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第166話 死の光線と武装蜂起

1919年4月3日 アメリカ合衆国 メリーランド州 ハーフォード郡 アバディーン性能試験場

アバディーン性能試験場はアメリカ陸軍がこれまで性能試験場として使用してきたニュージャージー州のサンディフック性能試験場が手狭になったためメキシコ出兵の最中の1917年10月20日に開設されたアメリカ陸軍で最も新しい性能試験場だった。


「はぁ、テスラ博士、失礼だがあなたには常識というものが無いのですかな」

「まさか、ちゃんとあるとも、少なくとも君たちのような凡人には理解出来だけでね」

「では博士がこないだ提出してきた電磁砲、あれはいったいどう運用するつもりなんですか、あんな大電力が必要なものを戦場の真ん中で運用する事など…」

「そんなもの後方から無線送電するに決まっているだろう?しかも送電だけでなく無線による通信も可能で…」

「無線送電ですか、モルガン氏の死後、財団は援助を打ち切ったと聞きましたが、まさか軍の予算で夢よもう一度などと考えているわけでは…」

「…何故、君はそんなことを知っているんだ」

「…いや、軍事機密の研究ですからね。関わる人間について色々と前もって調べるのは当たり前ですよ」


アバディーン性能試験場の設計、建設から現在に至るまでそのすべてを指揮している人物であるコールデン-ラグルス大佐は、目の前の天才発明家、ニコラ-テスラ博士に対して呆れながらも冷静にそう言った。


テスラは現在アメリカ陸軍主導の『敵性飛行物体を迎撃するための新兵器開発計画』、要するにアメリカの空を飛ぶ敵機を全て撃ち落とすための兵器開発計画に参加しているのだが、そのアイデアは天才を自称するだけあって他のものでは考えつかないものだった。


砲弾を電磁加速する事で射出する電磁砲のアイデアをテスラは提案して来たのだった。

勿論ラグルスが述べたように電磁砲を実戦で運用するためには、莫大な電力が必要であったが、テスラは自身が1890年代に考案し、実際に実験施設まで建設したものの、支援者であったジョン-ピアポント-モルガンの死によって幻に終わった世界システムと呼ばれる通信兼送電装置によって、それを解決しようと考えていたのだ。尤もこうしたあまりにも先進的過ぎる研究は野心的過ぎる目標を掲げているアメリカ陸軍であっても理解できず、電磁砲や無線送電といった技術が実用化されるのはテスラの死後の事になる。


「…ま、まあ、ここでも私の研究が理解されない事などわかりきっていたからな…次の案を用意しておいて正解だったよ」

「次の案?」

「その名も死の光線(デス-レイ)だ」

「…死の光線(デス-レイ)?」

「まあ、死の光線(デス-レイ)と言っても本当に人を殺しまくるような野蛮な兵器ではないよ。いいかね、飛行機とは基本的に人間が操縦するものだし、無人機にしても無線誘導が無ければ満足に飛べやしない、よって、人と無線操縦システムの両方に有害な電波を照射する事によって飛行不能にしてしまえばいいのだよ」

「しかし、そのためには正確に目標を追尾し続ける必要が…」

「電波の反射を利用すればいい。人の耳なんかよりよほど正確に位置を割り出せるはずだ」


テスラはそう自信満々に告げた。ラグルスは少し考えたのちに、この案を受け入れる事にした。こうしてテスラの死の光線(デス-レイ)はアメリカ陸軍の正式な研究として扱われる事になり、合わせて死の光線(デス-レイ)用の照準装置である電波の反射を利用した照準装置の研究開発も行われる事になった。


1919年4月23日 ロシア帝国 沿海州 オホーツク

ロシア人以外にも先住民であるヤクート人も多く暮らすオホーツクはかつてはロシア領アラスカへの物資を輸送する拠点都市として栄えていた港町だったが、アラスカのアメリカへの売却や近隣に新たな拠点としてニコラエフスクが建設された事によって近年では衰退していたが、そんなさびれた町だからこそ当局の目を掻い潜るにはうってつけの場所だった。


「同志ダルバル、同志ザミャーチン、いよいよですな」

「同志アルテミエフ、貴方がここに導いてくださらなければ我々は今頃死んでいたでしょう、過去の事を忘れてくれ等とは言えないが、これからは改めて革命の為に手を取り合っていきたいと思う」


アルテミエフと呼ばれたヤクート人元社会革命党員ミハイル-コンスタンティノヴィッチ-アルテミエフに対しウラジオストク支部の監視の為にペトログラードから送り込まれていた連絡員エヴゲーニイ-イワノヴィチ-ザミャーチンは感謝の言葉を口にした。


アルテミエフは教師として働く傍ら社会主義に興味を持ち、社会革命党党員として活動していたのだが、当時のストルイピン政権は第一次世界大戦によって生じた難民や改革によって自由となった農民層のシベリアへの移民政策を進めておりヤクート人の住むヤクーチア地域へもその対象を広げようとしていた。それに対してアルテミエフはウラジオストク支部の意見としてヤクーチア地域への移民禁止を訴えるように主張したが、自由農民層の創出は農民と労働者と知識階級の団結による社会変革を目指す社会革命党にとって有利になるとザミャーチンが主張した為、アルテミエフは追放にも等しい扱いとなっていた。


しかし、ウラジオストク支部が来たるべき蜂起の為に武器弾薬の類を集め始めるとそのための拠点として比較的当局の警戒が緩いオホーツクを通じて運び込む事を画策し『ヤクート人の民族的自治や文化の尊重』の方針を打ち出して、再びアルテミエフを仲間に加えていた。


そして、新年早々の暗殺事件を聞いたザミャーチンとウラジオストク支部長のピョートル-ヤコブレヴィッチ-ダルバルはオホーツクに潜伏して蜂起の時を待っていたが一向に来ない蜂起の指示と、執拗な秘密警察(オフラーナ)による捜査に対して焦りと不安を募らせていった。

そして、ついに限界が来たと思ったウラジオストク支部はこの日、オホーツクにて社会主義革命とシベリア諸民族の自治を掲げて武装蜂起したのだった。


ユーラシア西端のポルトガルでの内戦が周辺諸国に衝撃を与えたように、東の端ともいえるオホーツクでの蜂起も周辺諸民族に大きな影響を与えようとしていた。

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