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第209話 虎の牙

1922年6月24日 シャム王国 ナコーンパタム サナームチャン宮殿

バンコク郊外にあるラーマ6世の宮殿であるサナームチャン宮殿をシャム王国陸軍の部隊が包囲したのは、その日の夜明け前だった。彼らはシャムを統治するラーマ6世に対し早期国会開設などを訴えていた立憲派の決起部隊だった。


シャム陸軍の歩兵たちが、クルップM1903野砲の支援を受けながら宮殿に突入したのだがそこで彼らは激しい抵抗にあう事になった。


「機関銃だと、馬鹿な」


決起部隊を率いるピブーン-ソンクラーム少将は驚愕した。確かにサナームチャン宮殿には虎部隊(スアパー)と呼ばれるラーマ6世が個人的に創設した近衛兵がいたが、機関銃のような重火器は装備しておらず、実戦経験が皆無な事もあって容易に制圧できると考えられていた。


そのため宮殿のあちこちに点在する小規模の壕の中から、小銃の他にも迫撃砲や軽機関銃と思しき兵器を持って反撃してくることは予想すらしていなかった。対する決起部隊はといえば、虎部隊(スアパー)を容易に制圧できると考えられていた事や未だに輸送力の貧弱なシャムの鉄道では一度に輸送できる物資がかぎられており、野砲の数そして個々の砲に割り当てる弾薬を減らしていた為、制圧力に欠けていた。結局、決起したシャム陸軍部隊は国王の軍隊ごっこと侮っていた虎部隊(スアパー)の抵抗の前に敗れ去り、ソンクラームも戦死する事になる。


「同じシャム人同士で殺し合わねばならないとは…」


未だ片付けきれていない決起部隊の兵士の死体を見ながらラーマ6世は近くの虎部隊(スアパー)の兵士が持っていた軽機関銃を見た。

それこそが虎部隊(スアパー)の切り札である大日本帝国より輸入した乙号軽機関銃、現在では正式採用がなされて11年式軽機関銃となっている、帝国陸軍に末永く愛される事になる軽機関銃の原型となった甲号軽機関銃に採用試験において敗れたものが第一次世界大戦で使用され現在では旧式化していた迫撃砲などと共にシャムへと輸出されていたものだった。


帝国陸軍において軽量化された機関銃を多数配備しようという試みは、第一次世界大戦への参戦を契機に生まれたものであったが、どれも頓挫していた。当時目指したのは既存のオチキス機関銃の軽量化であったためそのままでは目標とされた歩兵が容易に携行できる機関銃とはなり得なかったからだ。


その難題に関する解決策は別の所から来た。発端は第一次世界大戦の終結祝いにと日本の誇る銃器設計者である有坂成章に対し親交のあったメキシコの銃器及び砲設計者であるマヌエル-モンドラゴンが自身で設計した半自動小銃のモンドラゴン半自動小銃を贈呈した事だった。


有坂は即座にこれを改良して軽量機関銃とする事を思いつき、実行に移したのだがモンドラゴン半自動小銃を全自動化して、延長された弾倉と2脚を取り付けただけの銃では伏せ撃ちの際に弾倉が邪魔であるとの指摘が試験段階で相次いで指摘され、不採用に終わってしまった。


ならばという事で外国に期待を寄せ、技術将校である南部麒次郎を団長とする視察団を送り込んたが、同時期にオチキス社が開発していたM1909軽機関銃は故障が多く、デンマーク王国のマドセン社が開発した軽機関銃は発射速度が遅く構造が複雑であり、アメリカ合衆国のサミュエル-マクリーンとアイザック-ルイスが開発した軽機関銃は日本人には重かったうえに、第一次世界大戦の戦場を視察し、機関銃の優位性に気が付いたアメリカ人が大急ぎで装備している最中であり輸出するとは思えなかった。


万策尽きたかと思われたが、そこにとあるフランス人が接触してきたことで事態は大きく動き始めた。その名はアンドレ-ベルティエ、ルベル小銃と並んで第一次世界大戦の主力小銃としてフランス軍に使われたベルティエ小銃の開発者だった。


アンドレ-ベルティエはフランス植民地のアルジェリアにおいて鉄道技師として働く傍ら、ルベル小銃をオーストリア=ハンガリー帝国のマンリッヒャー小銃を参考に改造する提案を軍に提案したが、銃器設計の専門家でもないベルティエの設計は当初退けられ、採用された後もピュトー工廠とトゥールーズの陸軍技術局によって改良が加えられている事を理由に、ベルティエの功績が公に認められるようになるには時間がかかった。


不遇を託つていたベルティエだったが、第一次世界大戦の戦場を目にしてから新たな銃器設計に取り掛かり始めた。それこそが歩兵が簡単に運用できる軽量機関銃の開発だった。


しかし、ベルティエが開発した軽量機関銃はオチキス社が開発したM1909軽機関銃に敗れてしまった。その後はベルギー王国やオランダ王国などに売り込みを図ったが、いずれも失敗していた。


帝国陸軍が軽量機関銃を求めているらしい、との噂をベルティエが聞いたのはそのころであり、ベルティエは早速、帝国陸軍の視察団に対して自身の設計した軽量機関銃を売り込んだ。試験結果は改良の必要はあるが概ね満足いくものであり、日本に持ち帰られてそのまま生産に移ると思われたが、陸軍内部からは反対の声が上がった。その筆頭は視察団団長であった南部麒次郎だった。


原因は南部とベルティエの個人的対立にあった。

南部は兵器生産の自立を目指す考えから日本独自の方式による軽量機関銃も並行して生産すべしと主張し、ベルティエの側は執拗に自身の功績を強く主張して、日本側との軋轢が絶えなかった。


結局、南部が主導して開発した乙号軽機関銃は利点としては歩兵用の装弾子が使えるという事だったが、重心のずれなど問題点も多く比較試験では散々な評価となったが、それでも純国産軽機関銃を諦めきれなかった南部は、かつて自身が中心となり三井物産、大倉商事、高田商会などが出資して設立された泰平組合によって輸出品として各国に売り込まれていった。


一方、ベルティエに関しても望むような評価は受けられず、11年式軽機関銃の海外名ナンブ-ベルティエ軽機関銃に名を残すだけに終わった。


とはいえシャムに輸出されるまでの、そうした日本での対立はラーマ6世には関係のない事だった。


重要なのは虎部隊(スアパー)が陸軍を打ち破ったという事実だった。決起部隊の大半はバンコク中心部を占拠していたのだが、肝心のラーマ6世の捕縛に失敗したとわかると動揺が広がり、翌日にはその多くが投降する事になる。最早、虎部隊(スアパー)の事をシャムにおいて軍隊ごっこと侮る者は一人もいなかった。そしてその勝利の立役者である乙号軽機関銃は虎の牙として恐れられることになる。

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