けていた。
ダグラスは元々労働者が得られる賃金とその購買力の差を埋める為に政府紙幣ないし代用貨幣を国民配当として配るべきという社会信用論という経済理論を主張していたが、それが、どの政党にも拒絶された事から、陰謀論じみた思い込みによって従来の議会制度の廃絶し、大衆の意思を忠実に実行する選挙人の寄り合い所帯とし、合わせてただの票の積み重ねではなく個人の責任によって選ぶ事の責任を重視して秘密投票を廃止する事を主張して、更に既存政党から煙たがられていた。
一方の茅原も議会政治に対して拭いがたい不信感を持っていた事や日本人の政治的民度の低さを嘆き、その向上の為には市民としての社会的責任の自覚と生活の向上が必要だと常々唱えていたことから、ダグラスの理論は茅原にとってしっくりとくるものだった。
こうして、意気投合した茅原とダグラスはその後互いの祖国の問題点やその改革案について議論した。
帰国後、茅原は維新以前の覇者の帝国とそれ以降の有司専制の帝国に次ぐ第三の帝国として従来より唱えていた民本主義にダグラスの主張を盛り込んだ新民本主義の帝国が必要であると訴えることになる。
なお茅原が維新以後の政治体制を藩閥政府と政党政治として区別せずにまとめて有司専制と分類したのは本質的には何も変わっていないと見做していた事とそれに対する皮肉であったとされる。




