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第213話 プエルト-ジョーンズ宣言

1923年2月26日 パタゴニア執政府 チュバ州 プエルト-ジョーンズ

当初、アルゼンチン最南部のサンタクルス準州にサンタクルス=パタゴニア執政府という名前で建国されたこの国家はアルゼンチン共和国との戦いを通して、その北に位置するチュバ準州をウェールズ人やアフリカーナー、リトアニア人と言った移民たちが多かったことからその協力により制圧し、チュバ州と改称したが、その後は再びアルゼンチン軍によって押し返され、チュバ川を境にアルゼンチンと執政府がにらみ合いを続けているうちに、シャルロッテ=アマーリエ会議においてなし崩し的に承認が決まってしまった。


当初から係争地帯の譲渡と引き換えに承認を勝ち取っていたチリ共和国に加えて、イタリア王国、ブラジル合衆国からも承認を取り付ける事に成功したサンタクルス=パタゴニア執政府はその後、パタゴニア執政府へと改名し、首都もチュバ州のプエルト-ジョーンズとなった。このプエルト-ジョーンズは元々コモドーロ-リバダビアと呼ばれており、20世紀初頭からの石油採掘で栄えていた町だったがアルゼンチンの初代大統領であるベルナルディーノ-リバダビアに由来する事から相応しくないと考えられ、チュバ州への最初の大規模移民の始まりとなったウェールズからの移民運動を開始したウェールズ民族主義者マイケル-ダニエル-ジョーンズと実際に入植の指揮を執ったルイス-ジョーンズにちなんで改名されていた。パタゴニア執政府がアルゼンチンにおける反移民運動への反発から生まれたものである以上、かつての移民たちの事を称えるのは当然だった。


チュバ州はアルゼンチンに近すぎるのではないかとの懸念はあったが、反対はごく少数だった。何しろサンタクルス州は常に強風が吹き荒れている土地であり、そのような土地では抵抗活動ならともかく国家運営には不向きだろうという事は誰もがわかりきっていたからだった。その点コモドーロ-リバダビア改めプエルト-ジョーンズにはタフト政権時代のドル外交政策によって進出したアメリカ資本によって多くの建物が建設されており、政府庁舎への転用も容易と考えられてのことでもあった。


こうして、新国家の首都になったプエルト-ジョーンズにはこの日、ブラジル、チリの他にコロンビア、パラグアイ、エクアドルから各国の外相が集まっていた。


目的はパタゴニア執政府の承認とその根拠となる国際条約の締結のためだった。


本来はブラジルとチリしか参加する事は無いと思われた、この会議だったがコロンビアが参加を表明した事をきっかけに予想に反して多くの国家が集まることになった。


コロンビアが参加を表明したのはパナマ共和国成立からくすぶり続けるアメリカへの敵意もあったが、それ以上にチリに対する恩義に報いる為でもあった。

1885年、パナマ州知事ラファエル-アイスプルがコロンビアからの独立を宣言すると、アメリカは直ちにスループ艦シェナンドーを派遣してその独立運動を支援しようとしたのだが、これに対しチリとボリビア及びペルーの間で戦われた太平洋戦争においてアメリカがボリビア及びペルー側に対して同情的であり、両国に有利な講和をチリに対して打診していたことから反アメリカ的な感情が強かった事もありチリは最新鋭の防護巡洋艦エスメラルダを派遣し、パナマ併合を狙うアメリカの思惑を頓挫させる事に成功した。コロンビアが真っ先に今回の会議に参加する事にしたのはこの時の恩義を忘れていなかったからだった。なお、今回の会議終了後チリはコロンビアに対し退役間近だったエスメラルダを引き渡す事とし、エスメラルダはコロンビアとチリの友好の象徴となった。


しかし、コロンビアが参加を表明した事により、コロンビアと領土問題を抱え、また、チリにかつての太平洋戦争で敗れたペルーが不参加を表明し、同じく太平洋戦争の敗戦国であるボリビアも不参加を表明することになったが、反対にペルーと領土問題を抱えるエクアドルはかつて、愛国党政権時代にアメリカの介入によって政権を自由主義者に明け渡した苦い記憶から、結果的に反米となっている保守派が政権に復帰した事もあり参加を表明し、また、有望な油田地帯とされるチャコ地域をめぐってボリビアと対立関係にあるパラグアイも参加を表明した。


この会議の結果として国家の要件としては明確な領域とそれを統治する政府、そして他国との外交関係を築く能力を有している事が定められ、また諸国間の平等と干渉禁止も定められることになった。


「まずは、各国の揺るぎない信頼と友情を祝って」


会場にいた全員がパタゴニア執政府の国家元首的存在である司令官と外務大臣を兼任しているガブリエーレ-ダヌンツィオの言葉にグラスを掲げた。


すでに交渉は終わり、パーティーの時間となりつつあったが、誰も奇妙な食事に手を付けようとしなかった。


バラの花の部分だけを揚げたもの、フェルトで作られたどうみても食べられない料理、そして会場に充満するオゾンの香り…これまで誰もが体験した事のない料理ばかりが並び、みな、圧倒されるばかりだった。


これは未来派の旗手であったフィリッポ-トンマーゾ-マリネッティが考案した未来派の料理と呼ばれるもので、味覚だけでなく、触覚や嗅覚など感覚全てで楽しめる料理を目指して考案されたものだった。バルカン戦争以降イタリアではすっかり肩身が狭くなった未来派が多く移住していたパタゴニア執政府においては、伝統を掲げるアルゼンチン政府への反発もあって未来派の影響力は少なからずあり、今回のパーティーでも採用される事になったのだった。


しかし、当然ながらこうした奇異な料理が各国の外相に喜ばれる事は無く、ダヌンツィオが個人的な好みであったために用意させたオレンジのフルーツサラダにリキュールをかけたものや生のままの葡萄、蜜柑、バナナ、ネクタリンを食べるしかなかった。


もてなしの部分で多少の問題はあったが、いずれにせよこれによりパタゴニア執政府の基盤がさらに強固になったのは疑いようもない事実だった。


エスメラルダは史実では日本に売却されて和泉となるのですが、この売却の時に清国とチリの間で問題化する事を避けるためエクアドルにいったん売却した上で引き渡されました。


本来この売却は書類上の物であり代金はそのままエクアドルに賄賂として送り、運行はチリ人が行ない、日本の旗を掲げて日本に到着する筈でしたが、手違いでエクアドルの旗を掲げて入港した事が問題視され保守派出身の大統領だったルイス-コルデロ-クレスポに対するクーデター未遂がおきて失脚し、続けて後継となったビセンテ-サラザールは自由主義者のクーデターにより失脚。これ以降エクアドルは自由主義者の支配する国となります。


作中において愛国党の介入までエクアドルの保守派政権が元気だったのはエスメラルダが売却されていないため、エクアドル史における変化のきっかけが消滅した為です。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 南米の歴史も微妙に変わってきていますね。 アルゼンチンからすると、PBCC包囲網だ、と軍備拡張するところでしょうが。
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