第190話 時間稼ぎと新たな革命
1920年12月1日 オーストリア=ハンガリー帝国 アドリア海
洋上を戦艦を中心とした艦隊が進んでいた。
オーストリア=ハンガリー帝国海軍第一艦隊を中心としたオーストリア=ハンガリー海軍の主力艦隊だった。
この艦隊は本来の母港であったプーラ港を出て、第5艦隊の母港であるカッタロへと向かおうとしていたのだった。何故プーラから最も離れたカッタロに向かうのかといえばイタリア王国に近いプーラやトリエステではイタリア海軍に拿捕される恐れがあったからだったが、その途中でカッタロで水兵たちによる反乱が起きたとの情報が入り、結局、プーラへと引き返しているところだった。
「何事も起きなければいいが…」
オーストリア=ハンガリー帝国海軍総司令官ミクローシュ-ホルティはそう独り言を言った。
参謀から水兵に至るまでプーラに戻るのは自殺行為にすぎないことはわかってはいたが、艦隊には何としてももう一つの母港であるリエカへといけない理由があったのだ。
この艦隊は動き回って敵イタリア艦隊の注意を引くために出撃を命じられたとも言ってよかった。
(せっかくの新鋭戦艦だというのにこのような使い方しかできないとはな…)
ホルティが思った通り、この艦隊の旗艦であるフニャディはオーストリア=ハンガリー帝国海軍期待の新鋭戦艦だった。
常備排水量2万4500トンの船体にドイツ製の35センチ45口径砲を連装2基、3連装2基の砲塔におさめた戦艦であり、イタリアの誇るコンテ・ディ・カブール級へのオーストリア=ハンガリー帝国海軍の答えがこの艦だった。
そんな艦がこのような陽動作戦に充てられる事自体おかしなことだったが"本当の任務"の詳細について艦隊でただ一人知っていたホルティはたとえ自分が艦隊とともに海の藻屑となったとしても遂行しようと覚悟を決めていた。
この艦隊でホルティのみが知る"本当の任務"とはオーストリア=ハンガリー帝国海軍の潜水艦U-5に乗せられて艦隊の出航後にひっそりとプーラを出たオーストリア=ハンガリー帝国皇太子フランツ-ヨーゼフがリエカにつくまでの間の時間稼ぎだった。
バルカン戦争後にイタリア人たちが追放されたことでクロアチア人が多数を占めるようになったリエカから皇太子はさらに内陸部まで移動するという計画だった。
なぜこのような計画が立案及び実行されたかといえばハンガリーをはじめとする諸地域の反乱により最早帝国の存続は難しいと感じた皇帝カール1世が皇族たちを各地に派遣し、例えウィーンが陥落してもなお帝国を維持できるように、と考えたからだった。
中でもクロアチアは最初に反乱を起こしたハンガリーに長らく支配されていた歴史から反ハンガリー感情が強く、また敬虔なカトリックが多いとあって社会主義者に対する継続的な抵抗が期待された地域だった。
そのため、艦隊を全滅させてでもホルティは時間稼ぎをしようと考えていたのだった。
結局、この日の海戦において、オーストリア=ハンガリー海軍は末妹レオナルド-ダ-ヴィンチの復仇を望むコンテ-ディ-カブール、ジュリオ-チェーザレを中心としたイタリア海軍と戦い、アドリア海に沈む事になったが、皇太子の移送に関しては誰にも悟られる事は無く、無事にクロアチアの地を踏む事が出来たのだった。
1920年12月14日 ギリシア王国 ペロポネソス ナフプリオ
近代ギリシアの最初の首都となったナフプリオには一隻の巨艦が停泊していた。その名はイェオールイオス-アヴェローフ、旧名をエルツヘルツォーク・フランツ・フェルディナントというギリシア海軍唯一の戦艦だった。
イェオールイオス-アヴェローフはその名の通り海運王として巨万の富を築いたイェオールイオス-アヴェローフが死後ギリシアの為にと残した遺産を使い購入された戦艦だった。元々はイタリアで建造されていた装甲巡洋艦の購入に充てられるはずだったが、清国海軍がギリシアよりも先に装甲巡洋艦を購入してしまった。
この知らせにギリシア海軍は落胆したが、政治的経済的にセルビア王国と対立を深めていたオーストリア=ハンガリーがセルビア産畜産物の主要輸出港であったオスマン帝国領サロニカ(テッサロニキ)に対して圧力をかける為にギリシアの軍備増強に対する援助を申し出てきたことから、アヴェローフの遺産はエルツヘルツォーク・フランツ・フェルディナントの購入へと充てられ、その艦名をイェオールイオス-アヴェローフと改めたのだった。
そのイェオールイオス-アヴェローフの艦上で演説を続ける一人の男がいた。
男は現在のギリシア王国首相ヴェザニロスの先代の首相であるステファノス-ドラミウゴスの息子であり、かつて、イギリス領キプロス島のニコシアでムスタファ-ケマルたちと共に社会主義に基づくギリシアトルコ連合の創設を決議したイオン-ドラゴウミスだった。ドラゴウミスはケマルたちの約束を反故にするつもりは無くケマルたちの蜂起を見てこうして動き出したのだった。
「諸君、諸君らはみなあのバルカン戦争を戦い抜いた勇者たちだ。しかし、今の祖国はどうか、ヴェザニロスと国王の失策によって多くの血を流しただけで何も手に入れる事は出来ず、おまけにテッサロニキに進駐した連合軍からは伝染病がもたらされる始末だ。今まで、我らギリシア人は東洋の野蛮人たるトルコ人を押しとどめる防壁の役目を期待され、また自らもそうであらんとした結果、軍備増強に励み、絶え間なき戦いに身を投じてきた。だがしかし、我々にそうした役割を期待してきた列強諸国はブルガリアのトラキアとマケドニアの領有を認め、オスマン帝国でさえ認めてきたコンスタンティノポリス総主教の独立を否定し、ロシア皇帝の下に従属させようとしている。さらにポントス地方でのギリシア人の自治要求は認められずにアルメニア人に支配される事になった。かの地は我々の同胞が長きにわたって住み続けてきた地だというのにだ」
ドラゴウミスの演説に水兵や士官たちは聞き入っていた
「このような仕打ちに我々は耐え続けなければならないのか、答えは否だ。さあ、諸君、かつての敵と手を携え、アテネへと進軍しようではないか、コンスタンティノポリスを、スミルナを、キプロスを取り戻そうではないか、そのためにはまず腐りきった者たちを打倒しなければならない、このギリシアを切り売りした独裁者ヴェザニロスと国王を。さあ諸君、戦闘開始だ。錨を上げよ、銃を持て」
こうして、ギリシアにおける社会主義革命はかつての独立革命と同じくペロポネソス半島から始まる事になる。




