第183話 2人のエーリヒ
1920年7月1日 ドイツ帝国 ベルリン ティーアガルテン 陸軍参謀本部
「おのれ、社会主義者どもめ」
ドイツ帝国陸軍参謀総長エーリヒ-フォン-ファルケンハインは思わず事務机を叩いた。
そこに広げられた電報には社会主義者たちがプロイセン王家であるホーエンツォレルン家の一族であるホーエンツォレルン=ジグマリンゲン家の城、ジグマリンゲン城で会議を行ない、現在のドイツ帝国に代わる国家としてドイツ自由社会主義共和国の樹立を宣言したというものだった。
ジグマリンゲン城で会議を行なったのはバイエルンを中心に活動してきたドイツ社会主義研究会とスイスから帰国したスパルタクス団を中心とした者たちで、これによりドイツ帝国に代わり新たな国家としてドイツを統治する意思があると内外に示したのだった。
ドイツ政府側としてはこうした社会主義者の動きに対して、第二次モロッコ危機以来対立関係にあるフランス共和国による策謀であると繰り返し訴えたが、ドイツ国民の反応は鈍かった。
5月16日に行われたバーデン大公国コブレンツを占拠した労働者に対する空爆は、社会主義者たちによる格好の宣伝材料となり『コブレンツの虐殺』として大規模に宣伝された事から最早ドイツのみならずその国外でも知らぬ者はいなかった。政府側の人間は無論これを否定したものの、メキシコ風邪の感染拡大によって政府に対する信頼を失った大衆たちは社会主義者たちの話を信じた。
勿論これはただの噂話であり、そうした話をしていた人間が積極的に社会主義を信じていたという訳ではなかったが各地で起きていた社会主義者による蜂起を危険視した各領邦の政府は次々とそう言った人間を社会主義として逮捕または裁判なしでの処刑を行なった為、民心はますます帝国から離れていった。
それがわからないファルケンハインではなく、あくまでも個人的な案としてプロイセン王国などにみられる納税額別に3つの階級に分けてそれぞれ選挙人を選出するという3階級選挙権制度の廃止や公開投票ではなく秘密投票の導入など比較的穏当な政治改革を提案したが、首相のハインリッヒ-クラスは帝国の改革を否定し続けた。皇帝を中心としたドイツ帝国こそが理想であったクラスからすれば、そのような大衆に対する譲歩は認められなかった。
しかし、これによって穏当な改革案すら退けられたことに失望した大衆は、より過激なものたち、即ち社会主義者に希望を託すようになっていってしまった。そして、ファルケンハインの恐れていたとおり、ドイツ帝国の心臓部であるルール工業地帯などでも労働者による武装蜂起がおこるようになっていった。
1920年7月5日 ドイツ自由社会主義共和国 ジグマリンゲン 人民評議会議事堂
元々はプロイセン王国の飛び地であったジグマリンゲンの住人たちがベルリンというはるか遠くの都市から統治されるのを嫌った為に設立された自治組織であるジグマリンゲン地域協会の本部だったこの建物は現在では接収されて人民評議会議事堂として使用されていた。
「私は今回の案に強く反対するものである」
そんな人民評議会議事堂で目の前の机を強くたたく者がいた。軍人から社会主義者へと転向したエーリヒ-ルーデンドルフだった。
「しかし、同志ルーデンドルフ、社会主義国家においてはこれまでの封建制の残滓は一掃されなければならない。それにはまず民主的な軍隊の創設は不可欠であり…」
「同志リープクネヒト、同志はそういって民兵制への移行をしきりに主張されているが、そのような集団では来たる帝国主義者との戦争において敗北を喫するだけだ」
「何を言うか…従来型の軍隊のような組織化は硬直と特権化をもたらすだけだ。それがためにコブレンツの虐殺が起きたのだ。だからこそその原因を排除して何が悪い」
「…では、聞くが今我々の下に集っている同志たちの中には元兵士たちもいるが、そういう人間もすべて排除して軍隊も作る気かね?小銃すらまともに撃てない人間ばかりをかき集めて、大砲や戦車、あるいは戦艦や航空機の相手をさせると?馬鹿馬鹿しい。それこそ虐殺してくれと言っているようなものではないか」
議長であり今回ルーデンドルフが強く反対した議案である『全ドイツ労働者民兵隊』創設案の提案者であるカール-リープクネヒトに対してルーデンドルフはなおも反論を行なった。第一次世界大戦で実際に戦場に赴いた経験のあるルーデンドルフからすれば、従来型の軍隊組織を廃して民兵のみで国家の防衛を行なうとするリープクネヒトの提案は自殺にも等しいものだった。
「…では妥協案として、将校と兵士間での被服や支給品の平等化や兵士であっても目覚ましい功績を見せたものの速やかな昇進ぐらいでどうかな」
ルーデンドルフの属していたドイツ社会主義研究会のカール-レンナーがルーデンドルフを僅かににらみながら言った。
ドイツ社会主義研究会の中では異端者であるルーデンドルフだったが、外部から見ればドイツ社会主義研究会所属であることには変わりがないため、ルーデンドルフがリープクネヒトに反抗すれば反抗するだけドイツ社会主義研究会とスパルタクス団が望まぬ対立を続ける事になる、そう考えてレンナーは妥協案を提示したのだった。こうして人民軍が誕生したのだった。後年、ルーデンドルフは人民軍の父とよばれる事になる。
さらに細かな議論が続けられた結果、部隊名に関してはフロリアン-ガイエルなどのドイツ農民戦争、またはカール-マルクスなどの社会主義にちなんだものが名付けられることが決まった。
こうして、暴動は本格的な革命戦争となりつつあった。そしてそれは全ヨーロッパを巻き込むものへと変化する事になるのだった。




