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第220話 新油田

1923年12月23日 イギリス保護領 クウェート首長国 ブルガン


「これでイギリスは我々の事を見捨てる事は出来なくなったわけだ。たとえカリフが相手であろうと、このクウェートは我らだけのものだ。この炎こそ我らの独立の象徴なのだ」


大地から噴き出る炎を目の前にして、クウェート首長、アフマド-ビン-ジャービル-アル-ザバーハは喜びを隠しきれなかった。


クウェートは公式にはハーシム朝アラブ帝国の一部という位置づけだったが、オスマン帝国時代と変わらずイギリスによる保護条約は機能しており、実体としては半独立国のようなものだった。


ハーシム朝のカリフであるフサイン-イブン-アリーやアラブ帝国の実権を握っている大アミールアッバース-ヒルミー2世らはその状況を苦々しく思っていたが、自分たちもイギリスの支援を受けてその地位を保っているため、手を出す事は出来なかった。


そんな中でイギリスの支援を受けてアラブの反乱を起こしたムバーラク-ビン-サバーハ-アル-サバーハの孫であるアフマド-ビン-ジャービル-アル-ザバーハはさらにクウェートの地位を確かなものにするべく行動を開始していた。


クウェート領内における油田についてはムバーラク-ビン-サバーハ-アル-サバーハの頃よりその存在が知られていたが、それまで本格的な開発は行われてこなかった。


原因としては欧州列強各国の石油会社が中心となって設立したオリエント-ペトロリウム-カンパニーの中で特にイギリス系の資本が大きな勢力を持っていたからだった。対オスマン帝国戦争後を見越して設立されたこの石油会社は戦後処理の名のもとにアメリカ合衆国のソコニー社とオスマン帝国が共同で設立したターキッシュ-アメリカン-オイルがオスマン帝国末期に国有化を宣言されていた事を理由にそのすべてを支配下に置き、その後のドイツ革命に伴い、ドイツ系石油会社ヴィンター-シャルが有していたペルシア領内の石油利権も継承し、もはや、オリエント-ペトロリウム-カンパニーは向かうところ敵なしといった状態だった。


しかし、メキシコ風邪の流行やドイツ革命などにより世界情勢が混沌とする中でオリエント-ペトロリウム-カンパニーも少なからぬ打撃を受けており、そうした事から新規の投資、まして出るか出ないかもわからない新油田の採掘には流石に及び腰になっており、クウェート領内での油田試掘すら行われる事は無かった。


しかし、シャルロッテ-アマーリエ会議の成功により一応世界情勢が安定したものになると、経済界にも新規投資の動きが広がりクウェートでの石油領内での石油試掘が行なわれるようになっていった。そしてこの日、従来より油田の兆候が確認されていた事からもっとも有望視されていたブルガンにおいて採掘が開始されたのだった。


このブルガン油田の存在はクウェートにとってはその独立を担保するためのまたとない取引材料だったが、各国の石油会社、とりわけオリエント-ペトロリウム-カンパニーによって近東から叩きだされたソコニー社には大きな衝撃を与えた。ソコニー社とオリエント-ペトロリウム-カンパニーの間では旧ターキッシュ-アメリカン-オイルが採掘していた油田の権利をめぐり係争状態が続いていたが、仮に旧ターキッシュ-アメリカン-オイルの採掘していた油田を取り戻せたとしてもオリエント-ペトロリウム-カンパニーに対抗できない事を意味していたからだった。


1924年2月13日 アメリカ合衆国 ニューヨーク州ニューヨーク市 ソコニー社本社


「全く困ったものだ」


ソコニ―社の社長であるハーバート-リー-プラットは何度目になるかもわからない溜息を吐いた。

アメリカ石油産業の黎明期における重要人物であるチャールズ-プラットの息子であるハーバートが長きにわたり社長を務めていたヘンリー-クレイ-フォルガー-ジュニアから社長職を引き継いだのは昨年の6月の事だった。


それまでもソコニーの経営は対オスマン帝国戦争の勃発と旧ターキッシュ-アメリカン-オイルの国有化によって追い詰められていたのだが、ブルガン油田の発見によって最早、崖っぷちとしか言いようがない程に追い詰められてしまったからだった。


(せめて、ベネズエラでの事業に食い込めていれば…いや今更言ってもどうしようもない事か)


アメリカの勢力圏にある有望な油田といえば、マラカイボ湖をはじめとするベネズエラ共和国の油田だったが、ソコニ―社をはじめとするスタンダートオイル系各社は思うようにベネズエラでの事業を行なう事が出来なかった。"公正な競争"の名のもとにハリー-フォード-シンクレアが創設したシンクレア-オイルやエドワード-ローレンス-シドニーが創設したパン-アメリカン-ペトロリウムなどの新興石油会社がベネズエラの新油田の主となっていたからだった。


こうした新興会社の躍進の裏に愛国党政権からの支援があったという"噂"は業界では知らぬ者はいなかった。国家の血液にも等しい存在である石油を国家に近しい人間が管理するという体制は少なくとも国益という点では理に適っている、と言えなくも無かったが、"公正な競争"からは明らかにかけ離れたものだった。


こうして、ベネズエラでの事業を諦めたソコニーは北に目を向けた。北の隣国カナダのアルバータ州にはいくつかの油田の存在が確認されていたからだった。


しかし、ソコニ―は同業者であるカナダのインペリアル-オイルからの妨害を受けた。このインペリアル-オイルはジャージー-スタンダードの子会社であった為、ソコニーはジャージー-スタンダードに対し抗議したがジャージー-スタンダードには無視された。


そのため、ソコニーはインペリアル-オイルの採掘場所から離れたテルフォード湖近くのルデュックという小さな町で試掘を開始した。現場を仕切っていたジョージ-レイノルズは長年の経験から油田があると主張していたがプラットは悲観的だった。


レイノルズがルデュックにおいてアルバータ州の油田の中でも最大規模の物を掘り当てたのはその日の午後の事だった。


それを切っ掛けに、アルバータ州の石油産業はさらに発展することになるが、一方で自国の石油資源がアメリカ企業またはその子会社による採掘に頼り切っているという事実はカナダ自治領政府内で問題視され、規制とカナダ独自の石油産業の自立を求める声が高まったが、アルバータをはじめとする西部諸地域ではそうした政府による規制を目指す動きが雇用の喪失につながるとして、中央政府への反発を強めていく事になる。

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