第188話 委員会と復讐の始まり
1920年11月6日 アメリカ合衆国 ヴァージニア州 フェアファックス郡 ウッドローンプランテーション
ウッドローンプランテーションはかつてジョージ-ワシントンが所有していたプランテーションの1つだったが、現在では民主党のアラバマ州選出の上院議員であるオスカー-ワイルド-アンダーウッドが所有していた。
「さてお集まりの皆様方、まずは乾杯しましょう」
「乾杯か、一体何にかね?」
アンダーウッドの言葉に対しチャールズ-エヴァンズ-ヒューズ、元連邦裁判所判事が答えた。ヒューズは長らく共和党員として活躍しておりそのヒューズがこの場にいるのは本来ならば不可解な事だったが、この場にはヒューズ以外にも共和党員の姿が見えた。
「暴君ルーズベルトを打ち倒すための一歩に、ですよ。皆さんがこうして集まってきてくれた事がまさにその一歩目なのです」
「まったく、一応我々は民主、共和ともに選挙で敗北した身なのだがな」
アンダーウッドの言葉にマサチューセッツ州ボストン市長のジョン-フランシス-フィッツジェラルドがそう苦笑しながら告げた。
フィッツジェラルドは民主党員として長らくボストンの政界を牛耳ってきたが、近年では愛国党の勢いが増す一方でありもう一つの名家であるケネディ家の協力を得て何とか勝利することができていた。
それでもまだましな方で他の州では愛国党に完敗した所すらある始末だった。しかしこうした現状を見ても共和党と民主党、特に民主党を率いるボーチャンプ-クラークは感染対策を理由にした愛国党による選挙妨害を訴え続けているような有様だった。
しかし、1920年初頭には感染対策の司令塔である財務省公衆衛生局からは民主、共和両党への直接の批判こそ無かったもの両党の支援を受けて感染対策を妨害していた全アメリカ反マスク連盟については強く批判された。このような批判は異例の事だったが、それだけ公衆衛生局が反マスク連盟に対して激怒していたという事だろう。
反マスク連盟に対する反発はそれだけでは終わらなかった。
1920年6月20日の共和党全国大会ではウィリアム-ハワード-タフトと大統領候補の座を1916年以来争い続けてきた元アイオワ州上院議員アルバート-ベアード-カミンズが反マスク連盟との提携を後押し感染拡大を招いたとしてタフト批判の声を上げると、続いて現職のケンタッキー州知事のエドウィン-ポーチ-モローもそれに賛同し、結果として共和党大統領候補はカミンズがヒューズと争った末にその座を手に入れる事になったのだった。
これを見たアンダーウッドは密かに動き始めた。
アンダーウッドは元々民主党内ではクラークに次ぐ有力者として目されていた人物ではあったが、アンダーウッドはすでに民主党単独では愛国党に対して対抗できないと考え、独自に共和党とのより一層の提携を考えていたのだった。
共和党内からはやはり反発の声は大きかったが、提携を考えていたのはアンダーウッドだけではなくヒューズもまたそうだったため、民主、共和両党のナンバー2が何度も会合を重ねた。
そしてその結果として1920年大統領選敗北後のより一層の提携が約束され、このウッドローンプランテーションのパーティーに多数の共和党員の姿が見える事になっていたのだった。
この、パーティーから始まった定期会合は48州委員会と呼ばれる組織へと発展していく事になる。
1920年11月20日 オーストリア=ハンガリー帝国 プーラ沖
オーストリア=ハンガリー帝国屈指の軍港であるプーラでは緊張状態が続いていた。
切っ掛けはハンガリーから始まった社会主義者による叛乱騒ぎだった。当初は早期に鎮圧されると思われていた叛乱が当初の予想を裏切り。より大規模で、より長期化した物になっていくことによってイタリア王国との戦争勃発間近との意見が特にオーストリア=ハンガリー帝国海軍内部で確実視されるようなったからだった。
なにしろ、ここプーラを含む未回収のイタリアはバルカン戦争中に一度イタリア人の手に落ちたが、バルカン戦争の講和会議であるリエージュ会議によってオーストリア=ハンガリーへの割譲という屈辱的な形で手放さざるを得なかった土地であり、再びイタリア人との間に未回収のイタリアをめぐっての紛争が勃発する事は大いにあり得る事だった。
そんな緊張が高まり続けているプーラ沖を哨戒する一隻の小型艇があった。それは飛行機の翼のような形をした独特の形状をしており通常の小型艇とはかけ離れた形をしていたが、これはオーストリア=ハンガリー帝国のダゴベルト-ミュラー-フォン-トーマミュールによって設計された世界初の空気浮揚艇であり、最大32ノットの速度を出す事が出来た。これは仮想敵国のイタリア王立海軍の運用するMAS魚雷艇が11ノットしか出せなかったことを考えるとかなりのものだった。
「艇長、イタリア艦隊です」
「くそ、また駆逐艦か?」
「いえ、連中御自慢の女王様もいます」
「なに」
見張りの声に艇長は思わず自分でも双眼鏡を見た。そこには確かにアドリア海の女傑と称されたイタリア海軍の誇る戦艦であるコンテ・ディ・カブールの同型艦レオナルド-ダ-ヴィンチの姿があった。
それまで駆逐艦による偵察程度しかしてこなかったイタリア人にしては珍しく大盤振る舞いだな、と思いながら艇長は無電で報告を続けるように命じた。
突如として轟音が響いたのはその時だった。それとともにレオナルド-ダ-ヴィンチから炎と煙が上がり始めた、艇長たちは何が起きたかわからないまま護衛の駆逐艦からの砲撃を受ける事になった。直ちにプーラの司令部に事態を報告したが、哨戒艇は度重なる回避運動もむなしく撃沈される事になる。
その後イタリア政府より正式にレオナルド-ダ-ヴィンチがオーストリア=ハンガリー帝国より攻撃を受けたとの発表がなされた。
かつて、イタリア王国が受けた屈辱を晴らす時はすぐそこまで迫っていた。
2022年初投稿となります。今年もよろしくお願いいたします。
48州委員会はcommittee of 48をどう訳していいかわからず、48は当時のアメリカの州の数由来だろうから、これでいいだろう、と勝手に判断した物です。




