第179話 人民戦線と総力戦
1920年3月3日 オーストリア=ハンガリー帝国 ハンガリー王国 ブダペスト
「政府は直ちにメキシコ風邪感染対策を中止せよ」
「ドイツ人に加担する現政権は即時退陣を」
「ハンガリー独立万歳、マジャールの民は今こそ自由を勝ち取る時が来たのだ」
この日、3月3日は1848年に、後にハンガリーの独立運動の中心人物となるコシュート-ラヨシュが議会においてハプスブルグ家を批判した記念すべき日であり、その日に合わせてデモが行なわれていた。
内容はオーストリア=ハンガリー帝国政府が前年の12月中旬にヨーロッパにも上陸したメキシコ風邪の流行に際して制定した"感染対策"についてだった。
"感染対策"といえば聞こえはいいが、オーストリア=ハンガリー政府はこれを利用してボヘミア、ハンガリーなどで盛り上がっていた民族主義運動や、それらの地域以外にも波及していた社会主義者の活動を抑え込むべく3人以上の集会の禁止などを盛り込んだ感染対策法を成立させた。
このあまりに露骨すぎる法律に対して各地で反発が強まっており、特にハンガリーでは民族主義者と社会主義者が合同してデモを組織するなど、主義主張の垣根を超えて政府に対して反発が強まっていた。
こうした動きを全世界の社会主義者の指導者を自負していたスパルタクス団や必死にハンガリーをオーストリア=ハンガリーという枠組みに留めようとしていたハンガリー政府は相次いで非難したが、一度始まった動きは止めようがなく、民族主義者と社会主義者が手を取り合い、『全ハンガリー人民戦線』を組織する事になる。
こうした動きを歓迎する国家もあった。
隣接するハンガリー領トランシルヴァニアをめぐって領土問題を抱えていたルーマニア王国だった。
ハンガリーの混乱を好機ととらえた彼らは、トランシルヴァニアを手中に収めるべく、密かに動員を開始したが、この情報はオーストリア=ハンガリー側にも漏れており、オーストリア=ハンガリー政府は早期に決着をつけるべく、ドイツ帝国政府に対しルーマニアへ外交圧力を抱えるように要請するとともに、ハンガリー軍は信用ならないとして、かつての1848年革命の際と同じくクロアチア人を主体とした鎮圧部隊を編成を開始していた。
この動きはクロアチア兵に鎮圧されたかつての1848年革命の惨事を連想させるには十分であり、ハンガリー軍の中からは『全ハンガリー人民戦線』に合流するものが多数現れるようになっていく、こうしてオーストリア=ハンガリーにおける混乱はますます深まっていき、イタリア王国やセルビア王国といった他の周辺国も動き始める事になる。
一方、第二次モロッコ危機から始まったドイツ帝国との緊張関係が未だ続いていたフランス共和国でも当然のごとく感染者は増加傾向にあり、医薬品を求める人々による暴動が起こったボルドーやリヨン、マルセイユ、そして首都パリといった都市では戒厳令が布告されていたが、こうした鎮圧は逆効果であり一般大衆の間では、
『実は富裕層や官僚向けに大量の医薬品が秘匿されている』
『パスツール研究所には新開発のワクチンがひそかに保管されている』
『最新のラジウム治療でウイルスを除去できるが、その設備はパリ第5区のラジウム研究所に隠されている』
といったデマが流布された。こうしたデマを真に受けた暴徒によって、これらの関連施設が襲撃されるといった事態もあり、フランスにおける混迷は深まっていくことになる。
こうしたフランスの混迷を見たドイツ帝国では、その隙にオーストリア=ハンガリーに対する介入が議論されるも、帝国議会ではオーストリア=ハンガリーに対する介入よりもメキシコ風邪に対する対策を急ぐべきと主張する議員もおり帝国議会では激しい議論が続いた。
結局、皇帝ヴィルヘルム3世が第二次モロッコ危機から始まったフランスとの対立関係が解消されない以上、プロイセン王国、バイエルン王国、ヴュルテンブルグ王国のヴィルヘルム3世の擁立するためのクーデターを主導した3王国にザクセン王国を新たに加えた4王国が連携して、まずは、早期の軍事介入によってハンガリーでの騒乱を鎮圧し軍事的に盤石な体制を整えた上で感染対策を行なう事を主張し、議会内で圧倒的議席数を持つ4王国の力でオーストリア=ハンガリー救援のための出兵を強引に決議させた。
しかし、これはバルカン戦争以降何かにつけてプロイセンと南部領邦に振り回されがちだった、他の地域からすれば許し難い事であり、メキシコ風邪という疫病を前にしてもオーストリア=ハンガリー救援にこだわり続けるその姿勢には失望を通り越して絶望していたし、4王国に住む一般大衆からしても同様だった。
さらに、フランス人の間で広まったのと同じ様なデマが自然発生的にドイツでも広まった事によりその怒りは爆発したのだった。
社会主義革命の機会を狙っていた社会主義者たちがこの機を見逃すわけも無く、スイスに亡命していたスパルタクス団のカール-リープクネヒトとローザ-ルクセンブルグは各地でゼネラル-ストライキと武装蜂起を呼びかけ、また、バイエルン王国のニュルンベルクに拠点を置き現在は地下に潜っているドイツ社会主義研究会の面々も同様の主張を行なった。
特にドイツ社会主義研究会の声明の中で、元軍人のエーリッヒ-ルーデンドルフが使用した『総力戦』という言葉は各地の社会主義者や彼らと共に蜂起した大衆の間で革命を象徴する言葉として広く使用される事になる。ヨーロッパにおける革命はこうして始まったのだった。
そして、こうしたメキシコ風邪の感染爆発に伴う社会的混乱はヨーロッパのみに留まるものではなく、世界各地で様々な混乱が巻き起こる事になる。




