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第158話 王党派と"分離主義者"

1918年9月1日 ポルトガル共和国 コインブラ県 コインブラ


「それでは、大統領はポルトに来るのだな」

「ええ、その時こそ我らが王の帰還を…」

「声が大きいぞ」

「申し訳ありません。しかし共和国政府による弾圧は日増しに強まる一方です。我ら国内に残ったものの事情もご理解いただきたく…」

「その点については理解しているとも」

「ありがとうございます。それと一つ質問があるのですが」

「なにかね」

「この、フランスのアクシオン-フランセーズやセルクル-プルードンに倣った政策とは一体なんですか」

「具体的には協同組合を基礎とした経済体制の構築と立憲君主制を基本とした有機的な政治体制だな。フランスでは王政復古を掲げている事もあって主流とは言えないが…とにかく、この政策ならば、過去の王政とは違う事を大衆に示す事が出来るはずだ」

「なるほど、昔とは全く違う新体制という事ですか」

「ああ、かつての王政はイギリスに倣った結果打倒されてしまったが、今回は違う。あの大航海時代のように我がポルトガルこそが新時代を切り開くのだ。まあ、発案者はフランス人だが、未だ彼らの祖国では実現されていないのだからな」

「王政復古万歳、新体制万歳」


ここに集まっているのは、1910年の革命で王位を追われた旧ポルトガル王家に忠誠を誓っている者たちだった。こうした王党派は革命によって王政が倒された翌年には反乱を起こしたが、民衆の支持を集める事ができずに鎮圧された。


しかし、それから7年、状況は変わりつつあった。

王政が打倒されたのちに成立した共和政は普通選挙などの民主主義的な政策を次々と打ち出したがこれはリスボンなどの都市部では大きな支持を得たものの、基本的には都市部の中産階級しか恩恵を受けられず、むしろ、国民の大半を占める農民層からは同時期に進められていた政教分離政策によって、ローマ教皇庁との関係が断絶した事に対する反発の方が大きかった。


また近年は労働争議に対して激しい弾圧を行なっていた為、労働者などの都市部の下層階級も共和制に対する不満が高まっていた。 


かつての王家、特にドン-カルロス1世の治世において植民地政策におけるイギリスへの譲歩や2度の破綻によって求心力を失い、最後には1908年に王太子共々共和主義者に暗殺される事になったように、その王制を打倒して成立した共和政もまた国民からの求心力を失いつつあった。


それを見て動き出したのがかつての王党派たちだった。この頃、王党派ではベルギーに亡命していたルイス-デ-アルメイダ-ブラガ、フランスに亡命してアクシオン-フランセーズやセルクル-プルードンの活動に新しい君主制の形を見たアルベルト-デ-モレス-モンサラズなどの海外亡命者たちによって、過去の王国時代の体制にこだわらない、新たな国家体制を構築すべきであるとの意見も強くなっていた。


こうした動きを受けて共和国政府は警戒を強めた。特に強硬な保守主義者として知られたスペイン王アルフォンソ13世が王政復古を支援しているのではないかという疑惑からスペインとの国境地帯の警備を厳重なものとし、合わせてスペインに対する非公式な抗議を行なったが、これに対しスペイン側も反発し両国の国境地帯での緊張は高まる事になるのだった。


1918年9月20日 スペイン王国 ガリシア地方 ア-コルーニャ県 ア-コルーニャ


「拘束した全て人間を釈放せよ」

「軍は直ちに撤退を」」


ア-コルーニャはポルトガルとの国境に近いガリシア地方の中心都市だった。そんな、ア-コルーニャの中心部ではデモが行われていた。

しかし、そんなア-コルーニャでは最近、スペイン軍や準軍事組織である市民警備隊(グアルディア-シビル)の兵士たちの姿を見る事が多くなった。理由は隣国であるポルトガルとの関係が思わしくないことだが、街中を兵士たちがうろつく事は1846年の反乱以来、中央政府であるスペイン政府によって自治、または独立を求める動きを粉砕されてきたガリシア地方の人々にとっては面白くない事であり、些細な事から衝突に発展する事も多く、警戒に当たる兵士はガリシア人たちに『祖国を裏切りポルトガルと通じているのではないか』との疑いを持ち、警戒し、ガリシア人たちは兵士たちを『ポルトガルとの緊張が高まったという事を口実にして自分たちの事を弾圧しに来たのではないか』と恐れ、反発する。


そうして何度か衝突が起きた後、遂に事件が起きた。


5日前の9月15日、突如としてスペイン軍と市民警備隊(グアルディア-シビル)によって、アントン-ヴィラール-ポンテ、ルイス-ポルテイオ-ガレア、サルバドール-カベサ-デ-レオン、マヌエル-アントニオ-ムルギアといったジャーナリストや知識人、作家が拘束された。


拘束された人々にはある共通点があった。それは彼らがガリシア主義(ガレギズモ)と呼ばれるガリシア地方の独自性を強調する運動に参加していた事だ。


一口にガリシア主義(ガレギズモ)と言っても方向性は様々で、ケルト文化からの影響によるスペインの他の地方との文化的な面での差異に着目して、独自の言語や文化の復興と保存を目指すものから、ガリシア人を一つの民族として考えて、スペインでの独自の自治権獲得や言語的に近いポルトガルとの統合、さらにはガリシア人だけの独立国家を目指すものもおり、その中でさえ共和主義者や保守派などの違いからまるで纏まりが無かった。


要するにガリシア地方に強い郷土愛と帰属意識を持っただけの雑多な集まりだったのだが、相次ぐ現地住民との衝突を、これらガリシア主義(ガレギズモ)に基づいた闘争であると拡大解釈したスペイン軍と市民警備隊(グアルディア-シビル)はその中心人物たち大衆を扇動する危険な"分離主義者"として、拘束してしまった。


衝突を抑える為に拘束したにもかかわらず、皮肉にもそれが切っ掛けとなってガリシアの一般大衆の不満が爆発したのだった。未だポルトガルとの関係が緊迫している中でガリシア地方では新たな混乱が始まったのだった。

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