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第205話 シャルロッテ-アマーリエ会議<下>

1921年12月3日 デンマーク王国 デンマーク領西インド諸島 サンクトトマス島 シャルロッテ-アマーリエ クリスチャン城


クリスチャン城での会議は依然続いていた。


「つまり、ベルベル人の共和国の併合とスペインのカルリスタ政権の国家としての承認と引き換えに我がフランスによる南米への不介入を約束しろ、と」

「ええ、我がアメリカがモンロー主義をその基本方針としているのはご存じのはず。であれば…」

「しかし、それはおかしな事ですな。貴国はリベリアにおいて解放奴隷の入植を名目に植民地を築いた。また、アジアのフィリピンにおいても国内での反対にも関わらずそれを強引に編入している。これらはいずれも今回の事態よりも前のことだ」

「…何が言いたいのですかな?ブリアン首相」

「そう身構えないでください。ミッチェル大統領。国民という者はその時々の気分に流されるものです。いや、我が国よりも先に革命を経験された貴国に対してこうした解説は不要でしたな。つまり、この会議においてきっちりと旧大陸への不可侵を約束していただきたいのです…ああ、もちろん、経済的なそれは別として、ね」

「なんということだ。我々はそのような提案を飲むわけにはいかない。確かにモンロー主義の原則は新大陸と旧大陸の不可侵だが、だからといってそれが文明国家として当然の行動を抑止する理由にはならないはずだ」


フランス共和国首相アリスティード-ブリアンの発言に対してアメリカ合衆国大統領ジョン-パーロイ-ミッチェルは一歩も引かずに答えた。ブリアンは連立与党である社会党が右翼からの攻撃を受けている関係で、ミッチェルは国民からの支持しか基盤が無い状態であるという事からそれぞれ成果を求めていた。


そんな中でブリアンは経験の浅いミッチェルを、ミッチェルはリーフ共和国のアメリカによる承認に対して怒りを募らせているブリアンを、それぞれ外交的に叩きのめす事によって国民に対してわかりやすい成果を見せつけようと考えていたのだった。しかし、両者共にそうした思考で相手に挑んだことによって、その溝はさっそく修復不可能なものとなった。


アメリカがフランスに対して執拗に南米への不介入を求めた背景には旧スペイン領の歴史的背景があった。

シモン-ボリバルやサン-マルティン、マヌエル-ベルグラーノといった英雄たちにより独立を達成した旧スペイン領の南米諸国だったが、実際の所はスペインに忠誠に誓う王党派は多数残存しており、それらはスペイン本国の衰退とともに多様化していった。


例えばエクアドルをスペインのブルボン家に差しだそうとしたフアン-ホセ-フローレス、同じくエクアドルをフランス第二帝政の保護領にしようとしたガブリエル-ガルシア-モレノ、例えば腐敗したペルー共和国政府を見限りスペインによる再植民地化を訴えて農民反乱を起こしたアントニオ-フアチャカ、チリ共和国チロエ島でのスペイン王国政府の支援を受けた先住民叛乱、これらの王党派の動きの多くは鎮圧されたのだが、その中で現在名目のみとはいえ生き残っているものがあった。


それこそが現在スペイン本土をほぼ掌握しているカルリスタだった。

スペイン本土での男系男子による王政復古を掲げる組織であるカルリスタが何故南米大陸に絡むのかといえば、ペルーの王党派の間ではスペイン本国が内戦に陥った際に"より正統な王"であるカルリスタへの支持が圧倒的であり、カルリスタの側もしばらくたった後それにこたえる形で、現在のカルリスタ系スペイン王ハイメ3世の父であるカルロス7世はペルーを中心にした南米の旧領回復を名目だけとはいえ目標として宣言してしまったのだった。


そして、そのカルリスタをフランスが支援していたと見られたことから、モンロー主義を掲げるアメリカとしてはカルリスタの支援者であると目されていたフランス政府に対して不可侵を求めたのだったが、そもそも、フランスからすればカルリスタの運動にジョルジュ-ヴァロワをはじめとする多数のフランス人がかかわっていたからといってフランス政府による支援というのは完全なる濡れ衣であり、だからこそ、一歩も引くわけにいかず、仮に引くとすればそれなりの手土産が必要だった。


しかし、ミッチェルからすれば旧大陸の勢力は新大陸から手を引くのが当然であり、そこで妥協する気は無かった。前任者のセオドア-ルーズベルトならばともかく過激な旧大陸批判と反移民政策と引き換えに国内での改革を何とか行なえている状態のミッチェルに妥協する余裕は無かった。


「ミッチェル大統領の言う通り旧大陸各国にはその進出の自制を強く求めるものである」

「いや、むしろアメリカこそ、その進出を自制するべきではないのか」

「その通りアメリカは各国の主権をもう少し尊重するべきでしょう…メキシコのようにはなりたくないものですな」


ミッチェルを擁護したマヌエル-ドメック-ガルシア、アルゼンチン共和国臨時大統領に対し、ニロ-ペカーニャ、ブラジル合衆国大統領とチリ共和国大統領アルトゥーロ-アレッサンドリ-パルマが反論した。


