第206話 思索と爆殺
1921年12月30日 ロシア帝国 ペトログラード
その日、シャルロッテ-アマーリエ会議より帰国したロシア帝国首相兼外相を務めるウラジーミル-ニコラエヴィッチ-ココツェフは皇帝アレクセイ2世のもとを訪れていた。
「ココツェフ、どういうことだ、何故社会主義者を認めるような妥協をしたのだ。何故奴らを太平洋に追い落とす事が出来ないのだ」
「…陛下、前線では兵士たちの逃亡が相次いでいます。その上、ドイツが健在な以上我々は西にも兵を割かねばなりません。我々には…ロシアにはそのような余力は無いのです」
「だが、それでも…奴らの存在を認める事は出来ない」
「先帝陛下の事を忘れよとは申しません。復讐はなされるべきです。しかし、それはいまではないという事をご理解いただきたい」
「……わかった。ココツェフ下がれ」
アレクセイ2世はココツェフに対し下がるように命じた。
(摂政もあのプリシュケヴィッチという男もユダヤ人の事しか考えていない…頼りにしたココツェフでさえも役に立たなかった。どうすれば、一体どうすればあの社会主義者どもをこの世から消す事が出来るのか)
それは父であるニコライ2世の跡を継いで皇帝となったアレクセイ2世が、常日頃から考えている事だった、摂政であるボリス大公は全てをユダヤ人と彼らに支配されるイギリスのせいだとしていたが、アレクセイ2世にとっては敵は社会主義という恐るべき思想そのものでありロシア人であっても社会主義者であれば殺すべきだし、逆にユダヤ人であっても帝国に忠誠を誓うのならば生かしておくべきであり、イギリスの力にしても利用することが出来る限りは有用だと考えていたが、そうした考えを堂々と主張できるほどの権力が自分に無いことは自覚しており、出来るのは思索に耽ることのみだった。
1922年1月9日 ザバイカル-ハン国 チタ 大ハーン宮殿
自称ザバイカル-ハン国の首都であるチタにある旧ザバイカリエ博物館、現在は収蔵品は大半が略奪されたのちに大ハーン宮殿となっている建物では一人の男が怒り狂っていた。
「クソ、東洋人どういうことだ。私の大ハーン位を認めないばかりか、南京に行って皇帝に臣従を誓えとは…どこにいる。あのようなふざけた内容の手紙で納得できるはずがなかろう」
怒れる男、自称源義経とチンギス-ハーンの生まれ変わりであるロマン-フョードロヴィッチ-フォン-ウンゲルン-シュテルンベルクは絶叫を続けていたが、ウンゲルンのいうところのふざけた手紙を届けた人物である張作霖の姿はすでに大ハーン宮殿にはなかった。突如として轟音が響き渡ったのはウンゲルンのもう何回目かもわからない絶叫と同時だった。
「ママ、ママ見て、博物館が…」
チタに住む少年レフ-パヴロヴィッチ-オホーチンは建物全体から火を噴きながら崩れ落ちる大ハーン宮殿を見ながら叫んだ。
この日、11歳の誕生日を迎えるオホーチンはザバイカル-コサックの反乱以前にはチタの警察署で働く職員だった義理の父親の釈放を求めて母親と共に大ハーン宮殿を訪れようとしていたのだった。
オホーチンにも周りの大人たちにも何故宮殿が崩れ落ちたのかその答えは分からなかったが、はっきりしている事はザバイカル-コサックの支配が終わりを告げたという事だった。
やがて、1人、また1人と舗装された石畳の石を剥ぎ取って、何が起こったか訳も分からず混乱しているコサックに向かって投げつけはじめた。また、別の場所では銃で撃たれ血まみれになりながらも数で勝る市民たちがコサックを素手で打ち倒していた。もはや、市民たちの動きはだれにも止めようがなかった。
「急げ早くしろ…ロシア人どもが押し寄せてくるぞ」
チタ駅では張作霖や張宗昌ら大清帝国から来た軍事顧問たちが、装甲列車を使って逃げ出そうとしていた。重要書類の多くは積むか焼却しており、あとは人を乗せるだけだった。
「しかし、あいつらまで一緒でいいんですかね」
「頭目は狂人と一緒に仕留めたが事情を知るものは出来るだけ少ない方が良いからな」
張宗昌は乗り込んでいるザバイカル-コサックたちを見ながら不安そうに言ったが、張作霖は何も心配はないという調子で笑いながら理由を告げた。張作霖の言葉通り清国へと逃れたザバイカル-コサックたちは雲南地方での鉄道建設に駆り出されてそこで多くの人間が死ぬことになる。
なぜ、それまでウンゲルンたちを援助してきたはずの軍事顧問たちが、急にウンゲルンとセミョーノフを爆殺する事になったのかといえば、前年に行なわれたシャルロッテ-アマーリエ会議が原因だった。
シャルロッテ-アマーリエ会議において清国はマカオの買収を確定させ、19世紀のロシア帝国の進出以来、半植民地状態に置かれていたタンヌ-ウリャンハイ地方についてもロシア側の経済的利益を認めた上での返還を認めるような発言をロシア側から引き出せていた。
一方、自称ザバイカル-ハン国はといえば、ザバイカル-コサックたちによる略奪や残忍な刑罰などによってロシア帝国のみならず社会主義者からも敵意を向けられているという有様であり、清国がある程度の利益を得た以上こうした存在を活かし続ける必要はないとの意見が大勢を占めた為、今回の粛清が実行されたのだった。
こうして、源義経そしてチンギスハーンの生まれ変わりを自称したウンゲルンの野望はここに潰えたのだった。
なお、ウンゲルンの遺体はその後の捜索では見つからず、建物全体が崩れるような爆発であった事から残らなかったものだと結論付けられたが、一部では生存説を唱える学者もあらわれ学会では暫く論争が続く事になるのだがそれはまた別の話である。




