第224話 実証試験
1925年5月4日 リベリア共和国 モンロビア
モンロビアの市街地をアメリカ海兵隊が行進していた。表向きはアメリカ人宣教師がリベリアで布教中に"不幸にも"現地部族に襲撃された事に対する報復だったが、実際はアメリカから黒人たちを追放するための土地を確保と反抗的な部族の"整理"の為だった。
「ヴァンデクリフト少佐、どうかね?」
「バトラー准将、今回はこのような機会を頂き、本当に何と言っていいか」
「気にする事は無い、これも"新たな戦術"の検証の一環だよ…君の提案は海軍でも、陸軍でもなく我々海兵隊こそが合衆国で最も先進的で精強な軍であると示すのに有用なものだった。だからこそ採用したのだ。存分にやりたまえ」
スメドレー-ダーリントン-バトラー准将はアレクサンダー-アーチャー-ヴァンデクリフト少佐に対し、そう激励の言葉を贈った。ヴァンデクリフトの提案とは飛行船からの兵員のパラシュートによる投下と奇襲であり、後に空挺部隊と呼ばれるものの萌芽だった。
ヴァンデクリフトは海兵隊の中でも航空機の有用性を早期に認めた士官の一人であり、その拡充を訴えるとともに自らも新たな戦術の研究を進めていた。ヴァンデクリフトが空挺部隊の着想を得たのはメキシコ出兵時のベラクルス占領の為に派遣された第1海兵隊の中の一人として派遣された時に、アメリカ海軍の新兵器であるヒューイット-スペリー-オートマチック-プレーンを発艦させた後、パラシュート降下で脱出した操縦士たち、セオドア-ゴードン-エリソン、パトリック-ネルソン-リンチ-ベリンジャー、ゴッドフリー-デクルーセイ-シュヴァリア、マーク-アンドリュー-ミッチャーの姿を見てパラシュートで兵員を直接後方に送り込む事ができないだろうか、と閃いたからだった。
ヴァンデクリフトは海兵隊内部で自らの構想を説き、同時に海軍のウィリアム-アジャー-モフェットら海軍内部の航空閥にも接触した。
ヴァンデクリフトの主張は余りに突飛であり、当初は海兵隊内外から非現実的と批判にさらされたが、その中でヴァンデクリフトが説き続けたのは、陸軍に対する優位性の確立だった。
海軍が海戦の主役であるように陸軍が陸戦の主役であるのは当たり前だが、ヴァンデクリフトは当時の愛国党政権の主導する海軍拡張計画ダニエルズ-プラン、通称『グレート-ホワイト-フリート』が大日本帝国および大清帝国を仮想敵としていた事に目をつけ、
『来たる太平洋における戦争の主役は海兵隊であり海軍である』
とまで言い切った。ヴァンデクリフトがここまで言い切ったのにはちゃんとした理由があり、その根拠は太平洋の勢力図だった。
太平洋では第一次世界大戦の結果、旧ドイツ帝国植民地の内ニューギニアとブーゲンビル島はオランダ王国領となり、それ以外の島嶼はフランス共和国に割譲されていた。清国領の台湾と接するアメリカ領フィリピンはともかくグアム島や、北のアリューシャン列島などでの大日本帝国との衝突は起こりえないと考えられていたからだった。
そのため、対日戦、対清戦を考えた場合フィリピンで両国の攻勢を凌ぎその後反撃に転じるという考えが主流だった。そのため当然ながらフィリピン防衛の為、陸軍主導の要塞建設などが推し進められていたのだが、近年ではその考えを覆すような状況の変化があった。
日本による樺太の編入とフランス領北マリアナでの日本とフランスの軍事協力の緊密化によって、グアムやアリューシャン列島、アラスカでの軍事的衝突の可能性も十分に視野に入れなければならなくなったのだった。もっとも、これらの事態、特に日本とフランスの軍事協力の緊密化をもたらしたのはミッチェル政権によるフランスならびに日本への挑発的な姿勢が両国で問題視されたためだったのだが。
こうして、いざ戦争となった際には日本領並びフランス領を早期に制圧する必要に迫られたのだが、当然陸軍はそんなことを考えていなかったし、海兵隊にしても各地で大規模な上陸作戦を迅速に展開するという事は不可能だった。
そこで、フィリピンやグアム、アリュ-シャン列島などを放棄し、態勢を整えたのちに反撃を行なう方針に固まりかけたが、大統領から待ったがかかった。何よりも国民受けを気にするミッチェルはそのような防御的な作戦案を認めようとせず、再考を求めた。
こうして頭を悩ませ続ける中で、注目が集まったのがヴァンデクリフトの構想だった。海兵隊員を飛行船ないし航空機によって迅速に島嶼部に降下させ、これを制圧する事によって、それまで戦略上の弱点として考えられていた島々を利用して逆に東京や南京への最短路とするというヴァンデクリフトの案は海兵隊の目には非常に魅力的なものに映った。
『素晴らしい。これでいけ好かない陸軍野郎に頼らずに、俺たちだけで戦争をして終わらせる事が出来る』
とある海兵隊幹部はそう言ったという。
ともかく、そういうわけでヴァンデクリフトの案は認められ、それからは海軍の飛行船を改造して、正式に降下訓練が行われることになり、今回、実証試験の一環としてとしてリベリアに送られていたのだった。
このリベリア介入において投入された海兵隊空挺部隊は、それからしばらくして増援として送られてきた陸軍の戦車部隊が、鉄道すらないという劣悪な環境から、戦闘はともかく移動や補給といった面で大いに苦労し衝撃戦の実証試験どころではなかったのに対し、空中の飛行船から降下し、点在するアメリカ企業ないしアメリカ人に関係する施設を守り、さらに空から降りてくる謎の敵兵という未知のものに対する恐怖から、リベリアにおける抵抗を迅速に鎮静化する事に役に立った。こうして一時的にだが、リベリアは安定を手にする事になり、その結果、リベリアのアメリカへの傾倒と国内における差別はますます際立っていく事になるのだった。




