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第184話 叛乱艦と大衆の力

1920年7月19日 フランス共和国 ブルターニュ ブレスト 


「諸君、今こそ我々は行動を起こすべきなのだ。ドイツではすでに我らと同じ考えの者たちが行動を起こし始めた。諸君の中にはドイツ人は敵なのではないかと疑問を持つ者もいるだろう。だが、それは間違いだ。真の敵は彼等ではない。我々の真の敵はブレストやパリのみならずフランス全土、いやヨーロッパ各地に存在しているものたちなのだ。官僚、資本家、地主、貴族…これらこそ我々が倒すべき真の敵である。諸君らはこうしたものたちの為に厳しい訓練に耐え、いざ事が起こればその身を挺して戦うように命じられてきた。だが諸君らもすでに知っているように、この国に疫病が蔓延しているというのに彼らは自分たちの為だけに物資を隠匿しているのである。繰り返すが諸君らの敵はドイツ人ではない。腐りきった特権階級こそが我々の打倒すべき真の敵なのである。故に我々はこの戦艦ジャン-バールを奪取し行動を起こしたのである」


クールベ級戦艦ジャン-バールの艦橋からジャン-バールの機関将校であるアンドレ-マルティは演説をつづけた。


ドイツ帝国での革命開始以前からフランス共和国とドイツの間では緊張が高まっていたが、メキシコ風邪の流行によって変化が訪れた。

水兵などの間ではそのころフランスで広く流布された陰謀論が広まり、高級将校などが治療薬を隠匿しているとのデマを信じた水兵たちによる、上官に対する反抗が少なからずあった他、それを信じていない者たちも故郷に帰りたいと願うようになるなど、規律が緩み始めていた。


こうした状況を見たマルティは動き出した。

1871年にナルボンヌに生まれたマルティはフランス海軍の機関将校として勤務する傍ら労働組合主義者(サンディカリスト)ともかかわりを持っていたフランス海軍内部でも極左に属する人間だった。


そんな規律の緩みを見て好機ととらえていたマルティは5月のドイツでの蜂起を見て好機と考え、戦艦を乗っ取るべく動き始めたのだった。


この事態に対しフランス海軍は対処しようとしたが、水兵たちの士気は低かった。

社会主義にかぶれたものこそ多く無かったが、ジャン-バールを攻撃しようとする命令には従わず戦闘を拒否したのだった。


こうして、ブレストを出港した叛乱艦ジャン-バールは途中でフランス革命期に活躍した共産主義の先駆者的存在であるフランソワ-ノエル-バブーフにちなみバブーフと改名し、ドイツの主要港の1つであるプロイセン王国エムデンに赤旗を掲げながら入港した。


ルール工業地帯の外港であるエムデンに赤旗を掲げた戦艦が入港した事はルール工業地帯で蜂起を開始していた労働者たちにも伝わりこれを勇気づけることになり、また、戦艦を乗っ取ったマルティたちの行動はドイツ帝国海軍の水兵たちにも伝わり、近隣都市である軍港ヴィルヘルムスハーフェンでも反乱が勃発したのだった。


一方、叛乱を起こしたジャン-バールがエムデンに入港した事を知ったフランス政府は叛乱をドイツの工作員によるものとし、ドイツ政府に対してはその即時返還を要求した。


これに対してドイツ政府は戦艦が入港したエムデンは蜂起した労働者の制圧下にあり、即時返還は不可能としつつフランスに対しては社会主義者への援助を中止するように要求したが、このドイツ側の要求が右派団体アクシオン-フランセーズの発行する機関誌『アクシオン-フランセーズ』に掲載されると事態はややこしくなった。


元々、第二次モロッコ危機において、モロッコにおけるフランスによる反乱軍への援助という汚名を着せられていたフランス国民からすれば2度目の屈辱であり、


『またもドイツ人が我々に濡れ衣を被せてきた』


と憤慨した。

ジャン-バールが叛乱を起こしたブレストで叛乱勃発当時には水兵たちに同情的だったはずのブレスト市民が暴徒化して、水兵たちに対する私刑を行なおうとし、ブレスト軍港の警備隊と衝突した事は当時のフランス国民の怒りを表す代表的な出来事といえるだろう。


実際の所、フランスが社会主義者たちに対して援助をしていたのは事実だったが、それもメキシコ風邪の感染拡大までであり、その後は直接的なドイツの脅威よりも国内の反乱に対する備えを優先すべく急激に削減されつつあった。にも拘らずドイツやオーストリア=ハンガリー帝国などで蜂起が相次いでいるのはその統治に欠陥があったからに過ぎないのだが、ドイツ側として社会主義者の蜂起が継続しているのは社会主義者に対してフランスが強力な援助をしているからにほかならずそうでなければ説明がつかない、と考えていた。ドイツ政府、特に首相のハインリヒ-クラスや皇帝ヴィルヘルム3世の大衆の力に対する無理解からこのような考えに至ったのだが、ともかくドイツとしては社会主義者をフランスの手先とする事で各地で少しづつ勢力を増しつつある社会主義者たちを全ドイツ人の敵に仕立てあげるつもりだった。


フランスによる攻撃も一時は検討されたが、合理的に考えれば感染拡大が続くフランスでいくら反ドイツ感情が高まったからといって、直ぐに開戦に至るわけがないと、その可能性を否定していた。ドイツ帝国の誕生以来の不倶戴天の敵であるフランスの援助さえなければ、1848年の革命のときそうだったように、ただの民衆叛乱などすぐに鎮圧できると考えていたのだ。大衆の力など国家の前には無力だとクラスやヴィルヘルム3世は考えていた。


しかし、そうしたドイツの予測に反して、フランスでもジャン-バールの反乱を口実として国内で反ドイツ感情が高まっているうちでの対独宣戦布告を検討し始めていた。『大戦の忘れ物』と呼ばれるエルザス(アルザス)を奪還する事によりフランスの悲願を達成するとともに、戦時体制への移行により国内を引き締める事を狙ってのものだった。


幾度となく大衆による血なまぐさい体制変更を経験したフランス人ならばその大衆の力がいかに無秩序で、予測不能なものであるかは十分に知っていた為、フランス政府はその力が反ドイツで僅かな間であっても結集しているうちにぶつけようと考えていた。


ドイツとフランス、両国は隣国だったがそれを統治する政府の大衆の力に対する考えは極端なほどに異なっていた。

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― 新着の感想 ―
[一言] 独仏間の対立がすごいことになってる。 これは第二次大戦が史実よりも早くなりそうですね。
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