南米各国の中では比較的豊かなアルゼンチン、ブラジル、チリの内、ミッチェル政権が反移民政策から国粋主義的なアルゼンチンのガルシア政権を支援していた事から歴史的に対立関係であるブラジルとチリはそろって反アルゼンチンひいては反アメリカの態度をとっていた。


(ふん、国際会議といってもこんなものか、リエージュやローマの時と変わらんな)


そんな様子を見ていたイギリス首相ホレイショ-ハーバート-キッチナーは馬鹿にしきっていた。キッチナーからすれば各国が非難の応酬を始めた以上、ここから状況が劇的に動くとは思えなかった。


キッチナーからすれば最早会議は意味のないものだった。

すでに近東に利害を持つフランス共和国との間でアルメニア共和国の領土拡大の動きに対して承認を与えることで合意に達しており、反面局所的に起こっていたユダヤ人の蜂起に関しては各国による共同の対処の必要性を確認していた。イラン民主連邦共和国に関してもロシア帝国以外からの承認は取り付けられた。

また、すでに重荷でしかなくなっていたコンスタンティノープル周辺の連合軍共同軍政府の統治地域に関しても、ロシア帝国にその統治を押し付ける事で合意を達成した。地中海への進出を認めるような合意に関しては反発も予想されたが、キプロス島とクレタ島はイギリスの支配下にある事から封じ込めは依然として健在であるとも言えたし、何より社会主義の敵意がロシアに向かってくれるのであれば、イギリスの負担はさらに減ると考えられたのだった。


また、アフリカでは比較的白人人口が多かった事から亡命者が集まっていた南西アフリカを除くドイツ植民地の多くとポルトガル領だったモザンビークとアンゴラ、サントメ島とプリンシベ島はイギリス領となり、フランスはカメルーンの一部と西サハラ、ドイツ、スペイン両国保護領であったモロッコをその支配下におさめた。また、スペイン領だった赤道ギニアのうちフェルディナント-ポー島はイギリス領に、本土部分はフランス領となった。


イベリア半島についてはスペイン王国に関してはカルリスタ系による統治を正式に認められたが、独立派、ポルトガル派、スペイン派で揺れていたガリシアについては投票によって改めてその所属が決定されるものとされ、イタリアに亡命したアルフォンソ13世についてはその身柄はイタリア王国を治めるサヴォイア家の監督の下に置かれる事とされた。

一方、ポルトガルに関してはアメリカが本土を追われたポルトガル共和国政府を支持し、イギリスは旧ポルトガル領の円滑な編入の為、実体のなくなった共和国政府よりも王国政府を支持した為に分裂が継続する事になった。ポルトガル領の内、ギニアとカーボベルデ諸島は現地の軍人であったジョアン-テイシェイラ-ピント少佐が共和国政府と王国政府の双方の天秤にかけて動いていたため、実際には3つの勢力に分かれたと言える。アジアではポルトガル領東ティモールは隣接するオランダの統治下に入る事になり、大清帝国がマカオを購入して編入する事が認められた。


こうしたイギリスの優位に対してアメリカは特に不満を募らせる事になり、成果を求めたミッチェル政権はデンマーク領西インド諸島に留まらず、グリーンランドの併合すらも要求した為、デンマーク領西インド諸島のアメリカへの売却は流れる事になった。


一方で会議前には多くの人間が妥協の結果として消滅するだろうと考えていたリーフ共和国とサンタ-クルス=パタゴニア執政府については前者がアメリカとアルゼンチンに承認され、後者がすでに承認していたチリに加えてブラジルと自国系の移民が多かったイタリアに承認される事によってなし崩し的に存続が決まった。


結局、シャルロッテ-アマーリエ会議では社会主義勢力の勢力圏を含めて概ね現状の勢力圏の追認が行なわれたに過ぎず、世界初の社会主義革命による政体の劇的な変化のあとでさえ世界は未だ少数の国々、特にヨーロッパの列強各国とアメリカ合衆国を頂点とする体制の下で平和が保たれていると世界の人々はあらためて思い知る事になったのだった。


そしてそうした秩序を打ち破ろうとする動きも、徐々にではあるが生まれ始めていくのだった。

連載開始から明日で二年になります。


去年の一周年の話の時に書いたのがちょうどヴェーリーキー-クニャージ-アレクセイ-アレクサンドロヴィッチの話だったのでリアル時間で1年かけて、作中時間たった4年しか進んでない事になります……ペースが遅すぎる…

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― 新着の感想 ―
[良い点] 知識量と考察力がすごいですね、変にチートが無いのも良いです。 [気になる点] 当方の無知のせいもあるのですが、作者さんはこの小説でなにを読者に伝えたいのか、楽しめばよいのかよく分かりません…
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