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第212話 黒い血と民主主義

1922年12月4日 アメリカ合衆国 インディアナ州 インディアナポリス

「君たちはいったい自分が何をしたか分かっているのかね」


インディアナポリスにある秘密結社クー-クラックス-クランのインディアナ州支部では一人の男が怒り狂っていた。怒り狂っているのはクー-クラックス-クランの指導者(グランドマスター)ウィリアム-ジョセフ-シモンズだった。何故シモンズが激怒しているかといえば、愛国党のインディアナ州知事であるウォーレン-テリー-マックレイに対しインディアナ州支部は賄賂を贈り、見返りにクラン所属の者たちを州政府に積極的に登用するように求めたのだが、マックレイはこれを拒絶したため、インディアナ州支部はマックレイに対し脅迫を行ない、更に州議会ではクランの構成員であるエドワード-ジャクソンがマックレイに対する個人攻撃を行なうなどマックレイを追い詰めていったのだが、これがシモンズ激怒させたのだった。シモンズとしては取りあえず反移民政策を続ける愛国党政権を歓迎しており、地方の愛国党系の州知事に対しても静観を続けるようにと各支部に指令を出していたからだった。


「しかし、愛国党のマックレイさえ倒れれば、次の州知事は同志であるジャクソンです。そうなれば必ずや我々が優位になります。クランの勢力拡大を何故否定なさるのですか」

「…いいか、スティーブンソン君、我々の目的は黒人どもやアジア人、それにヨーロッパからの移民どもに"身の程"を分からせてやることだ。いや、いっそ消えてくれてもかまわないと思っている。そして現大統領は確かにアイリッシュでカトリックだが、その反移民政策は本物だよ。最近では黒人どものアフリカ帰還政策の後押しまで検討しているそうじゃないか、出自と信仰以外では我々にとってこれ以上ない大統領といえるわけだ」


インディアナでのクランの勢力拡大を主張したインディアナ州支部のみならず周辺諸州おいても強い影響力を持っているデイビット-カーティス-スティーブンソンに対してシモンズは愛国党政権を維持する利点を説いた。


「だが、それでも、アイリッシュでカトリックです」

「そうだな、だから最後にクランの力で奴を倒す。それで良いじゃないか、これ以上死に体の共和党に尽くして何になるというんだ。インディアナは得られたとしてもアメリカは失う事になるぞ」

「…例の"委員会"の"噂"が事実なら、どうですか?」


"委員会"、つまり上院反アメリカ活動調査特別小委員会、通称を中心人物である上院議員ウォレン-ガメイリアル-ハーディングからハーディング委員会と呼ばれる事の多い、反アメリカ的な活動を調査する事を目的とするこの委員会は、先代のルーズベルト大統領がイタリア系移民のニコラ-サッコとバルトロメオ-ヴァンゼッティによって暗殺された事から設置された委員会で、当初は移民がその対象だったが次第に範囲は広がり現在では社会主義者などもその調査対象としていた。


ハーディング委員会は州境を越えて広域に捜査を行なう司法省調査局、BOIとともにアメリカの民主主義の守り手として広く喧伝されている組織だったが、その絶大な権限故に悪い噂も多かった。


BOIの長官であるアルバート-ベーコン-フォールがその職権を乱用して、不正な蓄財をしていると言ったものが有名だったが、スティーブンソンの言う"委員会"の"噂"とは、ハーディングに黒い血が混じっている、つまり、先祖の一人に黒人がいたのではないか、という噂だった。これが真実ならば自他ともに認めるアメリカの守護者の一人であるはずのハーディングは黒人の子孫という事になり、到底認められる話では無かった。


「…"噂"については知っているがそれよりも実績を見て判断してはどうかね?」

「…どうしても考えは変えないというのですね。グランドマスター」

「もちろんだ。まぁ、今回の件は不問とするが、君たちもクランの一員としてこれからは秩序だった行動を取る事を…」

「…ようやくわかったよシモンズ、お前はただのスキャラワグにすぎない。このアメリカを、民主主義を守るのはお前じゃない、俺たちだ」


シモンズの言葉を遮ったスティーブンソンは軽蔑した目でそう言った。スキャラワグとは南北戦争後に北部の設置した統治機構に対し積極的に協力した南部出身の白人たちの事でありシモンズにとっては侮辱以外の何物でもなかったため、立ち上がってそのままスティーブンソンに殴りかかろうとしたが、周りにいるインディアナ支部の人間がそれを阻んだ。もはや彼らにはシモンズを指導者(グランドマスター)と仰ぐつもりは無かったのだ。


