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第154話 運河建設計画

1918年6月20日 アメリカ合衆国 ワシントンD.C ホワイトハウス


「なるほど、ではバルガス大統領はこちらの"提案"を飲んだのだな」

「ああ、そうだ。中間選挙前に君に伝えられてよかったよ」

「ありがとう…もっとも完成する頃には私は生きていないかもしれないがね」

「そんな事を言わないでくれよ。君がいなければ愛国党がここまで成長する事は無かったのだから」

「買いかぶり過ぎだよ。私がいなくても君はその椅子に座っていたはずだよ」


アメリカ合衆国大統領セオドア-ルーズベルトの言葉に対して、副大統領のベンジャミン-ティルマンはそれを否定してから静かに笑った。

ルーズベルトの言う"提案"は中間選挙後に高齢の為に退任が予定されているティルマンの為のルーズベルトによるとっておきのサプライズだった。

もともと"提案"はティルマンがルーズベルトに話し、ルーズベルトもその内容がアメリカの利益となるものだった為承認したものだったが、ニカラグアの大統領エミリアーノ-チャモロ-バルガスに圧力をかける事で予定を大幅に進め、まさか、こんなにも早く着手できるとは思っていなかったティルマンへのサプライズとしたのだった。


ティルマンがルーズベルトに話しをしてルーズベルトが実行に移した"提案"とは中米のニカラグアへの運河建設だった。


もともと、ティルマンは8万トンから10万トンの巨大戦艦を含む大艦隊の建設構想を持っていたが、それにはある問題があった。肝心の巨大戦艦が太平洋と、カリブ海を通して大西洋を結ぶ運河であるパナマ運河を通る事ができないという大きすぎる問題が。


そこで、ティルマンはパナマ運河建設時に候補として挙がっていた他の地域に目を付けた。

具体的にはメキシコのテワンテペク地峡とニカラグアのニカラグア地峡だったが、このうちテワンテペク地峡に関しては無政府主義者の活動地域が近いため、保留されたのちに白紙となり、最後まで残ったニカラグア地峡に新運河が建設される事になった。


当時のニカラグアは1909年に成立したホセ-サントス-ゼラヤ-ロペス政権が選挙での勝利を背景に長期政権を維持していた。

政権成立当初こそ、アメリカからの自立を目指してドイツやイギリスに接触して独自の運河建設を目指していたものの、アメリカによる圧力をかけられた後は、アメリカの黙認もあって長期政権維持に成功していた。

しかし、アメリカによるメキシコ出兵をを見てアメリカに対して不信感を募らせたロペスは再び他国と接触しての運河建設を模索したが、実行に移す前にエミリアーノ-チャモロ-バルガスによるクーデターによって逮捕、のちに処刑されていた。


ニカラグアに対するアメリカのアメリカの影響力が強まった事から、ティルマンの提案は実行に移される事になり、アメリカはニカラグア地峡に新たな巨大運河を建設する事になった。


後に完成したニカラグア運河の付属地域として租借されたセラヤ県ブルーフィールズのニカラグア運河地帯の総督府の前にはティルマンの銅像が建設され、ニカラグア運河を見守り続ける事になる。


また、ニカラグア運河地帯はニカラグアの主権が及ばない土地とされた事から、ブルーフィールズの周辺に住んでいた先住民のミスキート族がニカラグア政府による同化政策を逃れる為に移り住み、その文化を保ち続ける事になった。


1918年7月1日 スイス連邦 ベルン ベルン中央駅

スイスの事実上の首都であるベルンの玄関口であるベルン中央駅に2人のドイツ人が降り立っていた。


「急げよ、ゼイゲル君、協会の皆様がお待ちかねだ」

「はい、コンタグ先生」


2人のドイツ人はドイツ帝国の首都ベルリン南方のテルトウ運河の設計で知られるマックス-コンタグとバイエルン王国のダム技術者を父に持ち、今はコンタグの下で働いているヘルマン-ゼイゲルだった。


コンタグが言っていた協会とは『スイスのローヌ川、ライン川運送協会』の事だった。

この『スイスのローヌ川、ライン川運送協会』はフランスを流れるローヌ川が地中海に、ドイツのライン川が北海に通じている事から、スイス国内にこの2つの川を結ぶ運河である『スイス横断運河』を作り、地中海と北海を結ぶ水運網を作り上げようという壮大な計画を推進していた組織だった。


ただ、計画していただけならば、そういう変わった団体がある、で終わるのだが、スイス政府もこの構想に期待していたらしく、1908年に制定されたスイスのダム建設に関する法律には、


『ダムを建設する際には治水や水力発電だけでなく水運も考慮する事』


と記されており、特に後押しをしていると明言したわけではないが、それとなく支援していたのだった。


そもそも、この地域に運河を作るという構想は意外と古く1638年にオランダ人が始めたとされる。当時オランダから地中海に向かうためには敵対するカトリックの盟主スペイン王国の支配するジブラルタル海峡を回らねばならなかったのだが、オランダと同じカルヴァン派のスイス領内のビール湖、ヌーシャテル湖、レマン湖をむすぶ運河を作り、ローヌ川からライン川を通り地中海と北海を連絡するという計画を立てていた。結局この計画は技術不足と資金難で失敗したのだが、20世紀に入って『スイスのローヌ川、ライン川運送協会』の手でよみがえったのだった。


しかし、スイスの技術者たちだけでは運河建設のための技術が不足していた為、テルトウ運河の設計で知られるコンタグが呼ばれたのだった。コンタグとしては運河建設自体は可能だが、それには莫大な予算が必要だと考えていた。それでも、腕試しも兼ねて運河の建設のための詳細な調査を行なう事にして、ゼイゲルを連れてスイスを訪れていたのだった。


結局、北海から、地中海への水運を確立するという計画は余りに壮大すぎ、コンタグとゼイゲルの報告書が『スイスのローヌ川、ライン川運送協会』に提出されてから暫くして計画は無期限延期となる事が決まった。

そんなわけで1200pt突破記念作品でした。

個人的に巨大運河みたいなデカいインフラ系は大好きです。


ニカラグア運河は史実ではサン-フアン川を利用するルートが考えられていたそうですが、こちらではブルーフィールズからエスコンディド川を通ってニカラグア湖に至るルートです。


太平洋側の出口についてはグラナダを経由させている設定で、実はグラナダの中心部にウィリアム-ウォーカーの銅像を建てたという裏設定があります。まあ、こちらについては後で変更するかもしれませんが


マックス-コンタグは史実でもスイスでの運河建設の提案をしているので登場させました。

あと、ヘルマン-ゼイゲルの経歴が良く分からなかったので取りあえずコンタグのところで働いていた事にしました。


スイスを横断する運河を作るという構想が公式に終了したのは2006年にヴォ―州の政府がそれまで運河用に確保していた土地を環境計画のための用地に転換した時、とのことなので、つい最近まで生き残っていたと言えるかもしれません。


いつか、琵琶湖運河とかも巨大ダムもネタとしてやってみたい…

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