第164話 2つの暗殺事件
1919年1月10日 ロシア帝国 モスクワ ボリジョイ劇場
その日は新年初の皇帝ニコライ2世のモスクワへの行幸であり、その家族、そしてニコライ2世が最も信頼する忠臣である首相兼内務大臣、ピョートル-アルガエーヴィッチ-ストルイピンも同行していた。
「皇帝陛下万歳、ロシア万歳」
「売国奴ストルイピン、帰れ」
「イギリス人に一体何ポンド貰ったんだ?言ってみろ」
モスクワ市民たちは冬の寒さに関わらず沿道に立ち、ニコライ2世を歓呼の声を持って迎えたが一方でストルイピンには容赦なく誹謗中傷のヤジが飛んだ。ニコライ2世が最も信頼する忠臣に対し、ニコライ2世に対して忠誠を誓う市民たちが容赦なく罵倒を浴びせる様は、ロシア帝国の国民の分断された心理を良くあらわしていた。
崇敬と忠誠は皇帝に捧げ、自らの生活が思うままにならぬ不満の対象はその玉座ににじり寄って皇帝を意のままに操る"奸臣"ストルイピンとラスプーチンへとぶつける。これが当時の一般的な心理だった。
(何も知らぬ民草が、お前たちがそうして暮らしていけるのは他でもない、そのストルイピンのおかげなのだぞ、国会を開設したからといって、この国は貴様らのものになったわけではない。この国は皇帝たる余が治め、忠臣たるストルイピンが前に進めているのだ。それを根も葉もないうわさを根拠に誹謗中傷するとは言語道断だ)
皇帝がこのように怒り狂うのを必死で我慢しながら、市民の歓呼の声を聴いている一方で、その誹謗中傷の対象になった"奸臣"ストルイピンの心中は穏やかだった。
(民はこのように皇帝陛下に対し未だ変わらぬ忠誠を誓っている。大戦ですべてが変わったと思っていたが、これならば帝国は安泰だろう)
ストルイピンは右足をさすりながら、そう考えた。爆弾テロが起こった際に息子のアルカディ-ペトロヴィッチ-ストルイピンを庇った時に負傷したものだった。
やがて、皇帝とその家族、そしてストルイピンを載せたロールスロイス-シルヴァーゴーストの車列がボリジョイ劇場の前に到着した。
すぐさま、車のドアが開かれると、ストルイピンの目の前に一人の少年が立っていた。
「宰相、大丈夫か、余が手を貸そう」
「おお、これは、殿下。同行されるとは聞きましたが…お体の方は…」
「父上も母上も、それに姉上たちも皆そうやって心配しているが、今日の余はとても調子が良いのだ。これも祈祷師のおかげだな。さあ、余の手を取れ宰相、早くせよ」
屈託のない笑みを浮かべ、足をひきずるストルイピンに対して手を差し伸べた少年、ロシア帝国皇太子アレクセイに対して、ストルイピンは複雑な気分となった。テロで足を負傷し、今やすっかり自らが死んだ後の事ばかりを考えている自分に対し、度重なる暗殺未遂にも拘らず、それら全てを無傷で生き延びたラスプーチンは未だ政治の表舞台には出ていないとはいえ宮廷内を中心に大きな影響力を持っている、ストルイピン唯一の気がかりはその事だった。
「アレクセイ、余り宰相を困らせるなよ。皇帝たる者、時には臣下の心を汲むことも重要だ」
笑いながら大切な一人息子にして、将来のロシアを統べる者に、父にして皇帝であるニコライ2世が近づこうとしたのと、群衆の中をかき分けて1人の男が出てきたのは同時だった。
「売国奴ストルイピン、ロシアの為に死ねぇ」
男は1910年式ペルシア軍仕様モーゼル拳銃を引き抜き、そのまま走りながらストルイピンに向けて引き金を絞った。ニコライ2世は一瞬のうちに状況を理解し、忠臣と我が子を守るべく駆け寄った。
やがて何回か発砲音がしてから、男は倒れ、それからは悲鳴が響き渡った。
悲鳴の主はアレクセイだった。無理もない。今年でようやく15歳になる少年には人間の死は、それも父親とその父親が最も頼りにしていた男の死はあまりにも重く、辛いものだった。
暗殺犯の男は二重スパイとして社会革命党や無政府主義者の団体に潜入していた秘密警察のユダヤ人職員ドミトリー-グリゴリエヴィチ-ボグロフであったと後に判明した。調査の結果、ボグロフは二重スパイとして潜入するうちに"危険思想"に強く惹かれるようになり、ストルイピン暗殺を計画、実行し、ニコライ2世を流れ弾で死亡させたと結論付けられた。
この調査と結果の報告については余りに迅速であった為、何らかの圧力があったのではないか、との意見もあり、また、後世の歴史家の中にはボグロフはストルイピンを確かに殺したが、ニコライ2世を殺したのはボグロフではなく警備のものが発砲した流れ弾だったのではないかと主張するものもいる。
何れにせよ、ユダヤ人が皇帝を暗殺したという事実に変わりは無く、ロシア国民の反ユダヤ感情の高まりと共に反ユダヤ主義団体である黒百人組の影響力はロシアにおいて揺るぎないものとなっていった。
1919年1月21日 ポルトガル共和国 ノルテ地方 ポルト県 ドウロ川 マリア-ピア橋
ポルト県の県都であるポルトと、隣接するヴィラ-ノヴァ-デ-ガイアの間にかけられた鉄道橋、マリア-ピア橋はエッフェル塔の建設で有名なギュスターヴ-エッフェルの手によって1877年に建設されたものだったが、建設から40年の年月がたっていたのに加えて厳しい財政状況から補修が後回しにされていた事もあり、その劣化は深刻だった。
しかし、そんな橋であったとしてもポルトとリスボンを結ぶ幹線鉄道が通る橋には変わりなく、この日もある特別列車が通り過ぎようとしていた。
「よし、あれが大統領専用列車か…未だに北部がお前たちに尻尾を振っていると思ったら大間違いだ。俺たちの期待を裏切った報いを受けてもらうぞ」
ポルト出身の王党派の男は迫ってくる列車を見てそう言い放った。
ポルトをはじめとする北部地域は特産品のポートワインで有名な様にイギリスとの交易で栄えた事から自由主義的な気風が強く、王政時代には共和派の拠点として知られていた。だが、革命によって王政にとってかわった共和制は王政時代と変わらずリスボン中心の政治を行なっており、そうした不満から北部地域では、いまや共和制よりも、王政復古を目指す王党派に対する支持の方が強かった。
男は列車が橋の上に差し掛かるのを見て爆弾を起爆した。爆発の後、橋は耐え持ったかのように見えたが、やがて、バラバラと崩落してしまった。
このテロによってポルトガル共和国の大統領で共和派屈指の演説の名手として知られたマヌエル-デ-アリアガはドウロ川に没した。この暗殺の成功によってポルトガルは共和派と王党派による事実上の内戦状態に突入する事になる。
そして、ポルトガルから始まった混乱は隣国のスペイン王国、さらにはヨーロッパ各地に広がる事になる。
次話から少し時間の進みが早くなると思います。一応、1919年はそこそこやりますが20年代以降にはいると飛び飛びになると思います。正直このままだといくらやっても終わらないと思うので
…アラブ叛乱から対オスマン帝国戦までに時間をかけ過ぎた…
場合によっては初期のころの様に何年か単位で時間が飛ぶかもしれません。
省いた話などは番外編か何かでやろうとおもいますし、それ以外でも『これが見たい』といった要望があれば本編完結後にまとめて番外編として投稿しようと思います。




