第226話 新機構と新発見
1925年7月14日 イギリス ヨークシャー ホーデン イギリス海軍航空隊基地
ホーデンにはイギリス海軍航空隊の基地があり、そこではヴィッカース社から派遣された技術者によって、空中母艦計画に使う飛行船の開発が行なわれていると表向きにはされていたが、実際には飛行船の開発は数年前から休止状態であり、飛行船用に造られた巨大格納庫の内部は実質的に新型の航空機に関する調査機関のようになっていた。
実際に調査するのは海軍航空隊の人間ではなく航空機製造会社などから派遣されてきた人間であり、多くはイギリス兵器会社の代表的存在であるヴィッカース社から派遣されてきた者たちだった。
「この機体は…我々のものとは全く違うな」
「ライト-マーティン-デイトンの新型か、中翼配置もそうだが何より、この脚だな」
「やはりそこに目が行きますか、ウォリスさん」
「というより、それぐらいしかないともいえる。エンジンならまだロールスロイスをはじめとする我が国の方が上だし、骨組みだけの金属構造ではねぇ。着想の独自性は認めるが、全体として我が国の方が上といった感じかな、ノーウェイ君」
ヴィッカース社から来た技術者バーンズ-ウォリスとネヴィル-シュート-ノーウェイが見つめる先にはアメリカ合衆国のライト-マーティン-デイトン社が開発した最新鋭戦闘機ライト-マーティン-デイトンPS-1が破損した状態で置かれていた。
ライト-マーティン-デイトンとは人類初の有人飛行を行なったライト兄弟が設立したライト社とそのライト兄弟に憧れて飛行家を志し、水上機の開発などで著名だったグレン-ルーサー-マーティンが設立したマーティン社が合併して誕生したライト-マーティン社の子会社で発明家のチャールズ-ケタリングとエドワード-ディーズが設立したデイトン航空機を買収したものだった。
この機体はリベリア共和国へのアメリカへの介入中にイギリス植民地であるシエラレオネに墜落したもので、アメリカ側は機体の返還を求めたが、イギリスは尾翼や主翼などの一部を返還しただけで、重要な機構が搭載されている胴体部分はそのままイギリス本国へと送っていたのだった。
その重要な機構とは、クランクを回して航空機の胴体に脚部を格納する引き込み脚機構であり、空力的な抵抗発生源となる脚部を格納する事によって従来よりも高速化を目指せるかもしれない画期的な機構だった。
ライト-マーティン-デイトン社がこの様な画期的な機構を採用したのには、ライト-マーティン社の社内事情が関係していた。ライト-マーティン社は前述の通りライト社とマーティン社が合併したものだったが、この2社の合併はうまくいったとは言えず、特にマーティン社側がたびたび関係を解消しようとしていた。それでも表向きには一つの会社として続けられているのは、ライト社が航空技術の特許侵害の主張と使用料の取り立てを行なう事により莫大な資金を得ており、ライト社に逆らう事により潰されてしまうのではないかという懸念があったためだった。
しかし、似たような行ないはライト兄弟と同じく著名な初期の飛行家であるグレン-カーチスが設立したカーチス社も行なっていた。カーチス社とライト-マーティン社の争いは多くは法廷闘争だったが、一方で自社の技術的優位を示す必要もあり、両社とも積極的に新技術を採用していった。引き込み脚機構はそうした流れの中で採用されたものだった。
イギリス海軍としてはすぐさまこの機構を量産化に移したかったが、手回し式の機構は操縦士の疲労が懸念されたため、最終的にウォリスとノーウェイが試行錯誤しながら、油圧式の新機構を開発した。それらがヴィッカース社の販路で売りさばかれた結果、引き込み脚という新機構はアメリカではなくイギリスから世界に広まる事になる。
1925年8月1日 ドイツ自由社会主義共和国 ベルリン アルベルト-アインシュタイン研究所
