第171話 漁夫の利
1919年8月10日 大清帝国 南京 玄武区 総理大臣官邸
大清帝国が1900年の北清事変以降南京に遷都してから、皇帝は明の時代の宮殿を復元し、更に西洋風の建築物なども増築した新宮殿に住んでいた。一方、立憲君主制の下で皇帝に次ぐ実力者となった内閣総理大臣の居住地である総理大臣官邸は旧江南総督府跡に他の省庁と共に置かれていた。
「全くどうしたものか」
総理大臣である梁啓超は悩んでいた。きっかけは極東地方において相次いで発生した社会主義者による蜂起だった。
蜂起が起きるだけならば、長らく南下政策を行なって清国に対して絶えず圧力をかけてきたロシア帝国が弱体化するので良いのだが、困った事にそのロシア帝国から東清鉄道防衛のための"兵力増強"が提案されてきたのだった。
いくら東清鉄道がロシア帝国の利権であろうと走っているのはその名の通り清国の地なのだから、兵力の増強については清国政府の同意が必要であるとされてきた。
ところが、今回の"兵力増強"案では鉄道付属地以外への兵力展開が盛り込まれており、清国政府としては社会主義者との戦闘が満州などに飛び火する可能性を考えると到底容認できないものだった。
なぜならば満州は言わずと知れた女真族の故地であり、清国を治める光緒帝からすればロシア軍が駐留している事すら不愉快だったし、また、梁啓超自身もどのような理由であっても清国国内に大規模な兵力展開を認める事は利権保護を名目とした各国の介入に正統性を与えることになりかねないと危惧していた。
「とはいえ、こちらはこちらで問題があるな」
そういうと、梁啓超は机に広げていたもう一つの書類に目をやった。
そちらの内容はロシア帝国からのものとは逆の内容、東清鉄道の中立化に関するものだった。
ロシア帝国内での争乱勃発につき、鉄道利権を大清帝国の保護下に置くという提案は梁啓超からすれば非常に魅力的なものだった。これがイギリスをはじめとした列強諸国が提案してきたのであれば、直ぐに飛びついただろうが、問題はそれを提案してきたのが社会主義者であったという事だった。
主な内容としては、東清鉄道の中立化と将来的な割譲、朝鮮王国内のロシア帝国利権の返還、樺太の大日本帝国への割譲とオホーツク海での漁業権の保障を提案してきており、引き換えにロシア帝国との戦争における中立の厳守と外交関係の樹立、秘密条項として軍需物資を含む援助を求めてきていた。
短期的に見れば大いに利のある提案なのだが、自分たちの隣国として社会主義国家が出来上がるというのは長期的に見ると非常によろしくないことだった。
まず第一に清国、日本ともに君主制国家であり社会主義とはその国体を揺るがしかねない危険思想だったからである。特に清国では第一次世界大戦後のガス抜きの意味合いもあって一応、社会党の結党が認められた日本と違い、今もなお社会主義やそれに類する思想は厳しく取り締まられているのだった。
そして第二に両国ともにあまり労働者に優しくない国家であったからだ。
なかでも清国においては労働者に代表される下層階級と資本家などとの間には大きなひらきがあった。階級間での断絶ぐらいならば各国でもそう珍しいものでもなかったが、近年ではアメリカ合衆国のコロンビア大学に留学経験を持ち、父親の死によって若くして浙江財閥の名家である宋家を継いだ宋子文が、アメリカで広く読まれていたロスロップ-スタッタードの"優生学"に関する著書に感銘を受け、
『清国が次の段階に進むためには、下層階級の避妊、あるいは断種によって優良な人間の血統のみを次世代へと残していくべきである。これによって、将来の清国は世界で最も優れた人々によって構成された真の文明国家となることができる』
と主張し、スタッタードの著書を訳して各所に配布し、そればかりか巨費を投じて『清国優生主義協会』まで設立していた。
著者であるスタッタードが強烈な人種差別主義者であり、アメリカにおけるアジア人差別の旗振り役であった事は皮肉としか言いようが無かったが、一方で東亜非戦論に代表される東洋世界の思想的優越が幾度となく唱えられ、それに伴って東洋思想のより一層の研究熱が高まっていたにもかかわらず、スタッタードの"優生学"のような"進歩的"とされた思想にはすぐに飛びついたという事実は、結局のところ東洋が西洋に対して優越しているとされた思想面においてさえ、未だに西洋の強い影響下に置かれていたという事を示しているのかもしれない。
ともかく、そういうわけで清国において社会主義思想が広まることは避けるべきことだったが、革命によって清国が滅び去る危険を考えれば東清鉄道の利権など返還されなくとも良い…と切って捨てるにはあまりにも魅力的過ぎる提案であった為、梁啓超はこうして頭を悩ませているのだった。
(いっそのこと、社会主義者どもに奇襲攻撃を仕掛けて東清鉄道だけと言わずに沿海州まで奪還するのはどうだろうか…だめだな、そのあと下手をすれば清露戦争が勃発しかねない。では、せめて東清鉄道の中立化だけでもイギリスなどの助けを借りて行なうのはどうだろうか…一時的な中立化は出来ても恐らくは返還せざるを得ないだろうな。正直あまり利があるとは思えん。かといって、社会主義者たちを援助する事は国内の経済界のみならず、下手をすれば列強各国からも批判を受けかねない…)
結局、梁啓超は悩みぬいた末にロシア帝国にもつかず、かといって社会主義者にもつかないという選択をする事になる。この選択にはロシア帝国は怒り、社会主義者は失望する事になるが、梁啓超はただ中立を貫いたわけではなかった。
清国領モンゴルを通じて、かつてロシア帝国へ組み込まれたトゥヴァ人、並びにブリヤート人に対して援助を実施した。これはシベリアの大動脈であるシベリア鉄道を脅かす動きだった。この動きを受けてロシア帝国軍の進撃は停滞し、逆に社会主義者は勢いづいたが、元が民兵主体のため正規軍であるロシア帝国軍に対しては苦戦を強いられることになる。
こうしてダラダラと両者を消耗させる事こそが梁啓超の狙いだった。こうして弱体化を狙い、調停者として振る舞う事で利益を引き出す事を狙っていた。
かつて、1860年の北京条約において太平天国と英仏軍との戦いに苦慮した清国は、先に英仏軍との戦争を終結させるべくロシア帝国に仲介を依頼し、結果、沿海州は仲介料としてロシア帝国領となり、ロシアはまさに漁夫の利を得る事に成功したのだが、今回は清国が漁夫の利を得る、そう考えての事だった。




