第182話 赤旗を掲げよ
1920年6月8日 フィンランド大公国 ヘルシンキ 某所
「同志ギュリング、やはり我らだけでも行動に出るべきだ」
「しかしだな、同志クーシネン、同志トコイや同志ターナーをはじめとする社会民主党指導部は反対しているからな…蜂起してもどれだけのものたちがついてくるか」
「極東においてはロシア人やウクライナ人が蜂起して成功を収めつつある。にも拘らずこのヘルシンキに逃げ込んできた、あの社会革命党の幹部たちはそろって、その成功を否定した。党がおかしくなったのはそれからだ。おかしいとは思わんか、革命の成功がすぐ目の前に迫っているというのにだぞ?所詮、ロシア人はロシア人だ。社会主義者を称していても自分たちが主人の座から降りるのは許せない、そういうことなんだろうよ」
フィンランドの社会主義政党である社会民主党の中でも過激な人物であるオットー-ヴィレ-クーシネンは同志であるエドヴァルド-ギュリングにそう言った。
フィンランドという土地は1809年のフレデリクスハムンの和約によってスウェーデン王国からロシア帝国へと割譲された土地であり独自性が強く、ロシアからの独立を求める声は強かった。第一次世界大戦中にはコンニ-ジリアクスを中心とした抵抗運動がフィンランドのあちこちで抵抗活動を行なっていた。
にも拘らず、極東で起こった社会革命党ウラジオストク支部を中心とした社会主義者の蜂起に乗じて独立運動などが起きなかったのは、黒百人組の追跡を逃れてヘルシンキに逃れていたエヴノ-フィシェレヴィッチ-アゼフなどの社会革命党指導部が、極東の蜂起は時期尚早であり直ぐに鎮圧されるであろう、との見方を示したからだった。
そのため、社会民主党としてはとりあえずアゼフたちをかくまいつつも、ロシア帝国政府の混乱を利用してフィンランドの自治をこの機会に確固たるものしようという方針で動く事に決定した。
しかし、極東においてはその後ザバイカル-コサックやブリヤート人が武装蜂起するなど、状況はロシア帝国にとってさらに悪化しているように見えるようになるとクーシネンを中心とした過激派は社会民主党指導部の方針に不満を持つようになっていった。
「とにかくだ、同志クーシネン。現状での蜂起は危険すぎる」
「しかし、ではどうすればいいのだ…ドイツやハンガリーでは各地で同志たちが蜂起しているというのに」
「同志の熱意はわかるが…その成り行きを見守ってからでも遅くはないはずだ、今の段階では残念ながら卑劣な資本主義者たちに蹂躙されるという可能性も無くはないからな。その時、一体誰が労働者たちの希望になるというんだ?…たとえ戦いから逃げるような事になっても希望をつなぐ存在は必要なはずだ」
「ああ、そうか…そうだな」
いつかヘルシンキに、いやフィンランド中に赤旗を掲げる未来を想像しながら、ギュリンゲの言葉を聞いて、すっかり意気消沈したクーシネンは力なく歩いて行った。
1920年6月27日 オスマン帝国 ヨズガド 時計塔前
この日、ヨズガドの中心にある時計塔前には多くの人間が押し寄せていた。一方でその光景を震えながら見ている人物がいた。この街を支配するチャパノール家の人間だった。
「なあ、お願いだ。頼む、私をあの連中に引き渡さないでくれ」
「これより、アナトリア革命委員会の名において刑を執行する、この者たちの罪状は物資隠匿、収賄、殺人…」
泣き叫びながら、懇願するチャパノール家当主の声を無視しながら、ムスタファ-ケマルは淡々と語った。
アナトリア半島の中央部に位置するこの街ではオスマン帝国時代からの名家であるチャパノール家が支配しており、それはオスマン帝国が崩壊した現在でも変わらなかった。連合軍の組織した共同軍政政府に取り入る事でその権力を維持していた。しかし、1920年に入ってからその共同軍政政府をもってしてもどうする事も出来ない病、メキシコ風邪が流行し始めるとその権力基盤は一気に揺らぎ始めた。
もちろん、チャパノール家側も何もせずに手をこまねいていたわけではなく、共同軍政政府に対して軍医の派遣と病院の開設を要請したが、共同軍政政府の本拠地であるコンスタンティノープルですら感染者を抑え込むのに苦労している状況では色よい返事はもらえなかった。チャパノール家にできるのは数が少なくなつつある医薬品をその権力を使ってとにかく確保し続けるぐらいだった。
一方で、チャパノール家の権威が失墜した事を好機ととらえる勢力があった。
ケマルやミールサイト-スルタンガリエフ、ムスタファ-スビといった社会主義者だった。
キプロス島にて亡命生活を送っていた彼らは、密かに同志であるチェルケス人革命家ディプソー-エトヘムの助けを借りてアナトリア半島に舞い戻っていた。
エーゲ海沿岸部の良港イズミルの統治を任されていたドイツ帝国からの派遣部隊が本国の混乱の為に撤退した事により、アルメニア人の武装化を進めるのと並行して部隊を暫時撤退させているロシア帝国と合わせて主要列強国の内の2国が撤退した事により混乱と同様が広がっていた事から、ケマルたちが入り込むのは楽だった。チャパノール家に雇われた私兵たちもケマルたちの敵ではなく、あっという間にヨズガドの街を制圧する事に成功したのだった。
「…よって、判決は死刑」
「よし、撃て」
長々と罪状を読み上げ続けていたケマルのあまりにもあっさりとした判決を聞いてから、エトヘムが発砲を命じた。栄華を誇ったチャパノール家のなんとも呆気ない最後だった。
そしてケマルたちは街のいたるところに社会主義者の象徴である赤旗を掲げるように命じた。こうして、流血とともにケマルたちの革命の第一歩がはじまったのだった。




