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第196話 難民と国なき民

1921年6月4日 デンマーク王国 ボーンホルム島 ハンマーシュス城址

一説にはブルグンド人の故地であるともされるボーンホルム島は、はじめはルンド大司教と、のちにはハンザ同盟やスウェーデン王国とデンマーク王国の間で激しい戦いが繰り広げられた場所で、1655年から始まった北方戦争においてはスウェーデンによって占領されるも、1658年に島民たちがデンマークによる併合を求めてスウェーデンに対して反乱を起こし、1660年のコペンハーゲン条約ではボーンホルム島をデンマーク領とする代わりにデンマーク側がスウェーデンのスカニア地方に存在したデンマーク貴族の保有する18の城をスウェーデンに引き渡す事で合意し、それ以降は平和な時代が続いていた。


そんなボーンホルム島の北端にあるハンマーシュス城址はかつてルンド大司教がデンマーク王との戦いに備えて築いた城であり、度重なる増築によってスカンディナヴィアの中世の城塞としては最大規模にまで成長していたが、その後は監獄となり、更にその監獄としての役割さえも終えた後は、城の石材が時折引きはがされて新たな建築材料に転用されるだけのただの廃墟となっていた。


そんな、ハンマーシュス城址にはこの日多くの男たちが集まっていた。彼らの多くはドイツ革命期の混乱期にボーンホルム島へと逃れていたドイツからの難民であり、デンマークの他にもスウェーデンやノルウェーにも数多く存在していた。


「この城はまさに今の我々ドイツ人、いや北方人種の置かれた状況を体現していると言ってもいい。社会主義というユダヤ的思想に毒された者たちによって、優良人種たる我ら北方人種の世界は崩れ去ろうとしているのだ」


ドイツ優生学の権威オイゲン-フィッシャーがそう言った。フィッシャーはドイツ帝国の南西アフリカ植民地における人体実験などに関与し、またその植民地政策に強い影響力を持っていたため、革命後はこの島に逃亡していた。


「そう悲観される必要はないはずです。フィッシャー教授。ドイツにおける革命は言ってみれば我々ドイツ人の霊的進化の為の神による試練でしょう。我らはこれを乗り越えそして必ずや世界を進化させるという大役を担う新たな人類として再生を果たす時が来るはずです」


人智学の祖であり、著名な哲学者にして教育者であるルドルフ-シュタイナーがフィッシャーを励ますように言葉をかけた。


「霊的進化も良いが、まずは具体的にはどうするかを話し合うべきだ。今のままでは我々は無力だからな」


スウェーデン人ながらリューベック大学で革命直前まで教鞭をとっていたために、亡命ドイツ人たちとつながりをの深かったヨハン-ルドルフ-チェーレンが疲れたような顔をしてからシュタイナーに対し、そう言った。穏健党議員として実際に国政に参加した事もあるチェーレンからすれば、シュタイナーの人智学に基づいた神秘主義的な言葉は、なんとも退屈で胡散臭いものように聞こえたのだった。


「とりあえずは、このスカンディナヴィアに拠点を築くべきでしょうな」

「クライン君、アフリカ植民地は放っておいていいのかね?」

「ああ、あそこは確かに少なからぬドイツ人がいる土地ではありますが、とても祖国奪還の役に立たないでしょう。多くのものは祖国ドイツに帰りたがっていますよ」

「社会主義革命が起きたにもかかわらず?」

「かかわらず、ですよ。ドイツ人を増やすために何か別の方策を立てなければなりませんな」

「全く社会主義達の甘言に乗せられるとは全く嘆かわしい」


ドイツ帝国領東アフリカ植民地で経済的に成功した実業家であるハンス-クラインは、多くがイギリスの手によって保証占領されたとはいえ現状ドイツ帝国にのこされた最後の領土であるアフリカ植民地ではなく、スカンディナヴィア地域に拠点を築くべきだと進言した。


「ですが、その甘言にも役に立つところはあります」

「というと?」

「例の権利付与ですよ」

「ああ、たしか貴族や資本家であっても、革命後のドイツにおいては一般大衆と同様の権利を保障されるという、あれか」

「ええ、経済的にはともかく、政治的にはいくらかの権利を保障されています。そのため。革命後にドイツに残った者たちと接触する事は容易なはずです。そしてそれを考えた時に、工業化が進み、地理的にもドイツに近いここスカンディナヴィアこそが拠点として最適なはずです」

「問題は社会主義政権がどうでるか、だな」

「彼等とて内戦で疲弊していますし、加えて言えば西にフランス共和国、東にロシア帝国という脅威が存在している現状において北に新たな敵を作り出す余裕はないはずです」

「まて、先ほどから聞いていれば君は社会主義者とも取引するつもりかね?」

「正確には社会主義者ではなく、その領域に取り残された同胞と、ですよ、フィッシャー教授」

「同じことではないか」

「ではどうするのですか、ここで悲嘆にくれたところで我々は歴史の中に消えゆくだけです。ならばせめて足掻くべきです。どんな手を使っても」

「そのために祖国を赤く染めたものと取引をするのかね」

「それも祖国を取り戻すためです。悪魔に魂を売り渡す事で祖国ドイツの未来の糧となるのならば、貴方も本望では?」


最後のクラインの言葉にフィッシャーは言い返せなかった。


「その言葉信じていいのだな?」

「もちろんです。教授」


フィッシャーの質問にクラインは力強く答えた。

その後も議論は続き、ドイツ革命後無関係だったにもかかわらずロシアによって迫害されていたヴォルガ-ドイツ人やルーマニア王国によって併合されたバナト地方に住むドイツ人などを植民地に移送する事が決定された。住む土地を奪われた、あるいは奪われかけていた者たちならばドイツ帝国に新たなる忠良な国民となるだろう、という思惑があっての事だった。


一方、スウェーデンではチェーレンの働きかけにより、社会主義ドイツには帰りたくないが、植民地にも行きたくないドイツ難民たちをフィンランド大公国との国境地帯へと定住させる事が"人道的配慮"により決定され、続いて隣国だったノルウェーでも同様の決議がなされた。

これはロシアとの間に緩衝地帯を作る事が目的だったが、そこにもともと住んでいたフィン系民族やロシアによるフィンランド大公国侵攻の結果生まれたフィンランド難民の事は無視されており、結果としてフィン系民族やフィンランド人達は国なき民として世界中に離散する事になる。

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