第185話 背後からの一撃
1920年8月7日 ドイツ帝国 バイエルン王国領 エルザス コルマール
この日の未明よりフランス軍は砲撃を開始し、美しい街並みは廃墟となっていた。
この地を本来守護する筈だったバイエルン王国軍は形ばかりの守備部隊を残して、皆バイエルンへと送られていた。バイエルンをはじめとする各地で蜂起した社会主義勢力と戦うためだった。
交替で来るはずだったプロイセン軍部隊はプロイセン王国領のルール工業地帯で蜂起した社会主義勢力との戦いに投入されていた。
よって、現在エルザスにいたのはバイエルン本土への帰還を許されなかった2戦級の部隊とエルザス出身者の中から軍歴のあるものを選抜した臨時の徴収兵だけだった。
それでも問題は無いはずだった。なぜなら、ドイツ帝国の国防の要たる参謀本部が導き出した結論によれば国境の向こう側で復讐心をたぎらせるフランス人たちが越境する事などはあり得ない、とされていたからだ。
だからこそ彼らは容易に"フランス人"達の突破をゆるしてしまったのだった。
「バカな、これが我々の相手だったというのか…フランス人め、我々を馬鹿にして…」
降伏したバイエルン第2予備歩兵師団の参謀であるアルベルト-ケッセルリンク大尉は目の前にひろがる光景に愕然とした。
戦車や砲兵をはじめとする重装備の運用はともかく歩兵や未だに数を減らしながらも存続している騎兵の多くは黒人やアラブ系の兵士たちだった。
これら植民地兵の投入こそがフランス軍部の秘策だった。元々はフランス植民地での勤務経験が長いルイ-ウベール-リヨテがフランス本土での暴動頻発を受けて治安維持のために立案した計画が元になっており、フランス屈指の海運会社であるコンパニー-ゲネラル-トランスアトランティック社の協力を得てアフリカ各地の植民地より迅速に兵士を輸送するという計画だった。
やがて、ドイツとの緊張が高まるとこの計画はそのまま戦争計画へと転用された。
こうしてコルマールの街だった場所ではフランス軍の軍服を着た多数のアフリカ人たちが行軍するという光景が広がっていたのだった。
これをフランス側は大々的に宣伝した。コルマールをフランス軍が行軍する様子を内外に広める事によって、フランスが長年の悲願であったアルザスの奪回を成し遂げたという事を示すのが目的だったのだが、敵国であったドイツでフランス人の予想とはまた違った反応を示した。
ドイツ人がもっとも衝撃を受けたのは、フランス軍がアルザスを取り戻したことではなく、植民地兵、特に黒人兵に2戦級とはいえドイツ軍が敗れたという点だった。
ドイツでは優生学の発展もあり有色人種、なかでも黒人は自分たちよりも劣った人種であるという見方が強い差別意識と共に一般市民にまで広がっており、だからこそ、フランス軍の軍服を着て、フランス製の武器を持っているとはいえ、そうした存在にドイツ軍が敗れたという事実には官民問わず大きな衝撃を受けたのだった。
実際の所はフランス側の綿密な準備をドイツが参謀本部の希望的観測にしたがって無視した結果、質量ともに圧倒的なフランス軍に襲い掛かられたという酷く単純なものだったのだが、余りにも大きすぎる衝撃によりその当たり前を考える事すら忘れてしまったドイツ人たちは各地で様々な"議論"をおこない、様々な"結論"を導き出した。
各地で蜂起した社会主義者たちはこの論争を静観していたのだが、社会民主党からドイツ社会主義研究会へと転向したユリウス-シュトライヒャーと革命開始以前よりの過激派活動家であったヘルマン-エッサーが連名で、
『エルザスにおける敗北は皇帝たちによる背後からの一撃によるもの』
という発表を行なった。
この主張によれば、独力では革命運動を鎮圧できないと見た皇帝ヴィルヘルム3世がエルザス地方と引き換えにフランス軍の介入を招いたというのだった。
シュトライヒャーとエッサーはフランス革命期にブルボン朝の国王一家がプロイセン王国やハプスブルグ帝国などと通じていた事を例として挙げながら、ドイツ軍敗北の責任を皇帝に押し付けた。この主張は同じドイツ社会主義研究会のエーリヒ-ルーデンドルフによって大々的に採用された。
勿論ドイツ軍並びに政府はこうしたうわさを否定し、むしろエルザス失陥の元凶を社会主義者にありと主張し、フランス軍から国土を守るための団結を求めたが、終わりの見えないメキシコ風邪の感染拡大と穏健な政治改革案すら否定された失望によりドイツの一般市民たちの政府への不信感は高まっており、社会主義者たちによる背後からの一撃の主張の方が広く支持された。
こうしてドイツにおいては皇帝の権威が下がり続け、9月に入るころにはドイツ南部や西部地域では多くの都市に赤旗が翻るようになっていった。
一方、越境してきたフランス軍はといえば、アルザス占領後に進撃を停止してしまう。
ドイツでの社会主義者たちの蜂起を見て、これまで政権に対し反対する姿勢を貫いてきたジュール-ゲード率いるフランス国社会党による一斉蜂起がおこるのではないかというデマが飛び交っていた為だった。
これを受けてフランス政府は活動家たちの一斉逮捕などを行なったが、これに対して抗議デモが起こるなどして、フランス軍の進撃は戦況とは全く関係のない理由で停止を余儀なくされたのだった。