かつてカイザーヴィルヘルム化学研究所と呼ばれていた、ここは革命に伴って研究所にもかかわりのある世界的に著名な物理学者の名をとってアルベルト-アインシュタイン研究所と改名されていた。
アンモニアの化学的合成を成し遂げたフリッツ-ハーバーの名を冠するべきという提案もあったが、現在では"転向"したもののかつてはドイツ帝国の熱烈な支持者であったハーバーよりも国際的に知名度の高く消極的ながら革命を支持していたアインシュタインが選ばれたという経緯があった。
また、そもそもハーバーの功績自体ドイツ以外では認められていなかった。
ドイツ帝国時代は第一次世界大戦中の海上封鎖による硝石枯渇や食糧不足に悩まされていた事の教訓もあり、アンモニアの化学的合成に関しては最重要機密とされており、その製造さえも軍の監督の下に行なわれており、実際の製造にあたったカールボッシュなどの化学者も外部との交流を最小限とする事を求められ、さらには製造施設内すらも厳しく細分化されていたことから、その全容を知るものは少なく革命後の混乱でその機密を知る者たちが流出した事から、初めてその情報が世界に知られるようになったが、流出したのは情報だけであり製造法などを確立するには至らず、ロシア帝国で生まれ、ドイツとスイスで化学を学び、イギリスに帰化したユダヤ系科学者ハイム-アズリエル-ヴァイツマンが発見したバクテリアを利用してデンプンからアセトンを合成するバクテリア合成法によってコルダイト火薬の生産体制が確立されていた事や合成の実用化に向けた実験中に爆発事故が相次いだため研究は下火になっていき、やがて、『社会主義者の疑似科学』あつかいされるようになってしまっていた。
ハーバーの研究が否定された事により、イギリスではバクテリア合成法の発見によって微生物の働きについて関心が高まっていた事もあり、アルバート-ハワードのインドール農法をはじめとする有機農法が主流となっていった。また、ドイツと国境を接する隣国であるフランス共和国やイタリア王国、ロシア帝国では『社会主義者の疑似科学』であるアンモニアの化学的合成法をあらたな化学兵器の開発計画の隠れ蓑ではないかと疑い、ドイツに比べて遅れているとされた化学兵器の開発に一層拍車がかかる事になる。ハーバーの発見は疑似科学扱いされたにもかかわらず、各国に大きな影響を与えていたのだった。
ともかく、この日そんなアインシュタイン研究所の一室では、2人の男女が喜びに打ち震えていた。
「やった、やったぞ」
「ええ、人類初の偉業だわ。」
男女はともに物理学者であり、男はオットー-ハーン、女はリーゼ-マイトナーといった。
彼らの研究は天然ウランに中性子線を照射した際の反応の調査であり、ドイツ帝国時代から研究を続けていたがこの日、遂に原子核の分裂を確認する事が出来たのだった。ドイツ帝国時代からの積み重ねも大きかったが、革命に伴う混乱にも関わらずハーンとマイトナーの研究が続行できたのは、ハーバーの偉大な発見を疑似科学呼ばわりされたドイツが国を挙げて科学的研究を援助する姿勢を打ち出したためだった。
ハーンとマイトナーの偉業はドイツ政府の知るところとなり、社会主義が資本主義よりも進歩している証とされ、大々的に取り上げられた。中でもマイトナーは珍しい女性物理学者であった事から、ハーンよりもマイトナーの事を特に重点的に宣伝した為、世界的にはハーンよりもマイトナーの方が核分裂反応の発見者として著名な存在となり、特にポーランド生まれでポーランド王国成立後は一時帰国していた事もあったが、革命後にはフランスに戻り、ドイツによるポーランド支配をたびたび批判していた女性物理学者マリー-キュリーとしばしば対比される事になる。
とはいえ、この時の核分裂反応の発見は物理学上の偉業というだけであり、それが現実に影響を与えるようになるのはもう少し後の事になる。




