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第174話 新たな危機の始まり

1919年9月13日 スペイン王国 保護領モロッコ テトゥアン 総督府


「では、増援は来ないのか」

「本国は反乱軍との内戦で忙しくこれ以上の兵力を派遣する余裕はない、と」

「クソ、使い物にならん兵隊ばかり送ってきて、何が余裕がない、だ。ふざけるな」


目の前でモロッコ駐留軍司令官マヌエル-フェルナンデス-シルベストル少将が激怒しているのを見ながら、総督であるダマソ-ベレンゲルはため息をつく事しかできなかった。


そもそもスペイン王国モロッコ保護領が誕生したのはスペイン自身が望んだものというよりは他国に振り回された結果だった。

1898年の米西戦争において、壊滅的な打撃を受けたスペインは他のヨーロッパ諸国の手が及んでいない地域であるモロッコに目を向けた。特に北部地域にはセウタやメリリャといったかつての大航海時代に獲得した領土が未だ残っていた事から、スペインが進出するにはもってこいの土地である事もモロッコへの進出を後押しする材料となった。


だが、すでにアフリカ大陸はほぼ分割が終わっておりスペインが進出を決意した時には、他の競争相手が現れていた。モロッコの西のアルジェリアを植民地としていたフランス共和国だった。

アフリカ縦断政策の名のもとに植民地化を狙うフランスに対して、スペインは米西戦争の停滞、敗北によって、フランスと競い合うだけの力は無く、モロッコの植民地化は諦めるしかない…と思われた。


しかし、ここでスペインは思わぬ味方を得る事になる。それが、地中海の要衝ジブラルタルを擁するイギリスだった。イギリスは自国の戦略を左右する地であるジブラルタルに隣接する国はより弱い方が良いと考えたのだった。


こうしてイギリスとフランスの間で交渉が行なわれ、1904年の英仏協商の結果、モロッコ北岸がスペイン勢力圏として認められた。

その後、スペインと同じくアフリカへの進出に出遅れたドイツ帝国皇帝ヴィルヘルム2世がフランス勢力圏内のタンジールを訪れ、モロッコ王国の独立を支持した結果、仏独の関係が悪化して、第一次世界大戦が勃発した。戦争中には親独的だったスルタンであるムーレイ-アブドゥルアズィーズ4世に代わって、従来よりモロッコからの外国勢力の排除を求めてムーレイ-アブドゥルアズィーズ4世と対立していたムーレイ-アブドゥルハフィードがフランスの手によってスルタンに据えられるなどしたが、講和条約であるロンドン条約ではフランス勢力圏がドイツの手に渡って再びムーレイ-アブドゥルアズィーズ4世がスルタンになるなど目まぐるしい変化が有ったが、スペイン勢力圏はそのままだった。


その後、スペインとドイツの間で交渉が行なわれ、従来のスペイン勢力圏の維持を改めて認められたのだが、その統治は決して楽なものではなく、特に原住民であるベルベル人は幾度となくスペイン支配に反抗していた。


スペイン保護領総督府では、反抗してきたベルベル人部族たちを鎮圧すると共に、ある程度は登用するなどの優遇措置も忘れなかった。


そうして登用されたベルベル人の中にアブド-エル-クリムという男がいた。


ベルベル人の一部族リーフ族の名でも山岳部に居住するベニ-ウリアゲル族長の一人の息子として生まれた彼は、大学までの高等教育を受けたのちに総督府でイスラーム法関係の職に就いていたが、スペイン人がベルベル人たちを支配する現状に疑問を抱きはじめた。


南のモロッコ王国が"ドイツの指導の下"着々と"近代化"しているのに対し、自分たちはこのままでいいのか、と。


実際の所はモロッコにしてもドイツの実質的な植民地として扱われており、ドイツがモロッコに対して多くの投資を行なった背景には、かつてのバルバリア海賊の拠点であったラバトやその南西のカサブランカといった良港を平時には商船隊の、そして戦時にはドイツ海軍の母港として使用するという構想があった為だが、それでも斜陽国家のスペインよりもドイツが多くの投資を行なったこともあり、傍から見れば着々と近代化しているように見えていた。


ベルベル人たちの現状を嘆きながらもどうする事も出来なかったエル-クリムだったが、スペイン本国での争乱とそれに伴うモロッコ駐留軍の本国への再配置により、スペイン軍が質、量ともに弱体化し始めるとこれを反乱の好機ととらえたエル-クリムは直ぐに故郷に帰って他の部族長たちの説得を行なった。エル-クリムの説得によって、反乱計画に加わる部族は増え続け、ついに反乱を開始した、これが2カ月ほど前の事だった。

それに対して、総督府もシルベストルの指揮の下、鎮圧を試みるも、弱体化した駐留軍では主要都市のある地中海沿岸部を守るのが精いっぱいだった。さらにそこに国王アルフォンソ13世との繋がりのみによって出世したとされている、シルベストルの稚拙な指揮も加わって、スペイン保護領モロッコは崩壊寸前となった。


ここで総督府は自国軍が当てならないと見るや違う手を使う事にした。

リーフ族と居住地域が隣接しているが文化的に異なるベルベル系の部族であるジュバラ人、その英雄であるアフメド-アル-ライズリを引き込もうとしたのだった。


英雄、といってもジュバラ人以外からのライズリの評は、山賊や盗賊といったものが大半であり、実際に外国人を狙って多くの誘拐事件を起こしては身代金をせしめていた。


だからこそ、総督府は空手形を切る事でライズリを抱き込む事が出来ると考えた。

ライズリの事を所詮は山賊に過ぎない、と思っていた総督府だったが、その目論見は外れる事になる。


ライズリには初めから、エル-クリムと戦う気など無かった。

スペインとリーフ族どちらとも距離を置いてライズリが目指していたのは、モロッコ王国の前スルタン、ムーレイ-アブドゥルハフィードの復位であり、ムーレイ-アブドゥルアズィーズ4世を排除する事によってそれを実現しようと考えていた。


だが、ライズリの側にも誤算があった。

ムーレイ-アブドゥルハフィードが第一次世界大戦中にフランスによってスルタンに据えられていた事から他国からは親仏的な人物だと思われていた事を考えていなかった。


特にモロッコを保護国としていたドイツは第一次世界大戦後も依然としてフランスを仮想敵国としていた事から、ライズリの背後にフランスがいるのではないかと警戒することになる。


第一次世界大戦勃発の原因となったモロッコ危機がドイツとフランスの立場を入れ替えて、再び勃発しようとしていた。

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