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第219話 尊き者或いは恐ろしき者

1923年11月1日 エチオピア帝国 ハラール

千夜一夜物語の翻訳者として知られるリチャード-フランシス-バートンによればイスラーム世界において広く使用されるカートならびにイスラーム世界からヨーロッパを通して世界中に広まったコーヒーのもともとの原産地であるとされるハラールにはエチオピア帝国皇帝イヤス5世よりの使者が訪れていた。


(デジャズマチ)、聡明なる貴方であれば今のエチオピアがどのような状況にあるかはご存知の筈…どうか共に立ち上がってはくれまいか」


使者はそう言った。それを聞いたハラールを治める(デジャズマチ)タファリ-マコネンは少し考え込む仕草をした。タファリは尊い、または恐ろしいの意であり、マコネンは彼の父親であり、かつてイタリア軍を撃退したアドワの戦いで活躍した名将、ラス-マコネン-ワルド-ミカエルからとった名であった。

幼名のリジ-タファリ-マコネン、リジは子供の意味である事からマコネンの恐ろしいまたは尊い子とでもいうべきかつての名から子供を意味するリジがなくなり、いまでは(デジャズマチ)(元々は軍の部隊の内、主力を指揮するものに与えられた称号だが現在ではヨーロッパでいう伯爵と同様のものとされていた)の地位を与えられたタファリ-マコネンはその名の通り多くの者の尊敬を集める聡明さ発揮していたが、少なくとも皇帝リジ-イヤスにとっては恐ろしき者としか思えなかったようで常に警戒されていたのだが、イタリア軍の侵攻後はそうした余裕も無くなったようで参戦を求める書状が届いていたが、タファリ-マコネンは拒否し続けていた。


「使者殿、たしかに幸いにして私には余力がある」


タファリ-マコネンは静かに言った。

ハラールは開戦以来イタリア軍による積極的な攻撃を受けてはいなかった。それはこの地がイギリス領ソマリランドやフランス領ソマリランドに近く、近隣にはフランス資本の鉄道まで通っていた事から、他国特にフランスとの問題化を嫌った為であった。そのため少なくともパリとローマの間で書簡が交わされ、外交官が絶えず行き来している間はハラールは自らイタリアに敵対しない限りは安全だと言えた。


「おお、では…」

「しかし、強大なイタリア軍相手に戦う事は我が臣下にも、そしてここハラールの民にも多くの負担を強いる事になる…その見返りがここの永代統治権ではあまりに安すぎないかね」

「ですが、貴方ならばこの地がどれだけ重要なものかはご存じのはず。そうでしょう(デジャズマチ)そして、それを保証するという事が陛下にとってどのような意味を持つのかも」


ハラールは伝説によればヒジャーズより来たアバディール-ウマル-アル-リダが建設した都市だとされており、その伝説の真偽はともかくハラールは多くのイスラーム諸王朝の首都となってきた歴史があり、エチオピアにおけるイスラーム文化の中心地でもあった。そんなハラールを征服したのがラス-マコネン-ワルド-ミカエルであり、そのまま息子であるタファリ-マコネンに受け継がれていたのだが信仰心の篤いムスリムであったイヤス5世からすれば、ムスリムにとって重要な都市であるハラールがキリスト教徒であるタファリ-マコネンの支配下にある事はとても認められないことであり、ことあるごとにその地位を奪おうと画策していた。その為、今回の提案はイヤス5世からすればこれ以上ない譲歩だったが、タファリ-マコネンからすればもともと父が征服した領地を不当に取り上げようとしていたくせに、それを認めるから参戦しろというのは話にすらならない提案だった。


「…話は終わりか、お帰り願おう」

「お待ちください、(デジャズマチ)、お待ちを、イタリア人は取引が出来るような甘い相手ではありません、どうか我らと共に…」


引きずられていく使者の言葉を聞いてもタファリ-マコネンは冷静そのものだった。


(取引が出来るような甘い相手ではない、か。では力を合わせれば勝てるとでもいうのか、全く馬鹿馬鹿しい。少なくとも逃げ回っている皇帝に支持が集まるとは思えん。いくらあの毒ガスとやらを避ける為でもな)


