第151話 ツィンマ―ヴァルト大会
1918年5月1日 スイス ベルン州 ツィンマ―ヴァルト村
この日、ベルン近くの小さな村であるツィンマーヴァルト村には、多くの外国人たちが集まっていた。
スイスでは珍しいスラヴ系や有色人種などもいた事から、村人は物珍しそうに外国人たちを見ていたのだが、そこに集まっていた外国人たちにはある共通点があった。それは彼らが社会主義者であるという点だった。
「それでは、第3インターナショナル第1回大会の開催をここに宣言します」
スパルタクス団の指導者の一人であるカール-リープクネヒトが宣言した。
「まず、今回は各国の社会主義組織間の連携の強化を図るべく…」
「リープクネヒト議長、その前に質問がある」
「…なんでしょうかな、ゲードさん」
「第1に何故ジョレスのような資本主義者と妥協する連中が呼ばれているのか、第2に先日成立したペルシアの新政権への対応についてだ」
リープクネヒトに対してフランス国社会党のジュール-ゲードが質問した。
フランス国社会党は元々、フランス社会党にゲードが加わる以前に組織していた政党だったが、1年ほど前のルロー=ドゥガージュ法を巡って、政権への協力を優先するジャン-ジョレスとそれに反対したゲードとの争いによってフランス社会党からゲード派が離脱した結果、再結成されていた。
「ゲードさん。それについてはあらかじめ説明した通り、今回の会議の目的はあくまでも社会主義者同士の連携のための…」
「だが、政権と妥協した奴らは、本当に信用できるのかね?」
「我々は労働者の為に活動しているにだけに過ぎない。現実を見ずに口先だけの革命路線を標榜する、君よりかははるかにましだと思うが」
「なんだと」
ジョレスの事を信用できないと述べたゲードに対して、ジョレスは現実を見ていないと批判した。
2人の口論を切っ掛けにあちこちで同様の口論が始まった。政権と妥協するのか、それともあくまでも革命を目指し続けるのかという課題は各国の社会主義者に共通するものだったからだ。
「静粛に、静粛にお願いします。今回の会議はこうした対立を乗り越えるためにこそ開催されたのです。この会議によって対立が終わる事があっても、再びその対立が深まる事があってはならないのです。現在各国で、社会主義の同志たちが窮地に立たされているの知っての通りです。そのため疑心暗鬼となる事もあるでしょう、しかし、だからこそ、我々は手を取り合わねばならないのです。私はこの会議が開催される前にドイツの社会民主党に、隣にいるアレクサンドル-ボグダノフ氏は社会革命党に参加をするように呼びかけましたが、拒否されました。しかし、みなさんは今日ここに集まってくださいました。それは、くだらない口論をするためではなく、社会主義の未来を信じたからこそ集まってくれたものだと信じています。その為にもまずは対立を止め、共に手を取り合う事を考えるべきです」
リープクネヒトは声を張り上げて訴えた。
実際にはロシア帝国社会革命党に参加するように呼びかけたのは、リープクネヒトでボグダノフはそのあとから参加したのだが、そんなことは当人たち以外は知らなかった。
「さて、2番目の疑問についてですが、ペルシアの新政権についてですが、我々は社会主義的なものではないと考えております。理由としては彼らは未だ成熟した資本主義社会ではないどころか、そもそも工業化すらいまだ満足にできていない始末です。だからこそ、この新政権は社会主義的なものではなく、ペルシアの民族主義革命にボリシェヴィキ残党が加担したものだと解釈するべきなのです」
議場にざわめきが広がった。どうやらここに集まっていた多くの者たちがイーラーン民主連邦共和国が社会主義活動の結果であると承認されるものだと思っていたようだった。
「静粛に…全ての物事には段階があり、それを無視しては進めないのです。後進的地域において社会主義体制がいきなり出現するなどというのはまったくもって馬鹿げています。だからこそまずは後進的地域の工業化から始めなくてはならないのです。私はその為にも従来の境界を越えて団結する事が必要だと思います」
「従来の境界を越えた、とはどういう事だろうか」
イギリス労働党のヘンリー-ハインドマンが質問した。
「具体的には、現在の経済圏、あるいは植民地帝国はあくまでも社会主義体制への移行という条件下でですが維持されるべきだと考えております。我がスパルタクス団はすでにポーランド-リトアニア王国社会民主党との間で、ドイツでの社会主義革命後のポーランドの国家解体と社会主義ドイツの下での自治について大枠で合意をしております」
リープクネヒトの言葉に再びざわめきが広がった。
ポーランドはロシア、プロイセン、ハプスブルグ帝国に三分割されて以降、第一次世界大戦後まで独立を勝ち取ることのできなかった国家であり、その独立を確かなものにする為に現在のポーランド王国を打倒する、というのならばまだしも、まさか独立を放棄して、社会主義ドイツの下で自治で満足するという条件を飲むなど考えられなかったからだ。
「なるほど、我がイギリス労働党としてはリープクネヒト議長の方針を歓迎したい」
ハインドマンはすぐにリープクネヒトに対する賛同の言葉を口にした。イギリス帝国の社会改良を考えていたハインドマンとしては、植民地帝国維持の言葉を引き出せたことは大きな勝利だった。それを見て、ジョレスやゲード、それにオランダ社会民主労働党のピエター-ジェルズ-トロエルストラ、ベルギー社会党のエミール-ヴァンダーベルデなど主な植民地保有国の代表たちが賛同の意を示した。
「議長、アイルランド社会主義連盟のパトリック-コノリーですが、それでは我がアイルランドや、あるいはアジアやアフリカの植民地はどうなるのか」
「アイルランドはイギリスの指導の下で、アジアやアフリカの同志たちについてもアメリカやヨーロッパの同志たちによって指導されるべきでしょう。いずれは社会主義革命へと至るでしょうが今はその段階にないのですから、当然でしょう」
リープクネヒトは事もなげに言ったが、まず社会主義に基づくアイルランドの独立ありきで考えていたコノリーからすれば納得できるものではなかった。
「議長、私は退出させてもらう。貴方方は自らの事を社会主義者だと考えているようだが私からすれば帝国主義者と何ら変わらない」
「な、なんと無礼な。同志を侮辱するのか」
「ヒンドゥスタン共和社会主義協会のバガット-シンだ。同じく退出させてもらう」
「日本社会党の堺利彦です。同じく退出させていただきます」
コノリーに続いて英領インド帝国で活動していたシンも退出し、さらに大日本帝国初の本格的な社会主義政党、社会党の設立者である堺も退出したが、コノリーに同調したのはシンと堺だけだった。
退出した3名を除けば、リープクネヒトの路線はいくつか修正されたのちに認められ、世界的な社会主義革命のため社会主義諸勢力は"必要に応じて"連携する事、
また、本国の革命後も社会主義が可能なまで水準に達するまで、あるいは独立容認によって社会主義にとって不利益となる場合、"一定の自治"の下で勢力圏、植民地維持を認める事が決議された。
このツィンマ―ヴァルト綱領は、主にヨーロッパ、アメリカなどの社会主義者の間で受け入れられることになる。
前回のイーラーン共和国をイーラーン民主連邦共和国に修正しました。




