第172話 戴冠式
1919年8月28日 スペイン王国 アストゥリアス カンガス-デ-オニス サンタマリア教会
アストゥリアス地方のカンガス-デ-オニスは西ゴート王国崩壊後に建国されたアストゥリアス王国の初代王ペラーヨ率いる300人のキリスト教徒が数で勝るウマイヤ朝の軍を打ち破ったコバトンガの戦いの舞台となった土地であり、特にこの戦いにおいてウマイヤ朝軍に対し、奇襲をしかける為にペラーヨが身を隠していた洞窟はキリスト教徒たちがウマイヤ朝の目を逃れて聖母マリア像を隠していた洞窟であった事から、コバトンガの戦いの勝利を聖母マリアの加護によるものとして、以後、ペラーヨの隠れていた洞窟は『コバトンガの聖なる洞窟』として知られる事になり、歴代の統治者からの保護のもとに熱烈なマリア崇敬が行なわれていた。
『コバトンガの聖なる洞窟』に聖母マリアに加えて、洗礼者ヨハネと聖アンデレに捧げる祭壇も作られた結果、『コバトンガの聖なる洞窟』は信仰を集めていたのだが、1777年に火事で祭壇が焼失して以降は特に再建される事も無く、地元の人間に細々と信仰されていただけだった。
しかし先代の王であるアルフォンソ12世がスペイン各地から寄付を募り、祭壇の焼失から100年後の1877年に着工され、1901年に完成したのが現在のサンタマリア教会だった。
そんな、サンタマリア教会ではこの日とある儀式が行なわれていた。
カルリスタのスペイン王位請求者マドリード公ハイメ-デ-ボルボン、フランス王位請求者としてはアンジュー公ジャック-ド-ブルボンの戴冠式だった。
「我らが王がこのスペインにおける真の王として戴冠される日が来るとは…実に、実に素晴らしいとは思いませんかな、ヴァロワ氏?」
「……やはり、私としてはまだ早すぎると思っているのですがね、デ-メラ氏」
「何を言われますか、多くの者たちが我が王を求めているのです。であればそれに答えるのが当然ではないですか」
「私の目的はスペインでの王政復古ではなく、フランスでのそれだったのですが…まあ、今さらそれを言ってもしょうがない事か」
カルリスタの指導者、フアン-バスケス-デ-メラにヴァロワ氏と呼ばれた男、セルクル-プルードンの指導者であるジョルジュ-ヴァロワは諦めの混じった口調でそう言った。
一時は合法路線に転換しフランス議会への進出も果たしたセルクル-プルードンだったが、ここ最近のイベリア半島情勢が全てを変えてしまった。
スペインでのカルリスタの蜂起に伴い、セルクル-プルードンはフランス政府によってカルリスタと内通する危険組織とされてすぐに非合法化され、主要人物は逮捕されてしまった。
にも拘らず、マドリード公とヴァロワがここにいられるのはカルリスタがフランス政府の予想を超えて快進撃を続けた事から、カルリスタに恩を売るべく一転して解放し、更にはフランス陸軍の情報機関である参謀本部第二局の手引きによってよって安全なルートで逃亡させたからに他ならなかった。
もちろん、この逃亡劇には裏取引がありカルリスタを率いていたデ-メラとフランス政府との間で、内戦への不介入と引き換えに1713年のユトレヒト条約を遵守するということで合意が成立していたのだった。
1713年のユトレヒト条約とはスペイン継承戦争の講和条約であり、フランスとスペインの統治者をブルボン家から出す代わりに両国のブルボン家は互いの国の継承権を主張しないと定められていた。オルレアン家から見捨てられたセルクル-プルードンとしてはこのユトレヒト条約違反は承知の上でマドリード公(アンジュー公)の王位継承権を主張し続けていたのだが、スペイン国内でカルリスタとして活動していたデ-メラからすれば、フランス王位などどうでもいいことであり、それよりもまずはマドリード公を無事にスペインに帰国させる事の方が重要だった。
むしろ、ヴァロワをはじめとするセルクル-プルードンの面々を始末してもらってもよかったのだが、フランス政府は妙なところで気を利かせたらしくマドリード公共々スペインに送られてきていた。
セルクル-プルードンの参加者の中には第1次世界大戦の戦場を駆け抜けたものたちも少なからずいた為、素人同然のカルリスタの民兵たちの訓練などに役に立っていたが、やはりデ-メラからすれば邪魔な存在には違いなかった。
(だが、それも今日までだ)
デ-メラは思った。
この戴冠式において、正式にスペイン王としてマドリード公が即位すれば、フランスとの断絶は決定的なものとなるはずだった。王としての即位の際にフランス王位に関する請求権について一切言及しない。控えめだが、これまでのマドリード公の活動を知る者には、それだけでその意図がわかるはずだからだ。
デ-メラにとっては、後はどうやってセルクル-プルードンの面々を始末するかを考えるだけだった。だからこそ、即位の際に読み上げられたマドリ―ド公改めハイメ3世の称号をどこか上の空で聞いていたのは仕方のない事だったのかもしれない。
『…そして全ナヴァラの唯一正統なる王』
(全?、まて、今、我が王はただのナヴァラではなく全ナヴァラと言ったか、そう言ったのか、…しかも、唯一正統なるだと)
思わず、デ-メラは隣のヴァロワを見たがヴァロワは涼しい顔をしていた。だが、デ-メラにはそれがまるで勝ち誇っているかのように見えた。
なぜ、ナヴァラではなく全ナヴァラと名乗る事がデ-メラにとって重大事なのかと言えばナヴァラ王国の歴史にその答えがあった。
バスク人によって建国された王国であるナヴァラ王国は、アラゴン王フェルナンド2世によって滅亡させられたがピレネー山脈北側のフランス側のわずかな部分のみは低ナヴァラとして独立した状態が続き、その後ナヴァラ王位はフランス王の称号の1つとして組み込まれた。
一方、スペイン側もナヴァラ王国の旧領の大部分を組み込んでいたことを根拠にナヴァラ王を名乗り両国の間で未だに決着はついていなかった。
そんな中で、元々フランスで王位の請求を行なっていたハイメ3世が『全ナヴァラの唯一正統なる王』などと名乗ることはフランス王位を諦めていないという解釈も出来、たとえそうでなかったとしてもピレネーの北側に対して野心があるのは疑いようもない事実だった。
いずれにしても、この戴冠式によりスペインには正式に2人の王が並び立つ結果となり、特にカルリスタ側の士気を大いに高める結果となったのだった。