こうしてこの日を境にクー-クラックス-クランは愛国党支配を容認するシモンズ派と、反愛国党のスティーブンソン派に分裂する事になったのだった。


1923年1月12日 ブラジル合衆国 ペルナンブ―コ州 レシーフェ

レシーフェ近郊の古い大農園にある屋敷の一室では一人の青年が論文を書き終えたところだった。


「これでよし、と」


青年の名はジルベルト-デ-メロ-フレイレ。この大農園の主の息子だった。大農園を持つにしてはフレイレの生活は豊かとはいえなかったが、父は息子であるフレイレに対して南部パプテスト教会系のミッションスクールに通わせて、しっかりとした教育を施し、息子もそれに答えるように立派なリベラル派知識人へと成長した。やがて、フレイレはパプテストの本拠地であるアメリカ南部テキサス州の大学へと進学したが、そこに待っていたのは厳しい現実だった。


リベラル派知識人としてアメリカに対して抱いていたフレイレの幻想は再結成されたクー-クラックス-クランによる黒人へのリンチによって容赦なく打ち砕かれたのだった。


これに強い衝撃を受けたフレイレは大学院卒業後にブラジルへと戻った後に祖国であるブラジルとアメリカの人種差別を比較した研究論文の執筆を始めた。


フレイレの出した結論は、ブラジルではケルト人、ローマ人、ベルベル人といった多民族の遺産の上に建国されたポルトガル王国によって支配された事とブラジルの温暖な気候故に各人種間の融合が比較的進んでいるためにブラジルにおいて社会的な階層によるものはともかく人種的差別は存在しないとし、逆にアメリカにおいては各人種間の融合が明確に禁止されているために、結果として人種的な差別が蔓延しているというものだった。


従来ならば大学院を卒業したての若者による突飛な見解として扱われたかもしれない主張だったが、当時のブラジルの政治状況がその運命を変える事になった。

 

当時のブラジルは未だに半独立状態にあるリオグランテ-ド-スル自由地区を除けば内戦終結後に政権を握ったニロ-ペカーニャ大統領によって治められており、内戦後の復興事業の推進と同時に国際会議であるシャルロッテ=アマーリエ会議への出席など国際的な評価も高めていたのだが、まさにそのペカーニャこそがブラジルにとっての悩みの種となりつつあった。といってもペカーニャ自身に何か落ち度があったわけではなく、問題はその容姿にあった。ペカーニャが浅黒い肌をしていた事が、黒人とその混血者への蔑視が強いアメリカや南米諸国の中でも極端な白人化を推進した歴史を持つアルゼンチン共和国といったブラジルに対して敵対姿勢を強めていた諸国によって問題視されたのだった。


しかし、これに対してブラジルの知識人たちは、


『その写真は過剰に黒くみえるように加工されたものである』


などの控えめな反論を行なっただけだった。黒人は白人に比べて劣っているというのはブラジルでも常識であり、黒人の血が混じっているという中傷に対しては、そのように言うしかなかった。


そんな中でフレイレの発表した論文はブラジル中で大きな反響を呼ぶことになった。なぜならばフレイレの論によればブラジルにアメリカのような人種差別は存在せず、そしてそれまで後進性の象徴とされてきた人種混交こそがその証明となるからだった。


それまで、帝政廃止以降アメリカを模範としてきたブラジルの知識階級の中から、逆にそのアメリカの後進性を批判する論理が生まれた事は瞬く間にブラジル全土で大きな驚きと熱狂を持って受け止められ、やがて人種民主主義という一つの理念へと昇華することになる。こうしてフレイレが知的好奇心から書き上げた論文はブラジルという国家のアイデンティティすら変えてしまう事になったのだった。

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