第222話 自由の土地
1924年12月6日 リベリア共和国 モンロビア
リベリアはアメリカ合衆国に送られ、その後解放された奴隷たちが"帰還"するために造られた国家であり、そのためその首都の名もアメリカの第5代大統領ジェームズ-モンローにちなみモンロビアと名付けられていた。
"帰還"した黒人たちは、自らをアメリコ-ライベリアンと称し、かつて自らを奴隷として扱ったアメリカ南部の農園主たちと同じようにアメリカ南部様式の邸宅に住み、先住民つまり、もともとこの地域に居住していた黒人たちを差別し、奴隷のように扱った。自由の土地に出現したのはかつて自らを鞭打たれた者が別の者を鞭打つ社会だった。
そんなリベリアを訪れ、大統領であるチャールズ-ダンバ--バージェス-キングと話していたのは世界黒人開発協会アフリカ会連合の指導者であるマーカス-ガーベイだった。
「では大統領閣下、どうしても新たな移民は受け入れてもらえないと」
「当然だ。我が国は未だ貧しいままだ。そこにいくら同じ黒人とはいえこれ以上移民を増やす必要性があるのかね?それに、将来的な話とはいえこのリベリアにアメリカからすべての黒人を連れてくるなど不可能だろう…建国から77年、この土地に住んでいた先住民の抵抗も未だ続いている。未だに野蛮な伝統宗教を信仰し、キリスト教を受け入れようとすらしないものも多い…ガーベイ氏、この国は貴方の言う"故郷"とは程遠い状態なのだ」
「しかし、説明した通りアメリカからの援助もありますし…」
「問題はまさにそこだよ。空から毒ガスをばらまいて現地部族を一掃した土地に新たな移民たちを入植させるなど、正気の沙汰とは思えん。万が一、イギリス領やフランス領にも被害をもたらすような事になれば我が国は終わりだぞ、その時アメリカは助けてくれるのかね?くれないだろう」
アメリカ政府は先住民がアメリカから"帰還"した黒人たちに対して反抗している事を知っており、その解決策として、空からのガス弾による爆撃と戦車を中心とした機械化部隊による攻撃によってこれを粉砕しようとしていた。早い話、3年前にフィンランド大公国で行われて以来、各国で研究されるようになっていた衝撃戦の実証試験をリベリアでしたかったのだった。
しかし、アメリカ政府からは黒人のアフリカ帰還への"支援"について説明はされていたが、イギリス、及びフランスとの間に問題が生じた場合、確実にリベリアを守り抜くと言われたわけではなかった為、ガーベイは黙るしかなかった。それでもガーベイは話し続けなければならなかった。何としてでも、リベリアへの移民を成功させなければならない理由がガーベイにはあったからだ。
ガーベイはアフリカ帰還運動のアメリカでの高まりを見てこれを大きなビジネスチャンスと考え、ブラック-スター-ラインという船会社を設立していたのだが、保有する船舶は老朽化した中古船ばかりのため維持費がかさみ、あと数年もすれば動かなくなるだろうと言われるような有様だった。そのためガーベイは何としてもリベリアへの早期かつ大規模な移民によって利益を出す必要があったのだった。だからこそ、ガーベイはキングを脅迫することにした。
「大統領閣下、しかし、現実的に考えればアメリカからの支援無くしてこの国は立ち行かないはずです。イギリス人はアフリカの大半をフランスと共に植民地化しておきながら、貴方方の"ビジネス"に口を出してるわけですからな…」
今度はキングが黙る番だった。
ガーベイの言った"ビジネス"とは旧スペイン領、現在はイギリス領のフェルディナント-ポー島へ先住民を奴隷同然の扱いで"出稼ぎ"させていたことが、イギリス領編入後に問題視され、庶民院では元新聞記者の経歴を持つレオポルド-チャールズ-モーリス-ステネット-アメリー労働党議員がこれを暴いて糾弾していた。これを受けたキッチナー政権も当然リベリアと、そしてそのリベリアに強い影響力を持つアメリカを糾弾していた。
この"出稼ぎ"問題とその後のイギリスによる批判はリベリア政府にとって大きな衝撃だった。1つはキングをはじめとする政府高官が少なからずこの"出稼ぎ"に関わる、あるいは利益を得ていたからだった。
そして、もう1つはこのイギリスによる批判によって新たなリベリアの産業の柱と考えられていた、ファイアストーン-タイヤ-アンド-ラバー-カンパニーによるゴム農園建設計画が流れてしまったからだった。
ファイヤストーンは元々イギリス領マレーのゴム農園に供給を依存していたのだが、近年ではイギリスとアメリカの対立が続いている事もあり、リベリアへのゴム農園の建設計画を立てていたのだが、そこで"出稼ぎ"問題が持ち上がり、
『リベリアへのゴム農園建設は恥ずべき奴隷制への加担であり強行した場合には相応の措置を取る』
とイギリス側から釘を刺された事で、現在の供給源を断たれるか、それでもなお将来への投資を優先するかを検討した結果リベリアへの建設は断念され、代わりにポルトガル内戦後にカーボベルデ諸島とポルトガル領ギニアを支配して軍閥化した、ジョアン-テイシェイラ-ピント少佐によって治められているギニアにゴム農園を建設する事になった。しかし、イギリスによるゴム資源の支配的構造を維持したいイギリスはピント少佐率いる軍閥を懐柔しようと試み、ファイアストーンによるゴム資源自立を達成したいアメリカも懐柔を試みた結果、ギニアはイギリス、アメリカ両国の暗闘の舞台となるのだがそれはまた別の話だった。
ともかく、リベリアにとって重要なのは自らが野蛮な国と見なされている事であり、かつての対オスマン帝国戦争や近年の第2次エチオピア戦争を考えれば、それを口実に攻め滅ぼされないとは誰も言えなかった。
「…ガーベイ氏、確認したいが、貴方の計画は"公的な支援を受けたもの"で"実現可能"なのだな?」
「…ええ、もちろんですよ。閣下」
その言葉を聞いたキングは立ち上がり、ガーベイと握手を交わした。こうしてアフリカ"帰還"運動は机上の空論から現実の政策へと昇華したのだった。




