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第143話 再出発

1918年2月12日 オスマン帝国 アンカラ 某所

統一と進歩委員会の中心人物のアリ-フアト、イスマイル-エンヴェル、アフメト-ニヤジの3人がアンカラ某所のひっそりとした建物に集まっていた。


「で、これからどうする」

「どうするも何も戦うしかないだろう。エスキシェヒルで無惨にも死んだ将兵たちそして何よりも国民の犠牲を無駄にするわけにはいかないだろう」

「そうはいうがな…連合軍の力は圧倒的だぞ?エンヴェル」

「では、どうしろというのだ、フアト」

「どこかに潜み再起をはかる…これしかあるまい」

「ニヤジ、本気で言っているのか、今帝国を守らずしていつ戦うというのだ、まさか、フアトも同じ考えなのか」


エンヴェルの問いに対し、フアトは答えなかったが、それが答えを示しているようなものだった。


「だが、潜むといってもどこに潜むというのだ」

「私としてはクルド人の支配地域を考えている。クルド人は信仰に篤いものたちが多いからな。そう簡単に我々を異教徒に引き渡しはしないさ」

「ハーシム家のフサイン-イブン-アリーが連合軍と接触していると聞いたが?カリフにでもなられたらどうするんだ?正統性ではあの家の方が上なんだぞ」


オスマン帝国の皇帝(スルタン)は現在イスラームスンナ派の指導者であるカリフを兼ねているとされていたが、本来スンナ派においてカリフとは預言者ムハンマドと同じクライシュ族出身者でなければならず異民族のトルコ人がカリフになれるわけも無かった。

そこで、第9代皇帝(スルタン)セリム1世が1517年にエジプトのマムルーク朝に滅ぼした際に1258年にモンゴル帝国によってアッバース朝が滅ぼされて以降、マムルーク朝にかくまわれていたアッバース家の子孫よりカリフの地位を禅譲されたという理屈で、オスマン帝国の皇帝(スルタン)はカリフであると主張していた。

アラブ人たちはオスマン帝国が強大なうちはこの説明に納得していたが、その衰退に伴って不満を持つものは増え、バルカン戦争以前からのアラブの反乱においてもカリフを僭称するものを打ち倒すという言葉が反乱を起こしたアラブ人の間でよく使われていた。


「たしかに、系図の上での正統性はあちらの方が上だが、ハーシム家単独で今の帝国の支配領域全てを治める力がない以上、近隣の…おそらくエジプト辺りに頼らざるを得ないはずだし、エジプトはイギリスの強い影響下、ほぼ支配下といっていい、傀儡のそのまた傀儡のカリフなど一体誰が認めるんだ?」

「…フアト、ニヤジ逃げるならばもっと遠くにした方が良い、クルド人はこれまで帝国のために尽くしてきた。だからこそ戦後にはその報復は苛烈なものになるはずだ」

「例えばどこなんだ?」

「メッカの民から預言者が迫害を受けた時、預言者は最初何処に移られた?」

「…エチオピアか、それこそ危険ではないか、周りはみなキリスト教国の植民地、そもそも今の皇帝がたまたまムスリムなだけで国民の大半はキリスト教徒ではないか」

「それでもあそこは緩衝国だ。どこかの国が強く干渉しようとすれば必ず問題になるはずだ。だからこそ…」

「まったく、君は少し大胆すぎるぞエンヴェル。少しは慎重なフアトを見習ったらどうかね」


結局、この日の話し合いで一致した結論が出る事は無く、のちにフアトとニヤジはクルド人支配地域へ、エンヴェルはエチオピアへと旅立つことになる。


1918年2月20日 大日本帝国 東京府 神田区 柳原河岸 太田工場


「シツレイシマス、オオタサン」

「あんたがヴォワザンさんか、島津さんから話は聞いてるよ。奈良原さんの工場に比べれば小さい所だろうが、これからよろしく頼む」


神田区にある工場を一人の外国人が訪れていた。その外国人、フランス共和国から大日本帝国に活躍の場を移した航空技術者ガブリエル-ヴォワザンを中から出てきた日本人でこの工場並びに会社の主である太田祐雄が歓迎した。


太田は1886年に茨城県(現在の宇都宮県)に生まれ、その後、丁稚奉公先でその器用さを高く評価され、上京したのちには幕末の土佐藩主山内容堂の甥にあたり、東京飛行機製作所の奈良原三次と並ぶ日本の航空界の先駆者である伊賀氏広男爵の下で日本初の国産飛行機の製作に取り組んだ。

結局、伊賀の製作した飛行機は飛行する事は無く、更には飛行機の製作の為に巨額の資材を投じた事から、それ以降伊賀は航空界から姿を消し故郷宿毛に帰ってしまった。


その後、太田は興味の対象を空から陸へと移した。太田が新たに興味を持ったのは自動車の製作だった。

太田は自身で設立した会社『太田工場』においてオートバイ用の部品製作を行なう一方で自身で設計した自動車の製作に取り掛かっていたのだが、結果は芳しくなかった。


そんな時に太田に声をかけてきたのが島津モーター研究所の所長である島津楢蔵だった。

島津は伊賀の国産飛行機のエンジン製作にかかわっており、そのことから太田とは中心人物である伊賀がいなくなった後もつながりがあった。


島津は太田にヴォワザンを雇ってもらえないかと持ち掛けたのだった。


奈良原の東京飛行機製作所で主任設計者として働いていたヴォワザンだったが、バルカン戦争以降のヨーロッパにおける航空機の急速な発展には追いつけず、ヴォワザンの設計する機体は徐々に時代遅れとなりつつあり、海軍も東京飛行機製作所に対し、ヴォワザンを解雇してより高性能な機体を制作するように圧力をかけた。


奈良原は行き詰っていた東京飛行機製作所の経営を軌道に載せてくれた恩義もありヴォワザンの解雇に対して抵抗したが、ヴォワザンの方が先に身を引く決意をした。


こうして東京飛行機製作所を退職することにしたヴォワザンだったが、奈良原がせめてもの償いとして再就職先を斡旋してくれるように島津に声をかけ、島津から太田へと話が行き、太田工場で自動車の設計に携わらないか、との申し出をヴォワザンに対して行なった。


こうしてヴォワザンは太田工場、後の太田自動車工場で航空技術者としての経歴を生かして自動車の設計をする事になった。ヴォワザンと太田の自動車作りの技術は、自動車とは別の形でも大いに役に立つことになるのだがそれはまだ先の話だった。

ヴォワザンの引受先は当初、豊川順彌の白楊社を考えていたのですが、白揚社は国産設計国産製造にこだわっていた会社なので没、快進社も特に関われそうな要素が無かったため没に、それで残ったオオタ自動車を調べてみたら、伊賀男爵を通じて島津とつながりがありそうだったのでこういう形になりました。


そのため、島津と太田の間でつながりがあったというのは創作です。

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