第167話 方針決定
1919年5月1日 イギリス ロンドン 労働党本部
ロンドンにある労働党本部では会議が開かれていた。
議題は現在イベリア半島で続く内乱についてだった。1月のポルトガル大統領暗殺から始まった混乱は3月のスペイン王国のガリシア地方での蜂起の鎮圧に政府軍が手間取ったため、これを見たカルリスタの勢力の強かったカタルーニャ、バスクやナバラではカルリスタの王であるマドリード公ハイメ-デ-ボルボンを支持する民衆が正統な王の帰還を求めて蜂起していた。
「というわけで、フランス、スペイン、それにポルトガルからはカタルーニャをはじめとする各地の蜂起は、前時代的な君主制主義者による蜂起であり、労働者たちを守るためにも、我が党にも反乱軍を断固として認めないようにとの申し入れが来ております。特に興味深いのはこれまで対立していた筈のゲード派とジョレス派が連名でスペイン、ポルトガル両政府の方針に賛成の意向を示したことです」
「…しかし、現地の意向は違うのだろう?」
元新聞記者で最近のイベリア半島で立て続けに起こった武装蜂起についての情報を集めていた労働党議員レオ-アメリーの報告に対して労働党の中心人物であるヘンリー-ハインドマンが質問した。
「はい、『各支部はスペイン王国軍の鎮圧に協力するように』とのスペイン社会党の決定を認めずに離脱を宣言したガリシア、カタルーニャ、バスク、ナバラの各支部、それに王党派に協力するとの決定をしたポルトガル全国労働総同盟ポルト支部からの報告では、反乱を起こした各地の王党派勢力は概ね、労働者との対立ではなく協調を目的にしており、社会主義からの後退ではなく寧ろ前進を意味するものだとおおむね好意的です」
「一体、どっちを信じればいいんだね…」
再びハインドマンが困惑気味に言った。
イベリア半島での蜂起に対する対応がこのような事になった背景には、昨年のツィンマ―ヴァルト大会で決定されたいわゆるツィンマ―ヴァルト綱領の不明瞭さの為だった。
ツィンマ―ヴァルト綱領では世界的な社会主義革命のために各国の社会主義諸勢力は"必要に応じて"連携する事、と定められていたのだが、この必要に応じての解釈の違いによってイベリア半島への蜂起の対応が分かれる事になった。
蜂起された側のポルトガル、スペイン及びスペインと国境を挟んで国内にバスク人やカタルーニャ人を抱え込むフランスの社会主義勢力は
『来たるべき社会主義革命の為にも国家の統一は守られるべき』
として断固鎮圧を主張していた。
対して蜂起した側のガリシア、カタルーニャ、バスク、ナバラ、それにポルトガル北部地域の社会主義勢力はスペイン、ポルトガル両政府がこれまで労働者たちの権利を踏みにじっていたとして、
『統一よりも権利を』
を合言葉に社会主義革命のための第一段階としての独立或いは王政復古を掲げていた。
そして、どちらの側もツィンマ―ヴァルト綱領を根拠に将来の社会主義革命の為には自分たちへの援助が必要であり、またそうすべきである、と訴えた。
「せめて、ドイツ人がちゃんと動いてくれればよかったのですが」
「彼らも似たようなものだからなぁ」
こうした事態に対してツィンマ―ヴァルト大会で主導的な役割を果たしたスパルタクス団は、各国政府による鎮圧を支持していたのだが、これに対してオーストリア=ハンガリー帝国からの亡命者やスパルタクス団に参加しなかった社会主義者などによって組織されたドイツ社会主義研究会は蜂起した反乱勢力への支持を表明した。このスパルタクス団とドイツ社会主義研究会の間の論争は歴史の彼方へと消えていった構想を復活させることになる。
大ドイツ主義と中欧帝国構想。
19世紀からはじまったドイツ統一運動において"ドイツ"の範囲を一体どこまでにすべきかということについて様々な意見があり、ハプスブルグ帝国のドイツ人居住地域を含むべきと考えた大ドイツ主義者に対して、中欧帝国構想は統一ドイツ国家にハプスブルク帝国内の他民族も加えようとする構想だった。
結局、どちらもプロイセン王国を中心としたハプスブルグ帝国を除いたドイツ国家の建設を目指した小ドイツ主義に敗れたのだが、スパルタクス団とドイツ社会主義研究会の間の論争によってこの2つの構想は再びよみがえったのだった。
ポーランド-リトアニア王国社会民主党との間で、社会主義革命後のポーランドは同じく社会主義革命後のドイツの下で独立ではなく自治に留まるという方針で同意していたスパルタクス団は、ドイツは社会主義体制構築のための指導的地位を担うべき、と実質的な中欧帝国の復活を目論み、一方、ドイツ社会主義研究会は社会主義ヨーロッパにおいて各民族は文化的な自治を約束されるべきであると考えて、あくまでドイツ人居住地域に留まったかたちでの社会主義ドイツを望んだ、といってもポーランド西部やボヘミアでは分離が困難なため、自治が許される形で社会主義ドイツの下に留まるとした点はスパルタクス団とは変わらなかったのだが。
ともかく、こうした対立からドイツの社会主義勢力は分裂する事になる。元々、勢力としてはドイツ社会主義研究会の方が小さかったのだが、第一次世界大戦後に確立されたドイツ勢力圏からの労働者の流入に反発し、民族主義的な感情を多く持っていた労働者たちからはドイツ社会主義研究会の"民族主義的"とも見える主張の方が受けが良く勢力を伸ばす事になる。
もともと、ドイツ社会主義研究会の中心人物であるカール-レンナーがオーストリア=ハンガリー時代での経験から民族主義に基づく混乱を終息させるべく各民族による文化的自治の発想に行き着いた事を考えるとその主張が民族主義的な感情を持った者たちに支持されるというのは皮肉だった。
「つまり、結論としてはドイツ人は仲間割れで動けず、フランス人は鎮圧支持で一致しているという事か、イタリア人はどうかね?」
「ああ、イタリア社会党はバルカン戦争中に投獄されていたジャコモ-マッティオッティをはじめとする反戦社会主義者が今や主流ですから、どちらの側にも立たずに中立を堅持するべきであると主張しています」
「なるほど、我々の動向が注目されるわけだ…私としては本音を言えば反動的な王より進歩的な王の方が望ましいから反乱勢力に肩入れしたいところだが、我がイギリスは世界に対して責任を負っている以上、軽々しい動きは出来ない。よって、中立を保つ必要がある」
「良いのでしょうか、各支部では意見が分かれているようですが」
「下手な動きをすれば社会改良の前に大英帝国全体を焼き尽くしかねない、不用意な動きは慎むべきだ」
イギリス労働党の方針は決まった。
この決定を受けて国内に民族問題を抱えるベルギー社会党なども中立の姿勢を打ち出す事になったが、イベリア半島への介入をめぐる各勢力同士の対立はさらに激しさを増していくのだった。




