第146話 滅亡と勝利の美酒
1918年3月20日 オスマン帝国 アンカラ アンカラ城
アンカラ城ではオスマン帝国皇帝メフメト5世が連合軍の首脳たちが見守る中で、文書にサインをしていた。
その文書とは連合軍への降伏文書だった。
メフメト5世の署名を確認すると、イギリス、フランス共和国、ドイツ帝国、イタリア王国、オーストリア=ハンガリー帝国、ロシア帝国、そしてエジプト王国の代表がそれぞれ署名した。
当初、メフメト5世は自らがオスマン帝国の降伏文書にサインする事を拒んでいたのだが、連合軍がそれを許さなかった。ヨーロッパ各国は長年ヨーロッパに対する脅威であったオスマン帝国が名実ともに滅びた事を全世界に示すため、エジプトは自国こそが新たなアラブ世界の覇者であると示すため、皇帝であるメフメト5世の自らのサインを望んだのだった。
結局、メフメト5世はオスマン家のスイスへの亡命と引き換えにその条件を受け入れた。このことは地下に潜り抵抗活動を続けようと考えていた勢力にとっては大きな衝撃となり、連合軍に対する抵抗を鈍らせる事になった。
ともかく、ある時はヨーロッパを恐怖に陥れ、またある時は病人と蔑まれたオスマン帝国はここに滅亡したのだった。
降伏文書の署名から暫くして、廃墟のアンカラ市内をフランス軍の軍用自動車が走っていた。
自動車に乗っていたのはフランス陸軍大尉シャルル-ド-ゴールとその部下のギヨーム-アポリネールだった。
「飲めるのはこの先でいいんだな」
「ええ、そうですせっかくの祝杯です。お偉いさんの堅苦しい話を聞くよりもみんなで浴びるように飲んだ方が楽しいでしょう」
ド-ゴールの言葉にアポリネールが答えた。
2人が向かっているのはアンカラ市内の廃墟にある仮設の酒場だった。戦闘が終結して暫くしてからできた、どこからかかき集めた酒類を扱う店で、酒場だけでなく賭博場や煙草、菓子類の販売所としての機能もあった。
そうして、意気揚々と酒場に入ったド-ゴールの目に映ったのは、先行させていた戦車小隊の部下たちとドイツ人の操縦士と思われる集団が睨みあい、一触即発となっている、そんな場面だった。
「なんだ、これは…おい、これは何の騒ぎだ」
「小隊長、このドイツ野郎どもが我々の事を…」
『おい、あんたが上官か?体はでかいくせに戦車の中で引きこもるしか能のない臆病者らしいな』
『ウーデットやめろ』
『うるさい、止めるなゲーリング、大体こいつらは俺たちの支援が無ければ前に進む事もおぼつかない連中だぞ、そんな連中に馬鹿にされてたまるか』
何が起きているのかと部下に訊ねたド-ゴールに対し説明しようとした部下の言葉を遮って、いきなりドイツ軍人がド-ゴールに向かって話しかけてきた。ド-ゴールは何を言われているのかは分からないが馬鹿にされているという事だけはわかった。
軍に入る前は新進気鋭の詩人として名をはせ、ドイツへの旅行経験もある事からある程度ドイツ語も分かるアポリネールにド-ゴールは訊ねた
「アポリネール、彼らが何と言っているかわかるか」
「…はあ、どうも我々の事を臆病者呼ばわりしているようですな」
アポリネールは感情的になりやすい上官に対して言葉を選びながら説明した。
「なんだと、貴官、それはどういうことだ。場合によってはドイツ軍司令部にも抗議させてもらう」
「…私が説明します…ええと、大尉殿」
早速激高したド-ゴールに対し、ドイツ帝国航空隊の操縦士が流暢なフランス語で話しかけてきた。その操縦士はヘルマン-ゲーリングと名乗ると、事の経緯を話し始めた。
ゲーリングによると、元々はドイツ帝国航空隊の操縦士と整備士が飲んでいたところにド-ゴールの部下たちが到着した。初めはお互い気にせずに飲んでいたのだが、撃墜王の一人であるエルンスト-ウーデットがド-ゴールの部下たちにこの店で一番高い、アンカラ近郊のカレジクで作られるカレジッカラスワインの樽を賭けてのカードゲーム勝負を提案し、ド-ゴールの部下たちもそれを受け入れたのだが、結果はウーデッドの圧勝だった。
すると、ド-ゴールの部下の一人がいかさまだと言い出し、それに対してすでに何杯か飲んで酔っていたウーデットも暴言を言い出して、お互い収拾がつかなくなっていたところでド-ゴールとアポリネールが現れたのだという。
「なるほど事情はわかった。…おい、店主これで足りるか」
ド-ゴールは軍票を何枚か差し出した。店主が満足そうに受け取ったのを見たド-ゴールは、中にいた部下たち全員に基地に戻るように命じ、酔って寝ていた兵士はアポリネールが文字通りたたき起こしていた。
店を出る際にウーデット、ゲーリングを見てからド-ゴールは店を出ていった。
やがて、ド-ゴールたちが完全に立ち去ったのを確認すると店内では歓声があがった。
「おい、よくやったなゲーリング、この役者め」
「ウーデットもご苦労、みんなで飲もう」
店内に残っていたドイツ人たちは皆喜んでいた。ド-ゴールの部下が言ったいかさまは間違いではなかったウーデッドは実際にいかさまを行なっていたのだった。
フランス兵たちの上官であるド-ゴールが現れた時は流石にひやりとしたが、すかさずゲーリングが立ち上がって、その流暢なフランス語会話能力を活かし、真面目腐った顔で、いかにも今回の事件が双方の誤解によるものであるかのような話をした。
結果として、ゲーリングたちは勝利の美酒をただで手に入れたのだった。




