第217話 混乱の8月
1923年8月2日 アメリカ合衆国 インディアナ州 ハモンド近郊
インディアナ州の北部の町ハモンドの近くを列車が通過していた。その列車にはとある一組の夫婦がアメリカ合衆国議会警察の厳重な警備の下で乗っていた。
「ねえ、貴方…あの女とどんな話をしたの…」
「ただの…仕事の話だよ。教育はろくでなしの移民どもを健全な国民に育て上げる為の第一歩だからな。だから…」
「嘘、嘘でしょう。貴方の事ですもの、どうせ今は仕事の話でもすぐに"個人的な事"を話すようになる。そしてそのあとはきまって…」
「フロージー、やめろ、オーベルホルツァーさんとは何もないんだ。これまでも、これからもな」
上院反アメリカ活動調査特別小委員会の中心人物であるウォレン-ガメイリアル-ハーディング上院議員は妻であるフローレンスの問いに対して言い聞かせるように言った。
フローレンスが問い詰めていたのはハーディングがインディアナ州アービントンの女性教師マッジ-オーベルホルツァーが行なっていた青年学校への視察を利用して、オーベルホルツァーとハーディングが関係を持ったのではないかということだった。実際はオーベルホルツァーの青年学校が教育者であるルイス-ポール-ベネゼが提唱した移民に対して高等教育よりも読む、話す、推論の3つの要点にしぼった英語教育を重点的に実施するべきという理論を青年教育に適応させた画期的な事例であった為に行なわれた単なる視察であり、フローレンスが想像するような事は何もなかったのだが嫉妬深く、疑い深いフローレンスはなかなか認めようとしなかった。
「でもあなたは"委員会"の人間でしょう?どうして貴方が…」
「どうして?どうしてだと、本気で言ってるのかフロージー?全部、君と君の父親のせいじゃないか、君の家族さえいなければ、君とさえ出会わなければ、私は今頃大統領だった。そうすればこんなくだらない教育現場の視察などせずに済んだろうし、君にこうして理不尽に詰め寄られる事も無かった、ああ、くそ、どうしてこうも上手くいかないんだ」
ハーディングはフローレンスに対してうんざりしたような口調で言った。
こうしたやり取りは初めてではなかった。そもそも、ハーディングにとってフローレンスとの結婚は不幸なものであった。フローレンスはハーディングと出会った時には既に離婚歴のある女性であったがハーディングに惚れてイエスというまでハーディングを追い回した末に渋々承諾させたのだが、オハイオ州の中小新聞を買い取って、積極的に共和党支持を打ち出していたハーディングの最大の商売敵であり、フローレンスの父親でもあるエイモス-ホール-クリングは、娘を"奪った"ハーディングに対し敵意を燃やし、ハーディングにまつわる起源不明の噂であるハーディングには黒人の血が混じっているという噂を広めていった。フローレンスは彼女なりに新聞社の経営を支える為に努力したが、それをハーディングが認める事は無かった。成功したハーディングは各地で愛人を作るようになっていった。嫉妬深いフローレンスはこれに対して怒り狂い、何度も問い詰めたが、ハーディングにとってフローレンスは初めて出合ったときからずっとな邪魔な存在でしかなく、2人の関係がますます冷え込んだけだった。
「ごめんなさい…でも私は本当にあなたの事を…」
「愛してるか?それはもう聞き飽きた。少なくとも私は君を愛してはいない」
「…そう、そうなのね。なら、最後に一つだけ…"ずっと飲まないでとっていたとっておき"があるのだけど一緒に飲んでくれない?」
「…ああ、もらうよ」
「愛してるわ貴方、永遠に」
「何か言ったかね?」
「いいえ、何も」
ハーディングはフローレンスが言ったことが気になったが、結局差し出されたそれを飲む事にした。そしてその意味を理解する事は無かった。なぜならば、ハーディングはそのまま倒れて二度と起き上がる事は無かったからだ。
その後、ハーディングの死亡が正式に警護についていた合衆国議会警察によって確認された。それに対して同乗者であるフローレンスは視察中に何らかの毒を盛られたのではないかと訴え、それに対してオーベルホルツァーはそれを否定した。ハーディングが視察中には何ら異常は見られなかったことやフローレンスと不仲であったことは前から知られていた事であったことから、逆にフローレンスによるハーディング毒殺説が疑われるようになった。しかし、予想もしないところで事態は一気に動く事になった。
アメリカ司法省調査局、BOIが反政府組織との関わりを理由にオーベルホルツァーを逮捕しようと動き出したのだった。これは局長であるアルバート-ベーコン-フォールの命令によるものであり、ハーディング暗殺の"敵討ち"によってBOIの実績をさらに強固なものにしようとして行なったものだったが、これに対しインディアナでは広く尊敬されていたオーベルホルツァーの逮捕は必然的にその世論を反政府的なものとした。無論、その背後にはインディアナを拠点とするデイビット-カーティス-スティーブンソン率いるクー-クラックス-クランの分派である反愛国党のスティーブンソン派による扇動があった。
愛国党のインディアナ州知事であるウォーレン-テリー-マックレイは州兵の出動を命じたが、州兵の中には出撃を拒否するものも多く、もはや連邦軍による介入を要請するしかないと思われた。しかし、大統領のジョン-パーロイ-ミッチェルを中心とする連邦政府の反応は微妙だった。
愛国党の中の二大派閥の一方である南部閥がインディアナ州に対する連邦軍の介入が自分たちの地盤である南部諸州への介入の前例となるのでは、との懸念から反対の意を表明したからだった。その背景には南部での人種分離政策に対する北部からの批判があった。もしも、連邦軍が秩序の混乱を理由に自由に介入するようになれば自分たちが苦労して作り上げた体制が崩壊してしまうからだった。そのためそうした先例は出来る限り潰しておく必要があった。
こうした政治的な事情もありアメリカは後にインディアナ危機と呼ばれる混乱状態に陥ってしまったが、ミッチェル政権はその弱みを隠そうと強気な姿勢を取り続けた。中でもアジア系移民に関する問題で対立する関係にあった大日本帝国と大清帝国に対してはそれまで以上に強気な姿勢でのぞみ、アジア艦隊の増強まで行ない、両国との間に外交的な危機まで引き起こすに至った。アメリカの8月は混乱に始まり混乱の中で終わったのだった。




