第142話 欠陥戦車と巨大砲
1917年2月5日 オスマン帝国 エスキシェヒル 近郊
「修理はまだ終わらないのか…クソ、こんな社会主義者の玩具に乗って死ねというのか」
フランス軍の戦車の中で叫んでいるのはフランス陸軍歩兵大尉であるシャルル-ド-ゴールだった。
ド-ゴールは戦車小隊の小隊長として、対オスマン戦争に従軍していたのだが、問題は彼の指揮していた戦車にあった。
シュナイダー社が製造したフランス初の歩兵用戦車であるブレトン-ブリエ-ケグレス戦車は、第一次世界大戦後のフランス軍再建計画である『レフュイエプラン』に基づいて作られた歩兵科が運用するための車両だったのだが、試作段階で当時の軍需省次官ジュール-ルイ-ブレトンが自らが設計した車両を採用するように働きかけてきたことからおかしくなった。
筋金入りの社会主義者であり、フェミニストにして発明家という様々な顔を持った人物であったブレトンは軍需省次官という地位を利用してシュナイダー社において自らが設計した"戦車"を製造するように働きかけを行なったのだった。
出来上がった"戦車"は鋼鉄の車輪を持つ三輪車のような奇怪な外見を持つ車両であり、不整地走破性は低かった。無論そのような車両が採用されるはずも無く、即座に試験は打ち切られたがブレトンは自らの考えに固執し続け、結局改良という名目で新規設計の車両が作られる事になった。
シュナイダー社のウージューヌ-ブリエ技師の設計を元にしつつ、アドルフ-ケグレスの開発したリーフサスペンションと鋼芯入りゴム製履帯で機動性を改善し、武装は車体に新型の7.5mm機関銃が2丁と砲塔にピュトー社製の37㎜砲、型によっては火炎放射器が装備された。
大幅な設計変更に当初は不満げだったブレトンだったが、フランス陸軍の歩兵部隊に配備され始めると
『あの戦車の設計者は自分だ。ブリエやケグレスはあっても無くても変わらない小改良をしただけに過ぎない』
と主張するようになった。
これは、当時のフランスではドイツ帝国のバルカン戦争への本格参戦によって、第2の世界大戦勃発は間近であると思われていた事を利用して、次の戦争で主力となる戦車を設計したのは自分である、とのイメージを国民に植え付ける事で再選を狙ったものだった。
だが、実戦配備から暫くしてアクシオン-フランセーズの発行する機関誌『アクシオン-フランセーズ』にて、新型戦車は欠陥兵器ではないか、との記事が書かれた。
右派団体であるアクシオン-フランセーズの主張は当初根拠のない中傷であると考えられていたが、過激右派団体であるアクシオン-フランセーズを強く警戒していた急進党政権は、内部に内通者がいるのではと考えて調査を開始すると共に新型戦車に関する調査も合わせて行なった。
その結果、ケグレスの開発した新型履帯は摩耗しやすいため、長期間の行動には不利である事、新型サスペンションも耐久性に難がある事などが判明し、また、車高が高い割に装甲が薄いため、戦場においては大きな標的にしかならないといった問題点が指摘された。
さらに調査報告では、オーストリア=ハンガリー帝国で開発され、ドイツ陸軍でも採用されているモーター-ゲシュッツが77mm砲を搭載しているのに対し、騎兵用及び歩兵用の戦車は支援火力としては貧弱であり、砲兵用戦車は固定戦闘室の為、柔軟な運用に支障がある為、早急に各兵科の運用する戦車を統合する必要があると記されていた。
こうして新型戦車が問題の多いものであることが発覚した後にはブレトンは一転して、
『あの戦車はブリエやケグレスによる改悪の結果だ。私は初めからまともな戦車を設計していた』
と主張していたが、今度は保守系の新聞である『エコー-ド-パリ』紙にブレトンが当初提案していた"戦車"があまりにも時代遅れな代物だったこと、にも拘らず軍需省次官の地位を利用して採用させようとした事が暴露された。
こうした経緯もあってブレトン-ブリエ-ケグレス戦車は、『社会主義者の玩具』と呼ばれるようになったのだが、すでにシュナイダー社が大量の在庫を抱えてしまっていた事やドイツとの開戦が間近であるとあるとされた事から配備が続けられた。その結果、ドイツとの開戦危機が去り、対オスマン帝国戦争が始まった現在でもフランス陸軍は新型戦車を手に入れられていなかった。
「小隊長、司令部より連絡です」
「そうか…はい、そうです。現在エスキシェヒル近郊にて停止中。至急補給部品の輸送と整備部隊の派遣を…現在地にて停止するようにですか、お言葉ですがそれではエスキシェヒル攻撃は…化学兵器ですと…なるほど、風向きがこちら側にならない事を神に祈ります。…全く何が幸いするか分からないな」
「小隊長?」
「何でもない。ここで待機だ」
怪訝そうな表情で見てきた部下に対しド-ゴールは声を張り上げた。
1917年2月5日 オスマン帝国 イネギョル
ド-ゴールがエスキシェヒルで声を張り上げてから暫くたったころ、エスキシェヒルから100㎞ほど離れた都市イネギョルでは巨大砲に砲弾がゆっくりと装填されつつあった。
ドイツ皇帝ヴィルヘルム3世にちなみ『ヴィルヘルム砲』と呼ばれている巨大砲は海軍の新型戦艦であるバイエルン級にも使用された38㎝砲の砲身内部に新開発の21㎝砲身を挿入した構造となっており、重量は256トンにも及ぶ巨大砲だった。
流石のドイツ陸軍といえどもこれだけの巨大砲の扱いは初めての事だったので、砲の運用はマクシミリアン-ロッゲ中将をはじめとするドイツ海軍から派遣された人員が行なっていた。
クルップ社の誇る技術者であるフリッツ-ラウゼンベルガーとその助手であるオットー-フォン-エーベルハルトが作り上げた巨大砲から、ドイツ陸海軍並びに連合軍参加各国の軍人たちが見守る中で最初の砲弾が放たれた。その中に充填されているのは巨大砲と同じくドイツ帝国が作り上げた新兵器である神経剤、タブンだった。放たれた砲弾は成層圏を超えて、エスキシェヒルを地獄のような有様に変えた。
このエスキシェヒル攻撃によりオスマン帝国政府内部では動揺が広がった。新型化学兵器による殲滅戦という衝撃はそれだけ大きいものだったからだ。
戦後を見据え地下に潜る者やあくまで徹底抗戦を唱える者、そして連合軍との交渉を望む者、オスマン帝国は今や分裂しようとしていた。