タファリ-マコネンは冷静に自らの考えをまとめ続けた。

皇帝であるイヤス5世は開戦以来絶えず移動を続けていた。これは、オスマン帝国から来た客将イスマイル-エンヴェルの進言にしたがい、かつてエスキシェヒルが連合軍によって使用された神経剤によって壊滅させられたことを教訓に一つの都市に留まらないようにしながら、ゲリラ戦で敵の補給を断って降伏に追いやる事を目標とした為だったが、事情が良くわからない多くの部族からすればただただ逃げ回っているようにしか見えず、イヤス5世に対する支持はイタリアという外敵の侵入を受けているにもかかわらず下がる一方だった。そのような状況で皇帝側につく事は自殺行為と言えた。


かといって何もせずに傍観する事もまた危険だった。このハラールにおいては自らをはじめとするアムハラ人は征服者であり、他の諸民族とくにイタリア領ソマリランドにも多く居住しているソマリ人がイタリアと結んでタファリ-マコネンを打倒するために動く可能性が無いともいえないため、タファリ-マコネンが偉大な父から受け継いだ領地を守り抜くためには何らかの行動を起こす必要があった。


やがて、タファリ-マコネンは2つの書簡を書き、それを届けるように命じた。


1つ目の書簡の相手はフランス領ソマリランド総督ジュール-ジェラール-オーギュスト-ロレだった。内容はハラール周辺のフランスによる保護領化の提案だった。


もう1つはロシア正教会に対してのもので、戦後に予想されるイタリアによるカトリック化政策に対抗するためにエチオピア正教会のアレクサンドリアのコプト正教会からの離脱とロシア正教会によるエチオピア正教に対する庇護の提案だった。


イギリスとイタリアによるエチオピアの勢力圏化に対し常に警戒してきたフランスからすれば、既にアフリカ横断政策が頓挫した現在においてもフランス領ソマリランドの背後を脅かすような動きを受け入れる事は出来ず、今回の侵攻においてもイタリアを非難していた。


ロシアについてはエチオピアがサハラ以南の地域で唯一キリスト教の信仰を守り抜いたという事から、宗教的な関心を寄せており、メネリク2世が当時のロシア皇帝アレクサンドル3世に向けて親書を送り、エチオピアの承認を求めた事が、エチオピアを保護国化しようとしていたイタリアを警戒させ、のちの第一次エチオピア戦争の遠因にもなったと言われているほどだった。


現在のエチオピアにおいて助力が期待できるのはこの2国のみであり、イヤス5世も当初より接触しようとしていたが、こちらはムスリムであることを理由に断られていた。タファリ-マコネンは改めてフランスとロシアの助力を受ける事を期待して書簡を送る事にしたのだった。それは、自らの所領を守るために他のエチオピア諸地域を見捨てるという、非情な決断だったがタファリ-マコネンは例え自らが参戦した所でイタリア軍に対して勝つ事が出来る訳ではない、という事を十分承知していたが故の決断だった。


ボンガ郊外でイヤス5世とエンヴェルが捕らえられたのはフランスとロシアからの回答がタファリ-マコネンの下に届いて暫くのことだった。


これによってタファリ-マコネンはイギリス領インド帝国の藩王国にならいイタリア領東アフリカ唯一の藩王国、ディレ-ダワ藩王国を樹立した。本拠をハラールではなくフランス領ソマリランドから延びる鉄道駅のあるディレ-ダワにしたのはタファリ-マコネンが頼みとしているのは誰なのかを露骨に示していた。その後、ハラールを含むディレ-ダワ藩王国では住民交換によって急速にアムハラ化、キリスト教化が進む事になった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] イタリアが一大帝国を築きつつあるように見えて不思議です。 合衆国とヨーロッパ大陸の状況を見るとイギリスもイタリアには融和的になるだろうし。 ローマ帝国の再興というと壮大な冗談ですが。 意気…
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